10.選ばれた者達4⊕
「──例の件、報告が上がってきました。件の少女、どうやら『言葉』が現象を引き寄せているのかもしれません」
ジェイムズの声は淡々としていたが、言葉の裏には珍しく興奮が滲んでいた。
彼が差し出した資料には、愛知県内のとある教皇庁傘下の中高一貫の女子校の名前と、そこに所属する一人の少女の観察記録が添えられていた。
『今日、学校が爆発して休校にならないかなと言ったら本当に学校が爆発した』
何を言ってるかわからないが、その現象は実際に起こってしまった事だ。偶然や心理誘導では説明のつかない、魔術的な作用を確かに孕んでいた。
「この子、ホントに人間ですか? もし本当なら第一世代魔術の理想形……いや、魔法の領域に軽く脚を突っ込んでいる話ですよ」
ジェイムズが冗談めかしてそう言ったのに対し、陽子は目を細める。
「うん、そうだね。それが制御出来ていればの話だけど──」
彼女はすでに、その報告にある少女の名前に見覚えがあった。
当たり前だ。いずれの周回でも一年半後、彼女が高校生に上がった時点で店のアルバイトとして雇うからだ。
数日前、ロナルドから受け取っていた連絡。
『貴女が言っていた少女との連絡は取れた。そちらに合わせる形で話を通しておいた。あとは直接、会ってみてくれ』
それだけの簡潔な文面だったが、ロナルドの性格を思えば、よほど気に入ったか、あるいは慎重を要する存在だと見ている証拠でもある。
資料に添えられた写しの一枚に、少女が制服姿で写っている。長く伸ばされた黒髪に、くりくりとした大きな瞳。可愛らしい子だ。
だが、この少女にはこの年代の少女らしい多感さとも、演技とも違う。何か異質なものがあるのだ。
陽子はゆっくりと席を立った。
懐から、小さな花の紋が入った銀のブローチを取り出し、ケープコートの襟に留める。
──彼女も夜咲く花々の廷にとって重要なメンバーだ。
それは陽子にとって決まっている事だった。何度周回しようと、どんな未来が訪れようと、変わらないいくつかの“定数”がある。そのひとつが、この少女の存在だ。
だからこそ、ここから始まる“儀式”もまた、毎度同じ流れで始まり、同じ結末に収束する。
数日後。開店前のL’ami de Roseの店内。未来で彼女が夜神ちょこの源氏名で働く事になるその空間に、陽子はご招待という形で彼女との接触の場を設けた。
陽子はテーブルに紅茶を二つ用意させると、窓辺の席に腰を下ろし、扉が開く音を静かに待った。
カラン、と澄んだ音を立てて扉が開いたのは、約束の時間ぴったりだった。制服姿の少女が、恐る恐るといった様子で店内を覗き込む。彼女の眼差しには警戒と、わずかな興味が混ざっていた。
まだ、清楚系ギャルみたいなメイクもしていない、ネイルもしていない。そして、あのクセの強い口調も使っていない、素のままの彼女。年相応のあどけなさが残る表情は、まだ夜神ちょこという仮面を持たないただのひとりの少女だった。
その素朴さが、むしろ陽子にはまぶしく映った。だからこそ、彼女はいつもこの時点で接触する。まだ何色にも染まっていない今だからこそ、育てる価値があると信じているのだ。
「いらっしゃい。どうぞ、こちらへ」
陽子の声に促されて、少女は一瞬だけ躊躇うも、ゆっくりと歩を進めた。彼女の動きにはどこか、世界を測るような繊細さがあった。自分が踏み出す一歩が、この空間にどんな影響を及ぼすのかを、直感的に理解しているかのような。
席に着くなり、少女は一言も発さずに紅茶に視線を落とした。その指先がカップに触れた瞬間、ティーカップの表面に揺らいだのは、わずかな魔力の震えだ。
カップの水面に浮かぶ波紋を眺めて陽子は言う。
「やっぱり、貴方はそういう子なんだね」
陽子の口元に、意味深な微笑が浮かんだ。
「言葉が現象を呼ぶ……あなたが今、それを制御できている自覚はあるかしら?」
少女は首を横に振る。
「……わかりません。でも、たまに『起きろ』って言ったら本当に起きるし、『テスト中止になれ!』って言ったら先生がインフルになったこともあって……正直、ちょっと怖いです」
その告白に、陽子は深く頷いた。
