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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
幕間「モデル・EVEは私服のセンスが変」
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前編

 クラシカルな内装に、どこか非日常的な気配をまとったコンセプトカフェ「Lilyshade(リリーシェイド) Manor(マナー)」。

 通常はヴィクトリア朝風の衣装に身を包んだスタッフが丁寧なサービスでもてなすこの店だが──今日は少し、様子が違っていた。


「今日は私服Tシャツデー! 好きなTシャツでお給仕しましょーっていう、陽子さん提案のイベント日です!」


 そう満面の笑みで語るのは、白く長いストレートヘアに透き通るような肌、そしてどんな衣装も映えさせる完璧なプロポーションを持つモデル・EVE(イヴ)だ。

 だが今、その美貌に彩られているのは、【煮干ししか信じない】という文字と、スカイダイビングする巨大煮干しが描かれた何とも珍妙なTシャツだった。


「また何というか……」

 

 向かいの席でティーカップを持つ麗奈は、細く長い指でスプーンをかちゃりと鳴らし、ゆっくりと息を吐く。

 イヴの着ているTシャツを眺めて、目を閉じて眉間に手をやると、まるで頭痛でもこらえるように、そっと額を撫でた。


「……個性的ね。服のセンスがまるで現代社会への反逆みたい」

 

 表情は変わらず仏頂面に近いが、その目線にはうっすらと「何故それを選んだ……」という困惑と、「でもまあ、元気そうならいいか」という静かな諦めが滲んでいた。

 イヴの私服の変なTシャツは今に始まった事ではなく、シフトに入っている日に出勤してくる時にもその姿は麗奈も何度かは見かけている。


「麗奈さん、どうです? これ、可愛いですよね? 私のTシャツコレクションの中でも一番お気に入りなやつなんですよ~!」


 イヴは嬉しそうにくるりと一回転して見せる。背中には【煮干し、空を舞う】の文字。ワードセンスもデザインセンスもいちいち意味不明が過ぎる。麗奈は視線をそらし、そっと紅茶に砂糖をもう一杯加えた。


「……私はイヴちゃんが楽しそうなら、それでいいと思うけど」

「麗奈さんってば、優しい~! やっぱり分かってくれると思ってました!」

「……そこまでは言ってないわ」


 そのやりとりを、カウンターの中から陽子が微笑ましそうに見守っていた。40代の年相応の姿バージョンだ。

 ショートボブの黒髪を後ろに縛ってシニヨンでまとめた彼女は、普段のメイドスタイルではなく、シンプルなモノトーンTシャツにロングスカートという落ち着いたコーデだ。


「今日はTシャツイベント日だからね。いつもはしっかりとしたクラシカルメイド服だし、お客様と距離があると思われがちだけど……こういう日も大事だよねえ。それに、うちの子達はTシャツ姿でも可愛いなあ」


 しみじみと陽子が言うのに、キッチンに戻ってきた麗奈がぼそりと言う。

 

「さすがに自由すぎるのでは……?」

「それは、イヴちゃんが振り切ってるだけだよ」


 陽子が苦笑したちょうどそのとき。


 「ふっふっふっふ! 満を持して、アタイ参上! おっまたせしましたああああああああああッ!!」


 ガラリと開いた扉から飛び込んできたのは、テンションMAX・クセ強キャストの夜神ちょこである。しゃきーんと中二病的なポーズを取る彼女も私服のTシャツ姿だ。

 ちょこは今日はL’ami de Roseからゲスト参戦だった。ツインテールにした黒髪を揺らしながら駆け寄ってくるその姿に、イヴは手を振って応えた。


「あ〜、ちょこちゃんだ。今日も元気~!」

「おおぉぉぉんっ! イヴさんもッ! ってかそのTシャツ、マジでやばくないですか!? 煮干しが飛んでるってどういう世界観!? 神ですか!?」

「ふふっ、分かってるね~」

 

 イヴは嬉しそうに胸を張った。スカイダイビングする煮干しのTシャツをつまんでちょこに見せつけながら、彼女の服にも目を向ける。

 

「ちょこちゃんもそのTシャツいいね! その……何だろう、エビフライがバトってる?」

「そう! 海老激闘Tシャツっていうシリーズの限定品なんだゾ⭐︎」

 

 ちょこは腰に手を当て、どや顔で胸元を突き出した。プリントされたエビフライが、タルタルソースの怪人を尻尾でぶっ飛ばしている様子が描かれている。まごうことなき変なTシャツだ。

 

「エビフライvs 怪人タルタルソース、涙の決戦ッ!」

「最高じゃん!」


 二人は思わずがっしりと握手を交わす。

 その場で『変T連盟』が即結成されたようなそんな意気投合具合だ。それは急に二人でポーズを取って自撮り始める始末である。謎のテンションで謎の友情が深まりつつあった。

 その様子を遠巻きに見ていた麗奈は、小さくため息をついた──が、その口元はほんのりと緩んでいた。

 店の扉が再び開いたのは、それから数分後だった。


 「すみませーん、三名で予約していた大神です」


 そう言って姿を見せたのは、香月。その隣にはクレア、そして一歩後ろに立つ白い肌に赤い瞳で黒いシルエットの──ロナルドだ。

 ロナルドはいつもの黒い法衣ではなく、カジュアルなロングコートを着ていた。吸血鬼というのは体温が低いらしく、夏が終わりがけの残暑の残るこの時期でもそんな服装をしているらしい。


「お帰りなさいませご主人様、お嬢様。Lilyshade Manorへようこそ。本日はメイド達が私服Tシャツを着ているお屋敷です。ごゆるりとお過ごしくださいね」


 陽子が笑顔で迎えると、香月は一瞬だけ表情を曇らせ、それをすぐに整えた。

 

