後編⊕
事務所の壁に並ぶポスターの中のイヴは、どれも白い衣装をまとい、雪の妖精というイメージを全面に押し出したような物ばかりだ。
ヴァリアント・エンターテイメント、イヴが所属する芸能事務所。
イヴのマネージャーの柚希はスマホを手にしたまま、静かに息をつくとイヴに向き直る。
「……イヴ。あのTシャツの投稿、どういうつもりだったの?」
イヴは机の向こう側でうつむいたまま、返事をしない。
「いつも言ってるでしょ、プライベートでもイメージに合った服を着てって。ブランディングが大事なの。『雪の妖精』って、ファンが一生懸命つけてくれた名前なの。あなたのブランドは透明感とミステリアスさが全てなのに……。『煮干し、空を舞う』ってヘンテコなTシャツ着て自撮りでドヤ顔……そりゃSNSも騒ぎになるよ……」
「……ちょっと、面白いかなって思って……。自分で作ったTシャツだったからテンションも上がっちゃって……」
「気持ちはわかる。でもね、イメージって一度崩れたら簡単には戻せないの。仕事って、貴方ひとりでやってるんじゃなくて、チームで作ってるものなんだよ」
柚希はスマホを伏せ、少し声をやわらげる。
「イヴの個性を否定するつもりはないよ。でも今はまだ、『雪の妖精』としての信用を築いてる途中なの。ファンが夢を託してくれてる姿を、軽く壊すような投稿は……やめておこうね?」
「……はい、ごめんなさい」
「うん。わかってくれたならいいの。投稿は削除しておいて。こっちでも事務所名義で軽くフォロー入れておくから。次からは、載せる前に一言相談してね」
「……わかりました。気をつけます」
◆
クラシカルメイドカフェ「Lilyshade Manor」の裏手、スタッフ用の控え室。
夕方前、昼営業と夜営業の合間の入れ替え時間。窓から斜めに差し込む西日の光が、静けさを連れていた。
ソファに腰掛けたイヴは、スマホをじっと見つめている。まつ毛の影が頬に落ち、表情は少し曇っていた。
「……うわ……煮干しTが、ほんとに炎上してる……」
彼女の呟きは小さかったが、その響きには思わず笑ってしまいそうになる諦めと、少しの困惑が滲んでいた。
テーブルで帳簿をつけていた陽子が、目を上げて苦笑する。
「う〜ん、私も見たよ……。『あの誘拐されたモデルの変貌した姿がこちらwww』って、なかなか悪意感じるタイトルの記事もあったね」
「『雪の妖精の尊厳が煮干しに溶けた』とか……もはや詩なのか皮肉なのかもわかんないですよ……」
イヴのスマホ画面には、昨夜アップされた「変Tシャツ同盟」の自撮り写真がSNSでバズり、トレンド入りした経緯がまとめサイトで取り上げられている様子が映っていた。
コメント欄には「ギャップ萌え」「天然だったの!?」「キャラ崩壊では……」「神秘性返して」と、好意と戸惑いや否定の混ざった声が飛び交っている。
イヴは画面をスクロールしながら、少しだけ唇を噛んだ。
いつの間にか、自分が大勢のイメージの中でひとり歩きしているような気がして、胸の奥がざわつく。
「柚希さんにも言われちゃった……『あまりおふざけが過ぎると、仕事にも影響する』って」
ぽつりと落とした言葉は、責めるようで、どこか甘えにも近かった。
イヴの頬がぷくっと膨らむ。気にしていないふりをしながらも、確かに彼女は少し落ち込んでいた。
「まぁ、イヴちゃんのマネージャーさんの言ってることも分からんでもないけどねえ」
陽子はそう言いながら、ティーポットから湯気の立つ紅茶を静かに注ぎ、優しく笑んだ。
「でもさ、そもそも『イメージ』って、人の目に映ったままのものじゃない?」
「……え?」
イヴが顔を上げる。陽子の声はいつもと変わらず、だけどその言葉は、妙に胸に刺さった。
「イヴちゃんの場合、見た目から『可憐』とか『神秘的』って印象を持たれてた。でもそれってね、たぶん『想像の余白』が作った像なの。本当は、お茶目だったり変なセンスがあったり――そういう素顔も、同じくらい魅力なのに」
イヴは目をぱちぱちと瞬かせたあと、ふっと表情を緩めた。肩の力が抜けるように、深く息を吐く。
「……なるほど。じゃあ、私が煮干しTシャツ着た姿をSNSに上げたのも、『らしさ』ってことで捉えて良いのかな……」
