後編⊕
そうして二人のカラオケ勝負が始まった。
ルールは曲の間奏・終奏に入る直前の歌詞を歌ったらグラス一杯の焼酎の緑茶割りを飲むというのが基本ルールだ。
二人が歌う曲は『キラキラ☆ハートにクラッシュ!』、同年代の彼女達が幼い頃に見ていた女児向けアニメ『クラッシュ! ハートのプリ魔女シャイニーレインボー』通称クラプリの主題歌だ。この曲は何故かこの店で定着しており飲みゲーでの定番となっている。
しかしそのゲームルールは先程の間奏・終奏の他に、歌った歌詞の中に光の関係のワードが出てきたら一杯飲まなければいけないという『光ったらグイ』というルールも追加されている。そしてこの曲は歌詞に光関係のワードがかなり多い、被弾する酒の量が多い火力の高めのゲームだ。
清香がデンモクを握ってテンポよく画面を押すと、店の壁にあるテレビの映像が切り替わり曲のイントロが流れ始めた。
「懐かしいね……この曲。私、このアニメで人生決まった気がする」
「わかるぅ〜。私、いまだにミア様の誕生日にケーキ買ってるよ〜」
「かりんちゃん。推しの生誕祭ガチ勢じゃん……!」
「清香ちゃんこそぉ、ソーマくんの抱き枕まだ持ってんでしょ〜?」
「捨てるわけないじゃん……!」
やいのやいの言い合いながらも、二人の顔には笑みが浮かんでいる。焼酎の緑茶割りは曲の歌い出しが始まっていないのに既に二人ともニ杯目を迎えていた。だが、まだまだ余裕の表情だ。
イントロが明けると、まずはかりんがマイクを取った。
「キラキラかがやく~夢を追いかけて~!」
清香がすかさず「はい、いきなり二杯」と言ってグラスを差し出す。
「ええ〜? もう〜!?」
「『キラキラ』『かがやく』は完全に光ってます〜」
「ちょっとぉ〜早いよぉ〜。 まだ一番にも入ってないよぉ〜」
「ルールはルールです〜」
ぶつくさ文句を言いながらも、かりんはグラスを空ける。焼酎の濃さが舌に残るが、それを気合いで流し込む。
歌詞の画面が次の歌詞へ切り替わり清香も負けじと歌い出す。
「まぶしい未来へ~ステップ踏み出そう~♪」
今度はかりんがニヤリと笑う。
「はい、まぶしいー。アウトだよぉ~」
「……っく、やられた」
そう言いながらも、清香もまた一杯飲み干す。二人のグラスがまた一つ、テーブルの隅に並べられる。
間奏直前に差しかかる。
「ねえ清香ちゃん、そろそろアレ、来るよ?」
「わかってる。間奏の前の、『きらめきのなかで私達~』でしょ?」
二人はタイミングを見計らい、同時に歌い出す。
「きらめきのなかで私達~~!」
そう歌いながら、二人がお互いを指差す。『私達』というワードが入っていたから飲むという暗黙の了解だ。
そして間奏に入った瞬間、「はい乾杯!」と笑いながら、また二人とも一杯。
そして、きらめきと間奏で更に清香がもう二杯。
そうしてラスサビ前が来て終奏が迫る。
「ラスサビいっくよ~、清香ちゃぁ〜!」
「全力で受けて立つ、かりんてゃぁん〜!」
二人はそれぞれマイクを握り、ほとんど掛け合いのように最後のフレーズを歌い上げる。
「このひかりが未来を照らすの~~っ!!」
「はいはいはいはい! 『ひかり』に『未来』に『照らす』で三コンボ、からのラスト~~!!」
清香がテンション高く指摘し、かりんは笑いながらグラスを四連続で煽った。
一方、かりんもすかさず反撃する。
「ええ〜? 未来は光らないよぉ〜。これは間違いだから清香ちゃんも一杯飲まなきゃね〜♪」
二人はテーブルに用意されたグラスを順番に掴み、喉をかっ開いたかのように流し込んで、次々と緑茶割りをあおる。
酔いの波がどっと押し寄せてきても、気合いで押し返す。
なぜなら、負けたら悔しいからだ。
そんなカオスを、遠巻きに見ていた隣の席の三人組。
男二人に、女の子が一人。
「……なにあれ、めっちゃ楽しそう」