「恐れるのは当然だよ。でも、それは──贈り物でもあるわ。あなたには、古典魔術……詠唱魔術への優れた資質がある。貴方の『言葉』は本来なら長年修練を重ねた魔術師がやっと到達する領域なの。けれど……」
彼女の視線が、まっすぐに少女の瞳を射抜いた。
「それを誤って使えば、あなた自身が世界の災厄になる可能性もある。だからこそ、私はあなたに『言葉』の本当の意味を教えなきゃいけないの。──それがどれだけの力を持っているかをね」
少女の瞳が驚きに見開かれる。そのまま、言葉を失ったように数秒。
やがてぽつりと漏れた声は、恐る恐る、けれどちょっとだけ期待混じりで。
「……あの、それって……つまり私……ええと、『僕と契約して魔法少女になってよ!』ってことですか……!?」
陽子は、この唐突な発言に思わず紅茶を吹きかけそうになった。
そうなのだ、忘れていたが彼女がコンカフェのキャストになってから見せるクセの強いキャラクターの片鱗は既にこの時点であったのだ。これも、いずれ開花していく彼女の才能だ。
「いや、違う違う。そうじゃない。確かに魔術は教えるし、大きくなったらいずれ可愛い制服も着てもらうし……惜しいんだけど、全然違う。むしろそれ、ちょっとヤバいやつだから」
そう言って陽子が苦笑すると、少女は気まずそうに俯きつつも紅茶にそっと口をつけた。
陽子は、それを見守るように少しだけ椅子にもたれかかる。そして柔らかな口調のまま、しかしその声にはどこか含みがあった。
「……でも、ある意味、近いかもしれない。魔法少女っていう呼び方はちょっとアレだけど。あなたがこれからやることは、きっと似たようなものだよ。『選択』をして、『責任』を持って貰う事になるから」
「責任……ですか」
「そう。私達の元に来れば貴方の『言葉』は、もはや願望でも呪いでもなく、現象の引き金になる。現実を非現実に変えるトリガーと言っても良い。それだけの力を持つ事になるんだよ」
少女の紅茶を持つ手が、ほんの少し震えた。
陽子は、少女の指先に現れたその小さな震えを見逃さなかった。
「怖がらなくていいよ」
柔らかな声に、少女がゆっくりと顔を上げる。その瞳には、まだ揺らぎと不安が残っていたが、同時に一縷の覚悟のようなものも宿っていた。
「貴方は……選ばれてこうなったわけじゃない。ただ、なってしまっただけ。だけど、それでも、どうするかは自分で決められる」
陽子の言葉は、重くも優しかった。少女は、少しだけ口を開いて何かを言いかけたが、すぐに閉じた。そしてもう一度、紅茶に口をつけた。
静寂の中で、ティーカップがカチリと皿に戻される音が鳴る。
「……じゃあ、もし私が、その責任から逃げたら?」
少女の問いは、挑むようなものではなく、ただ確かめるような響きだった。
陽子は微笑を崩さずに答える。
「その時はね、きっと世界がそれを許してくれないだうね。あなたが望まなくても、貴方の『言葉』が、貴方を引き戻すよ。もう、逃げられないところまで来てるんだと思って良い話なんだ」
その言葉に、少女はまた黙り込んだ。
窓の外では、春の風が街路樹の若葉を揺らしていた。穏やかで、どこか懐かしい午後の空気。けれど、陽子の瞳の奥には、何度もこの“はじまり”を見届けてきた者だけが知る、未来の痛みと、諦めにも似た執着が見え隠れしていた。
「……名前、なんて言うんですか?」
少女の問いに、陽子は少し驚いたように目を見開き、それからゆっくりと頷いた。
「陽子。史門陽子。ここのオーナーであり、魔術師による秘密結社『夜咲く花々の廷』の代表でもある。そして、貴方のこれからの先生だよ」
少女は陽子の名を胸の中で繰り返すように小さく呟くと、小さな声で続けた。
「私……言葉が怖いけど、でも……自分が何者なのか、少しは知りたい。……だから、もう少しだけ、話を聞いてもいいですか?」
陽子は静かに笑った。その笑みには確かな喜びと、同時に覚悟がにじんでいた。
「もちろん。話はここからが本番だよ。ようこそ──魔術師の世界へ」
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