「私はそう思うけどね?」
陽子はウインクし、紅茶のカップを差し出す。
「もっと自分らしさを出しちゃって良いと思うんだよね。パッと見ので作られたイメージなんかじゃなくて、等身大のイヴちゃん自身をさ。その代わり、次はもっと面白いやつ着て欲しいな。『変T第二章』の準備は万端だよ?」
「もうっ、煽らないでくださいよ~……」
二人は顔を見合わせ、思わず笑いあった。その笑いは、ふわっと心の靄を晴らすような軽やかさを持っていた。
その時、スマホが一度だけ短く震える。イヴが画面を見ると、ある企業の公式アカウントからのDMが届いていた。
『このたびの反響を受け、ぜひコラボのご相談を…』
一瞬だけ驚いた表情を浮かべた後、イヴの目がほのかに輝いた。
「……うん。なんか、面白くなってきたかも」
◆
場所は愛知県某所。中部地方限定の清涼飲料ブランド「C-LIME」を展開するナチュラクアボトラーズ本社の会議室。
午後の陽射しが反射するガラス張りの室内で、若手の広報担当が熱を込めて語っていた。
「イヴさんのTシャツ騒動、すっごくバズってますよね! これは絶好の機会だと思ったんです!」
イヴの隣には、きちんとスーツを着こなした柚希が座っている。表情は落ち着いているが、書類フォルダの上にきちんと指を重ね、相手の言葉を逃さない姿勢を崩さない。
「たしかにSNS上では大きな反響がありました。ただ、このタイミングで彼女を起用するのは貴社にリスクもあるかと……」
柚希が冷静に告げると、広報担当の男はうなずいた。
「もちろん、そこは踏まえたうえでのご提案です。イヴさんの『ギャップ』を、あえて強みにしてチャレンジしたいんですよ」
柚希が横目でイヴを見ると、彼女は少し考えるように視線を伏せ──それから、静かに顔を上げて微笑んだ。さっきまでの少し頼りなげな雰囲気は消え、自信を宿した表情になっていた。
「……つまり、私をイメージガールに?」
「はい! テーマは『雪の妖精、変Tで夏に舞う』です! 神秘的なイメージと、あの煮干しTのようなギャップ。その『意外性』が新しい風を吹かせるはずです!」
「……あれ、軽く炎上したという認識なんですけど……本当に大丈夫なんです……?」
「だからこそですよ! 炎上じゃなくて、話題性です! これはね、ファンもファンじゃない人ももっと知りたいって思ってる筈なんですよ。イヴさんの本当の姿を!」
柚希が口を開こうとした瞬間、イヴがやんわりと手で制し、前に出る。
この瞬間、脳裏にはあの言葉が浮かんでいた──陽子の言葉だ。
──イメージって、人の目に映ったままのもの。
なら、自分の側から見せたい『まま』を見せていけばいい。誰かの作った像に縛られることはない。
「……いいですよ。わかりました。その代わり、Tシャツのデザインは私に任せてもらえますか? もっとクオリティアップした物で撮影に臨みたいので」
柚希は驚いたように彼女を見たが、その目にはどこか嬉しそうな光も宿っていた。
フッと息を吐き出すと、柚希が続けた。
「……彼女に一任頂けますか。貴社にご納得いただける物を仕上げさせます。あとは、デザインがCMイメージに合うかどうかだけご確認していただければ」
広報担当の男は笑顔で頷いた。
「もちろんです! それに、世間はきっと、イヴさんの変Tセンスの続きを待ってますから!」
イヴと柚希は視線を交わす。そこには言葉以上の信頼と、新たな一歩を踏み出す決意があった。
◆
そして数週間後、CM撮影は海辺のロケ地で行われた。
白い砂浜に、青い空が広がる。太陽の光に照らされて、C-LIMEのボトルが宝石のようにきらめいていた。
その中で立つイヴの衣装は、【煮干ししか信じない】Tシャツを進化させた特製バージョン──【飛ぶマグロに理由はいらない】Tシャツだった。
前面には、空を翔けるマグロの大胆なイラストと力強い【飛ぶマグロに理由はいらない】の文字。そして背面には【マグロ、宇宙へ】の文字があしらわれている。
合わせたのは、透けるような淡い水色のスカート。夏の風を受けて軽やかに揺れ、イヴの髪もなびく。
奇抜なTシャツを着ているにもかかわらず、彼女のシルエットはどこか洗練されていて──まるで『変』を着こなす新しいスタイルが、そこにあるかのようだった。