「ていうか、あんな飲み方ある!? やばくない?」
ひそひそ声も無意味なほどに、爆音でカラオケは続いていた。
興味を抑えきれず、三人は自然と立ち上がり、かりんたちのテーブルに近づいていく。
「すみませーん、なんかめっちゃ楽しそうだったんで……」
おそるおそる声をかけた瞬間──。
「おぉぉ~~いっ! 一緒に歌う~~??」
清香が満面の笑みで手招きした。
「今ね~、『光ったらグイ』っていう、超健康的な大会やってるんだよ~~!」
「健康的……?」
女の子がポカンとする。
「やるならグラス持って! 光ったら即一気! 間奏・ラストも一気!!」
完全にイカれたルールだが、バー全体に漂う空気はやたらとポジティブだった。
「……面白そうだから、混ぜてくださーい!」
三人は自然とグラスを手に取り、宴の輪に加わった。
◆
──午前6時、今日の便利屋の仕事は安易に予想できる地獄から始まった。それはかりんからの依頼のせいだ。
「おはようございます〜、大神便利屋事務所です。迎えに来たぞ、かりん……って、えええ……?」
香月がバー「セブンスヘヴン」の扉を開けた瞬間、まず感じたのは「空気の濃さ」だった。
酒と汗とシロップとカラオケの混ざり合った異様な熱気。夜が明けようというのに、空間だけがまだ深夜のテンションで止まっていた。
そして、その空間の中心にあったのは──
バーカウンターにズラリと並ぶ酒瓶、そして壊れた笑顔をしている姫咲かりんと一条清香の姿だ。この二人だけが閉店時間を過ぎて客も帰ってった店内でまだ深夜テンションのままだったのだ。
「わ〜、カ〜っヅキ君だぁ〜! おっはよぉ〜!! 朝だよぉ〜!!」
「大神きゅん、見るんじゃあこれー! マスターから秘蔵のお酒貰っちゃったぁ〜!」
二人は既に飲み過ぎて、何と言うか、まるでスーパーノヴァだった。自分で言っといて何言ってるかよくわからないがとにかく二人のテンションが高い。目のハイライトが逆に煌々と輝いている。
テーブルの上には、一升瓶サイズの焼酎やらウイスキーのボトルやら謎の緑色のボトルがざっと合わせて三十数本、ほとんど空の状態で並んでいた。
カウンター席の向こう、店の奥のボックス席ではこの店のマスターがぐったりと横たわっていた。二人に巻き込まれてだいぶ飲まされたらしい。
どうにか店の締め作業を終えてぐったりしながらも満足気な顔をしてこちらへ親指を立てていた。毎度この二人のめちゃくちゃな飲み方に付き合っているのだからもう慣れっこなのだろう。だが店の売上はこれだけの酒の枯らされ具合なら良い儲けは出ている筈だ。
「…………え? これ、何人で飲んだ?」
「私と、そこでさっきまで潰れてた新宿ナントカちゃんと清香ちゃん! あと他の人もいっぱい!」
かりんが胸を張って即答する。香月は思わず天井を見上げた。恐らくだが大半はかりん一人と途中から参加したであろう清香による物なのだろう。ていうか、その新宿ナントカって何者だ。
二人の酒の強さはよく知っていた。
他地域の支部との交流会みたいな事をした時に派手な飲み会があったのだが、周囲の面々が悉く潰れていく中で生き残ってたのがこの二人だ。
「……いやいやいや、物理的に無理だろ。これ、どんだけ酒好きでも一ヶ月では飲み切らない量だぞ……」
「すいません、つい⭐︎」
「つい⭐︎ じゃねーよ。限度ってもんを考えろよ限度ってもんを。お前この世界に転生してくる時に神様からの肝臓にチート性能でも貰ったのかってレベルだぞ……」
完全にキャパシティオーバーの光景に、香月はそっと眉間を押さえた。
「……さては、また清香に焚きつけられたな? お前」
「え〜? なにそれひどい〜! 悪いのは清香ちゃんだけじゃないもん〜! 私、頑張って自制心使ったもん〜!」
「おい、どこにだ!? どのへんにだ!? ここに空のボトル何本並んでると思ってんだ!?」
