10.イヴの体質⊕
一通りの話が終わって、ジェイムズとロナルドは席を立つと満月亭の外へ出ていった。今後の動向を詳細に決める為に更なる打ち合わせが必要なのだそうだ。
ジェイムズが戻ってくるまでの間に、香月達はイヴの体質を調べる事となった。
「じゃあ〜、早速だけどイヴちゃんに何で精神干渉魔術が効かないか調べないとね〜」
準備の為に満月亭の奥の部屋からかりんが色々と引っ張り出してきた。それをボックス席のテーブルの上にどんどん置いていく。
目の前に積まれていく器具の数に圧倒され、イヴが目を回している。
「凄い数の器具ですね……」
「そりゃあね〜。精神干渉魔術は言葉通り相手の精神に干渉するんだから、その耐性を調べるとなるとそれに見合った器具を使わないといけないんだよ〜。でもってこれが魔力観測器ね。これでイヴちゃんの魔力の総量や魔力波長を測って〜……むふふ」
そう言ってかりんが手に取ったのは色々とゴテゴテとした装飾品がついているでっかい注射器のような器具だ。
中には様々な色の液体が分かれて入っている。それにしても、針がかなり太い。
「……何ですかそれ」
「これはねぇ、対象の魔力波長に反応する魔術薬が入ってるの。この魔道具は正確にイヴちゃんの魔力波長を特定してくれるのよ〜。使い方は対象の体にこの針を刺して血を少し抜くだけ。すると中に入った薬の反応から魔力の量や質が測定できるって訳〜。どんな魔術に適性や耐性があるのかもね〜」
「な、なるほど……でもなんか痛そうですね」
「心配しないでぇ〜。これ魔術式だから刺された時ちょっとチクッとするだけだし、痕は残らないからぁ〜」
それって普通の注射器とあんまり変わらないんじゃないか。寧ろ針の太さからするとチクッというレベルでは無さそうにすら見える。そんな風に思ってみていると、かりんがニコニコしながら注射器を持ってイヴに迫ろうとしていた。
「……え?」
「イヴちゃん、腕出してぇ〜」
「い、いやです!」
「まあまあ〜、そう言わずに〜」
嫌がるイヴを押さえつけて、かりんが腕に注射器を刺そうとする。
イヴはなんとか逃げ出そうとするが、かりんの腕力は意外と強いのか振り解けない。
「や、やめて……やめてください!」
「むふふ〜、観念しなさぁい」
「うぅ……」
涙目で抵抗するイヴとかりんのやり取りを見ていると、何だか凄くいけないことをしているような気持ちになってくる。
「おい、かりん──」
イヴが可哀想だし止めようかと香月が思い始めたその時だった。
「んんー、しょうがないなあ〜。じゃあもうちょっと原始的な方法にして〜……」
そう言うとかりんは観測器をテーブルに置いてイヴの頬を両手で包むようにした。
注射器での測定は諦めたらしい。
イヴの瞳を覗き込むように見つめた。
「良い〜? イヴちゃん、私の目をよ〜く見つめて」
「は、はい」
「いくわよぉ〜、えいっ♪ 魅了の魔眼♪」
その瞬間、かりんの瞳が怪しく赤く光った。その目を見たイヴがとろんとした表情になる。
「あ……あれ? かりんさん……」
「イヴちゃん、今どんな気持ち?」
「……なんか凄くドキドキします。かりんさんを見てると胸が苦しいです……」
「うんうん、じゃあもっと見て良いよ〜」
「……はい」
イヴがトロンとした表情でかりんの瞳を見つめていた。
その頬は微かに紅潮している。心なしか、呼吸が荒くなってきているように見える。
「……よし、もういいよ〜」
「……?」
かりんの目が元に戻る。イヴが不思議そうに首を傾げると、さっきまでのぼうっとした表情が次第に無くなっていった。
「ふぃ〜……だいたいわかったかなあ〜?」
「あの……今のはなんだったんですか? あ、なんかかりんさんの目を見てたらドキドキして……」
「精神干渉魔術だよ〜。と言っても、魔眼だからちょっと魔術と言い切れる物でもあんまりないんだけどねぇ。私の家系に代々に継がれてる特異体質みたいな物かな〜」
「で、どうなんだ? イヴの魔術への耐性は?」
香月が尋ねると、かりんがニコニコと答える。
「効いてないって訳じゃないけど、かなり強い耐性があるかなぁ〜。それなりに強めに魔力を込めたのにドキドキするだけって私も初めてだったよぉ〜。このくらいの強さだったら、メロメロになってお姉様ぁ〜っていきなり抱きつかれるレベルの筈だったんだけど……」