ラストカットでは、空飛ぶマグロの群れと共にスカイダイビング(これはもちろんスタジオ別撮りでCG合成だ)する彼女が、透き通った声でこう囁いた。
「──私が信じる、透明な気持ちとC-LIME」
【C-LIME × 雪の妖精EVE】のCMは、放映地域こそ限定されていたものの、SNSを通じて全国に拡散。
「謎CMなのに妙に爽やか」「やりたい放題が過ぎるwww」「雪の妖精、まさかのマグロと共演」「もう信じる、飛ぶマグロ」と、割と肯定的な意見の多い爆発的な話題となった。
イヴのイメージは『透明感+謎ギャップ』としてアップデートされ、新たなファン層を巻き込んでさらに広がっていくのだった。
◆
「いや〜、あれがこうまでなるとは。良かったよ、あのCM。変なTシャツなのにすっごく可愛かったし」
陽子がティーカップを片手に、ふっと笑みを漏らす。場所はまた「Lilyshade Manor」の控え室。店は営業を終え、まどろみの時間がゆっくりと流れていた。
イヴは向かいのソファに座りながら、頬杖をついて照れくさそうに笑う。
「……なんだか、自分の一部を許してもらえた気がしました。変なTシャツだって、私の中には確かにある『好き』なんですもん」
「うん、それでいいんだよ。好きな事を隠さずに見せていける人って、意外と少ないから。イヴちゃんは、それができる子」
陽子の言葉は、静かで温かい。
イヴは小さくうなずいて、再びスマホを手に取った。画面には、Tシャツブランドとの新たなコラボ企画の打診DMが並んでいた。
「実はあのCMでTシャツが大好評で、今、期間限定・数量限定で通販サイトに出してるんですけど……完売したらしくて」
イヴの指が画面をスクロールしていくたびに、【SOLD OUT】【再販希望多数】【#飛ぶマグロに理由はいらない】といったタグが飛び交っている。
「『飛ぶマグロ』が……?」
陽子が目を丸くしながらも、すぐにくすくすと笑い出す。
「いや、すごいよイヴちゃん。『神秘的』から『変T界の新星』……『変Tデザイナー』にまでイメチェンできるなんて、逆に唯一無二じゃないかな?」
「そ、それって褒めてます?」
「もちろん。大体、『笑われる』って案外悪いことじゃないよ。『笑わせる』に変えられるかどうかで、見え方ってぐんと変わるんだから」
陽子の紅茶の香りがふんわりと立ちのぼる。
その香りとともに、イヴの心もすこし軽くなっていく。
「……私、自分の『好き』が笑われるの、昔はすごく怖かったんです。でも今は、なんだか違うかも。『分かってくれる人がいる』って思えるだけで、ぜんぜん違うんですね」
「うん、そうだね。分かってくれる人は、ちゃんといるんだよ」
陽子の言葉は、まるで日だまりみたいに優しく、イヴの胸にじんわりと沁みていく。
控え室から見える窓の外には、夜の帳が少しずつ降りてきていた。商店街の明かりがぽつぽつと灯り始め、どこかで風鈴の音が小さく揺れる。
イヴはスマホをそっと伏せて、カップに手を伸ばす。そしてひと口、紅茶を味わった。ほんのり甘くて、どこか懐かしい味がした。
◆
その後。
イヴがデザインした「変T」シリーズは、第何弾か続きSNSで予想外の盛り上がりを見せ、一部の界隈で瞬く間に話題を呼んだ。通販サイトでは、小ロットながらも瞬く間に完売し、次々と注文が殺到した。もちろん、「変T同盟」のちょこは言うまでもなく、何とロナルドや陽子まで「カレーは飲み物、でも心は固形で」と書かれたTシャツを着て、ドヤ顔をしていたくらいだ。
「……ふふっ。自分でも何でこんなことになったのか、よくわからないけどね。なんでこんなに流行ってるんだろう?」
イヴは窓の外を眺めながら、思わずクスリと笑みを浮かべた。
その目線の先には、大須商店街を歩く人々が見える。中には、彼女がデザインしたTシャツを着た人もちらほらと。
どこかの誰かが、イヴの作り出したそのTシャツで、今日もまた自分らしさを胸に誇らしげに歩いている──
何か意味わからんエピソードになっちゃってすみません(土下座)
次回更新よりEpisodeⅣ『神の檻編』始動します。
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