「あ、ああ。そういうイベントなのは知ってる。……予想以上だな」


 そう小声でつぶやく。

 香月の目線はすでに、フロア中央で変なTシャツ論議で盛り上がる二人に釘付けになっていた。


「イヴ……まさか、思った以上に変なTシャツで来たな……ちょこ師匠も……」


 香月は眉根を上げたまま硬直し、ロナルドはなぜか神妙な顔で煮干しTシャツに目を落とす。その視線はまるで宗教画でも眺めているかのようだった。


「ふむ……煮干し……。なかなか、深いな……」ロナルドがうんうんと噛み締めるように頷く。「良いセンスだ」

「いや、ロナルド。それはきっと深読みしすぎだ」


 香月がすかさずツッコミを入れると、イヴはにこにこしながらポーズを決めてみせる。


「ふふっ、いいでしょ? このTシャツ。今日はTシャツデーだし、せっかくだから全力で楽しもうと思ってさ~!」

「いや、楽しむにもほどがあるって……いつも以上にすげえ変だ」


 香月が呆れながらも椅子に腰を下ろし、クレアとロナルドもようやく一息つく。


『楽しそうだね』


 ぽつりと言ったのはクレアだった。彼女はどこか他人事のように、けれど微かに目元を柔らかくしてイヴとちょこを見つめていた。


「……そうか?」


 香月がぼそっと返すと、クレアは肩をすくめて微笑んだ。


『そうだよ。……なんていうか、うまく言えないけどさ。ほら、ボク達の生活ってさ。魔術学院(アカデミー)を出てからは、どこか緊張感のある事も多かったじゃん。だから、良いなあって思うんだ。何も考えず、笑えるっていうか』

「……」


 香月は黙ってカップの紅茶を一口すする。口当たりのいいアールグレイの香りが広がった。

 クレアは店内の様子を眺めては楽しそうにしている。そんな彼女を見て、香月がしみじみとした返事を返した。


「……そうかもな」


 一方ロナルドはというと、未だにイヴの着る煮干しTシャツを神妙な顔で見つめたまま微動だにしていない。


「空を舞う煮干し……。なるほど、煮干しはカタクチイワシ──元より海の生物だ。だが海という『深層』から『空』という高みへと飛翔する姿、それに人の魂の昇華を重ねているのか……?」

「やめろ。製作者は絶対そんなこと考えてない」

 

 香月の即ツッコミにも動じず、ロナルドは頷いている。


「煮干しは深いな……さすがだ」


 クレアがそのやり取りにふっと笑うと、ちょうどイヴが客席の方へ戻ってきた。


「お待たせしました~! 香月君たち、よく来てくれたね。……ふふ、私のTシャツ姿どう?」

「そういう似たような感じのは何度か見た事あるから普通だよ。とびきり変なのはわかるけど」

「えー? そんな冷たいこと言わないでよ。今日のはとっておきのTシャツなんだから! ほら、これ、私が自分で自作したんだよ?」

「えっ、自作した!?」


 ついにイヴの変なTシャツ趣味は自作の域まで到達したのか。

 香月とクレアが揃って驚く。イヴは誇らしげに胸を張った。


「うん、手刷りのシルクスクリーンでね。ネットで道具買って、試行錯誤しながら作ったの! この『空飛ぶ煮干し』も、自分で描いたんだ~」

「そこまで手間かける情熱、どこから来るんだ……」


 香月は頭を抱えながらつぶやいたが、イヴはそれにもめげず、むしろ得意気にうなずいた。


「好きなことに夢中になれるって、すごく楽しいんだよ? ……ねえ、香月君も、なんか作ってみない? 自分だけのTシャツとか」

「いや、俺は遠慮しとく……」

「もったいなーい。香月君がデザインしたら、『変T界』に革命の風が吹くと思うのに!」

「いや、変T界って何だよ! そんな業界あんのか……?」


 そこへ、後ろからひょいと顔をのぞかせたちょこが、満面の笑みで香月に詰め寄ってきた。


「ウェーイ⭐︎ カヅキたん、いっそ今日の記念に『変T三銃士』になるってのはどう?みんなでTシャツプリントやるイベントとかやりたいゾ〜!」

「おい、なんか知らんけど巻き込まれてないか、俺……?」


 苦笑する香月をよそに、イヴとちょこはテンション高く話を続けていた。


「ロニお兄ちゃんもきっと似合うよね! なんかこう、『血を吸わない吸血鬼』って文字で黒いTシャツとかどう?」

「……それはやや皮肉が効きすぎているが、興味はあるな。いや、君の見立てならば何でも着よう。文字のフォントはゴシック体で頼む」

「いや、やる気満々かよ!」


 イヴとロナルドとのやり取りに、香月が半ば呆れていた。


     ◆


 そして、数時間後の事。


 閉店後のLilyshade Manor。スタッフたちは片付けを終え、ほっと一息ついていた。店内にはまだ、イベントの余韻と笑い声が残っている。


「ふぅ〜、今日のお給仕もお疲れ様でした! いや〜楽しかったですね~!」


 イヴが満面の笑みで他のスタッフ達に言いながら、スマホを取り出してその日撮った写真をチェックし始めた。ちょことのツーショット、みんなで乾杯した一枚、そしてもちろん、自慢の『空飛ぶ煮干しTシャツ』でポーズを取った写真も。


「これ、せっかくだし投稿しよっと! 『#変T連盟結成記念』っと……」


 イヴは何の気なしに、何枚かをまとめてファンも見ているSNSにアップした。

 だが、翌日──その投稿をきっかけにちょっとした騒動が起きる事はこの時点のイヴには知る由もなかった。

 そう、軽い炎上騒ぎを起こしたのである。


 

 

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