「そうか……」
つまり今のイヴの耐性は、かりんの魅了の魔眼が効いているが、魔力を意識的に操っていなくともその効果に簡単に抗えるくらい強いってことだろう。
恐らく、ディヴィッドの精神干渉魔術の支配下になかったのも、清花による記憶処理が効いておらず記憶が残っていたのもきっとそのせいだ。
魔眼といえば、現在魔術師に普及している魔術刻印による第四世代魔術よりも高度な魔術とされている。意識的に魔力を流すだけで魔術効果を発動できる点で、魔術の一つの到達点とされているのだ。彼女の家系が高名なのも、代々続いた研究の成果で魔眼を生み出した事に起因している。
そんな彼女の魔眼が、魔力の扱いすら知らないイヴ相手に効いていない。それだけでイヴの魔術への耐性は相当な物だという事はわかる。
「ん〜……ざっくりとした魔力容量も測ってみようかなぁ。じゃあ〜、イヴちゃんがなるべく痛くない器具でぇ〜……」
そう言ってかりんが持ち出したのは、さっきの物よりはだいぶ小さいがまた注射器状の魔道具だった。中には濁った色の液体が揺れている。
それを見て、イヴが再び嫌そうな顔をする。
「む、無理です……そんなの刺したら痛いじゃないですか」
「だ〜いじょぶだよぉ。これは麻酔液が入ってるから痛くな──」
そう言いかけてかりんが固まった。
「……あれ?」
「どうした? 早くやれよ」
「……あ、あれぇ? なんでだろぉ〜?」
そう言ってかりんは注射器の針先をイヴの腕へ向けていたが、そこから一向に動かない。まるで石化したように固まっている。
そしてそのまま数秒針を押し付けていたが、一向にイヴの腕に刺さらないでいた。
「ううーん、これじゃあ無理かもぉ〜」
「どういう事だ?」
香月が首を捻ると、黙って様子を見ていたクレアが伝声魔術で発言した。
『もしかしたらだけど、イヴさんの自然治癒力が異常に高いからじゃないかな』
空間に向けて声を発生させたクレアに、思わずイヴがビクッとする。
「クレアちゃん……?」
イヴがクレアを驚いた様子で見ると、香月が言葉を添える。
「クレアは音魔術の使い手なんだ」
「音魔術……?」
「まあ、簡単に言えば声や音を発生させる魔術って事だな。クレアは普段こうやってよく話してるんだ。イヴと話してた時は魔術を使えなかったからな」
イヴはその言葉に再び驚いた様子だった。クレアが寡黙なイメージだったから、魔術を通してなら饒舌なことに驚いているのかもしれない。
そんなイヴに構う事なく、クレアが続ける。
『イヴさんの体はきっと凄い勢いで傷を修復してる。その力が魔眼による精神干渉とかも打ち消しちゃってるんじゃないかな』
「なるほどな……」
『イヴさんは魔術に耐性があるけど、別に魔術が効かない訳じゃないし……多分そうだと思う』
それを聞いて納得していると、かりんは残念そうに注射器を置いた。
「んんー、じゃあしょうがないなぁ〜……ちょっと他の方法をやってみる〜……」
そう言って今度は香月の方を見た。
なんでこっち見るんだ。嫌な予感がする。
かりんはニコニコしながら香月の肩に手を置いた。
「お、おい……? かりん?」
「まあまあ〜、ちょっとだけだからぁ〜」
そう言って香月をイヴの前に押し出した。
魔力容量の測定に自分が必要って事があるだろうか、香月はそう思いながらかりんに抗議の視線を送った。
「かりん、何で俺が?」
「ちょっと試してみたい事があって〜」
そう言うと、かりんはイヴの手を取って香月に差し出した。
「右手でイヴちゃんの手に触れてくれる〜?」
その言葉に、彼女が言わんとしてる事は何となくわかりハッとする。
香月がイヴの方をチラリと見る。彼女は不安そうな表情でこちらを見ている。
「……まあ、いいが」
香月はかりんの指示通りにイヴの手に恐る恐る触れようとする。彼女はびくっとして不安そうにこちらを見上げる。
「か、香月さん……」
「大丈夫だ」
そう答えてやると、イヴはコクリと頷いた。そのまま二人で指を絡め合うように手を繋ぐ。彼女の滑らかな肌の感触が指から伝わってくる。
「は〜い、じゃあ私も〜」
かりんが手を差し出してくるのに、空いた左手の方を絡めた。
「あ、あの……この状態で何をするの?」
「……解析魔術をやる。まあ、見てればわかるよ」
そう言って、香月が右手の甲に意識を集中させた。