そんなやり取りの横で、清香がカスタネットを取り出し、
「オ・オ・ガ・ミ・くん! オオガミくん! お願いが〜ありまぁす♪」
と謎のテンポで手拍子を始める。いや、どこから持ってきたんだそのカスタネットは。
どうやらまだ酔いが抜けていないらしい。いや、寧ろこれは酔い過ぎてぐでんぐでんになってるパターンだ。まさに瀕死の状態だと言える。
またかりんに勝負を挑んで楽しんで無茶苦茶な飲み方をした挙句、楽しくなってきて回復魔術をこっそり使うのを忘れて自爆したパターンだろうか。
一方のかりんと言えば深めに酔っ払いながらも、印象は(普段から酔っ払ってる印象しかないが)そんなには変わっていない。相変わらず底抜けの酒の強さだ。
「……清香姉。もう、嫌な予感しかしないんだが?」
冷ややかな目で清香を見ると、彼女はバッと両腕を広げて言った。
「もう動けないから、抱っこ〜」
清香はほろ酔いどころか、魂ごと酔い潰れた顔でフラフラと香月に近づいてきた。
「オ〜ガ〜ミく〜ん! わたし達のこと回収して、どこに捨てにいくつもりなんじやあ〜?」
「人聞きの悪い事言うな! まず捨てる前提やめような? あと何で微妙に広島弁っぽいんだよ!」
目が据わった清香は、香月の袖をつかむと、無駄に丁寧なお辞儀をした。
「というわけで、清香姫は限界じゃ。お抱え騎士カヅキよ、ちゃんと我をお家まで搬送してたもれ〜」
「姫って、どこのファンタジー世界から来たつもりだよ……」
ふらりと身を預けてきた清香を、香月は半ば反射的に受け止めた。重い。というか、ほとんど無抵抗。
「つーか、自分で歩けるだろ。今ちょっとくらい酔ってても──」
「歩けるけど……歩きたくないの……今は重力が十倍なの……」
「ドラゴン〇ールの界王星かよ。酒のせいで重力バグらすな」
「ねぇ〜、大神きゅん。君が運んでくれなきゃ……私、ここで野生に還るよ?」
「その野生ってまさか……」
もしかして、リバースか。さすがに店の中ではまずい。この店のマスターに迷惑がかかる。
「やめろ、清香姉。さすがにそれはトイレで──」
止めに入ろうとする香月に向かって、清香はニッカリと笑った。
「そう、私は──タヌキになる。そして姫は朝ごはんはカレーうどんが食べたいんじゃあ」
「なぜタヌキ!? しかもそこは天ぷらうどんじゃなくてか!?」
もう支離滅裂だ。しゃがみ込んでモフモフの幻覚でも見ているかのように笑い始めた清香に、香月は溜息をついた。
「……もういいから、おぶってやるよ。変なところで寝られても困るし」
「やった〜! やっぱり私の騎士くんは優しい〜。愛してるぅ〜!」
ガバッと勢いよく抱きついてくる清香にしかめっ面をしながら、店の外へ連れて行く。
「……はあ、なんで俺がこんな目に……」
香月は深いため息をつきながら、夜風の冷たさも気にせずに店の前に停めた車のドアを開けた。ほぼ酔いつぶれかけの清香は、香月に持たれかかるようにぐったりとしており、隣でかりんがその背中をぽんぽんと優しく叩いている。
「うふふ〜、清香ちゃん、ほらほら、カヅキくんが来てくれたよ〜。もうすぐおうち行けるよ〜?」
「……お〜がみきゅぅ〜ん……あいしてるぅ〜……えへへ……」
「はいはい、わかったわかった。もう少し歩けるか?」
香月が呆れたように尋ねると、清香は足をもつれさせ、そのまま香月に倒れかかってあわや車に押し付けそうになる。
「うわっと……おい、重いっての……」
「ふふ〜、清香ちゃん、酔いすぎちゃったね〜。でも、そういうところもかわいいんだよねぇ〜?」
かりんはまったく緊張感のない笑みを浮かべながら、香月の肩に軽く寄りかかる。
「ちょ、かりん、お前まで何やってんだよ……っ。せめて手伝えって」
「えへへ〜、ごめんね〜。カヅキくんが頼りになるから、つい〜」