かりんの魔眼が効いてはいるのにすぐ効果が切れる事を考慮しても、完全に魔術が効かない訳ではないのだ。で、あれば魔力の注入をかなり強めに、かつ効果は一瞬でというイメージですればもしかしたらできるかもしれない。
香月が厳かに魔術の発動の言葉を発した。
「Analysis《構造解析》」
右手の甲の魔術刻印が熱を帯び、青白く発光する。掌から魔力を注ぎ、イヴの体内を循環させる。
「あ……え? な、何これ……?」
イヴは自分の体の中で何かが蠢くような感覚に戸惑いの声を上げる。
触れた掌から脳裏にイヴの身体的特徴の情報が濁流のようになだれ込んできた。魔力をできる限りかなり強めにしているからだろう、入り込んでくる情報量の多さがきつい。それを一瞬で受け止めなくてはいけない。頭が、処理し切れない。
「うっ……」
思わず吐き気がこみ上げてくる。脳裏に入ってくる情報を、高速で処理していく。右手の甲の魔術刻印が焼き切れるんじゃないかと思う程に熱を帯びて発光している。
だが、それを必死で制御する。
その時だった。とある情報が、香月の脳裏に叩きつけられた。負荷が強くて、耐えられない。鼻の奥が熱くなり何かが込み上げてくる。
ぶしゃあ、と赤い液体が宙に舞った。
『カ、カヅキ⁉︎』
「香月さん⁉︎ だ、大丈夫⁉︎」
クレアとイヴが驚いた声を上げた。
「げほっ……いや、大丈夫だ……」
咄嗟に繋いでいた手を離して、床に倒れ込んでいたお陰で吹き出した血がイヴにかかる事は避ける事ができた。
口元を押さえて横たわる香月に、イヴが立ち上がって手を差し伸べる。
「か、香月さん……! なんだか血が出てるんだけど大丈夫⁉︎」
「ああ……大丈夫だ、大丈夫なんだが……」
イヴの手を取り香月が立ち上がるが、何故かイヴの方を見れないでいた。心なしか、顔の周りが熱い気がする。顔を隠すように口元を拭う。これは最後に脳裏に叩きつけられた情報のせいだ。
そんな二人の様子を見て、かりんが香月に向かって少しニヤつくような笑みを向けていた。心なしか楽しそうだ。
「むふふ〜、カヅキ君ってちゃあんと男の子なんだね〜」
構造解析魔術で最後にどんなイメージが脳裏に叩きつけられたかを、かりんは理解した上でそう言った。
彼女と左手を繋いでいたのは流れ込んでくる魔力をバイパスして彼女にも情報を読み取らせる為だった。
そう、それだからそんな表情でそんなコメントができるのだ。かりんの一言に気恥ずかしくなって香月が声を上げる。
「う、うるさいな……!」
「どういう意味? さっきので何がわかったの?」
イヴが首を傾げながら、香月の顔を覗き込んでくる。目が合いそうになり、思わず香月が恥ずかしげに視線を逸らす。
「……?」
何の事かわからない様子でイヴが二人を交互に見た。
「い、いや、イヴは気にしなくて……大丈夫だ!」
そう言って、香月が無理矢理誤魔化すように咳払いする。かりんは楽しそうに笑っていた。
「で〜? どうだったぁ?」
そんな質問に香月が答える。
「……ああ、魔力容量だよな?」
それを聞いてかりんが身を乗り出す。
「そっちもだけどぉ〜」かりんが楽しそうに笑いながら、まるで圧をかけるように再び聞いてくる。「で、どんな感想だったぁ〜?」
「わかってて言ってんだろ。やめろ。俺の名誉の為に」
まだ顔が熱い、脈拍が早くなったままだ。ため息をつき、続ける。
「上級の魔術師を遥かに凌駕する魔力容量だと……思う。正直、俺にはちょっと測り切れないかもしれない……」
「そうだねぇ〜、びっくりだよぉ。あんなにほっそりしてるように見える身体にあんな凄いのが隠されてるなんてね〜」
返事としては合っている。だが意味合いが微妙に違う。ある意味ダブルミーニングだ。
意味ありげに言うかりんの返しに、頑張って真面目な口調で話そうとしている香月のこめかみが引き攣る。苦い表情だ。
「うん……?」
イヴは話の流れが微妙に読めないようだった。そんな彼女にかりんが言った。
「イヴちゃんって意外と大きいんだね〜」
その一言に思わず、香月が視線をかりんの言葉が意味してるイヴの身体のとある部位の方へチラリと向けてしまう。が、やってしまったとばかりにすぐ見ないように頑なに目を閉じて顔を逸らした。
その様子を見てしばらく考えていたが言葉の意味がようやくわかったのか、イヴは気恥ずかしそうに胸元を両腕で隠した。