香月は頭を抱えながらも、清香の腰を抱えるようにしてなんとか車の後部座席へ運び入れる。その間もかりんは後ろからとことこ歩きながら、どこかのんびりした声で励まし(になってない)言葉をかけ続けていた。
「がんばれがんばれ、カヅキくん〜。あとちょっとで任務完了だよ〜」
「任務って言うな……」
ようやく清香を車に乗せ終わり、香月は助手席のドアを開けてかりんに促す。
「ほら、次はかりん。おとなしく乗れ」
「うん〜、ありがと〜。カヅキ君って、ほんと頼りになって優しいねぇ〜」
「へいへい、酔っぱらい姫どもの回収依頼完了っと」
かりんは楽しげに微笑みながら、ふわりと助手席に乗り込む。香月は運転席に戻ると、ルームミラー越しに後部座席でうとうとする清香を確認し、疲れ切ったようにシートにもたれかかった。
「ったく、俺はベビーシッターじゃねえんだよ……」
「うふふ〜、ベビーってほどじゃないよ〜。でも、かっづきくんになら甘えちゃってもいいかなぁ〜って、思ってるよ〜?」
香月は思わず無言になり、ハンドルに額を押し当てる。
「……もう帰る。さっさと送って寝る。依頼料は後でちゃんと請求するからな」
そんな香月の横で、かりんは上機嫌で鼻歌を歌い始めた。
運転席から見える春の朝焼けが眩しく感じた。
「ところで、かりん。こんな話、知ってるか? 名古屋の飲み屋街でまことしやかに囁かれてる噂なんだが……」
「ん〜? どんな話〜?」
かりんが小首を傾げて、車を運転する香月の方を見てニヒ〜と笑う。その表情を横目でチラリと見て、香月は嫌そうな顔をした。
「……何でも、ありとあらゆる酒を飲み干して店の在庫を全部空にしちまう、酒呑童子みたいな女妖怪が出現してるらしいぞ」
「へえ〜、妖怪? それじゃあ、お店の人たちは大変だねぇ〜。ちゃんとお勘定とかしてくれるのかな?」
「……多分、かりんの事だぞ」
香月がそう言うと、かりんは一瞬目を丸くしたが、すぐにふにゃりと笑ってみせた。
「えへへ〜、でもちゃんとお金は払ってるもん。マスターにも『こんなに飲んでくれるなら、店が潤うよ』って喜ばれてるんだよ〜」
助手席で腕を組み、得意げに胸を張るかりんに、香月はため息をついた。
「……いや、払ってるのは偉いけど、許されると思ってるところがもう妖怪なんだよ、お前は」
「え〜、ひど〜い。でも妖怪でもいいよ〜。だって、楽しく飲めたんだも〜ん」
後部座席の清香が「お〜がみ〜ん……妖怪〜……」と寝言のように繰り返すのが聞こえてくる。どうやら無意識でも会話に参加しているらしい。
香月は苦笑し、ルームミラー越しにその姿を確認しながら、小さくつぶやいた。
「……まったく、朝っぱらからこのテンションに付き合わされるとか、どんな修行だよ」
「え〜? 香月くん、私たちと一緒にいると毎日が修行みたいで楽しいでしょ〜?」
「俺をどこぞの戦闘民族みたいに言うなよ。若い男の子に散々酒飲んだ後の後始末させるって、大概な話だろ。今度、色々話を盛りに盛って千杯鬼姫の噂を広めてやるからな」
「ええ〜、やめてよ〜」
顔を顰めて見せるかりん。その後、ふと助手席の窓の外をぼんやり眺めた。しばらくして、ぽつりとつぶやいた。
「……都市伝説って、こうやって生まれるんだね〜」
「何が?」
「だってさ、ただ凄いお酒が飲める女の人が店で楽しんで帰るだけの話なのに、それが噂になって、伝説の酒豪だとか妖怪だとか、いろんなバリエーションで言われちゃうんだもん〜」
香月は苦笑を深め、軽くハンドルを切った。
「……かりんと清香姉の場合、量が異常なんだよ。そのうち、その噂を元に日本酒でも作られるんじゃねえか? 『千杯鬼姫』って名前の」
「えへへ、それも悪くないかも〜?」
春の朝焼けが街を照らし始め、酔っ払いたちの小さな冒険の終わりを、優しく包み込むようだった。




