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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode EX『史門陽子は託されている』
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8.選ばれた者達2⊕

 午後の雑踏に紛れるようにして、その男は姿を現した。名古屋の茹だるような暑さの中、男は上下きっちりとスーツを着込み、汗一つ見せぬ涼しげな顔で、しかしどこか張り詰めた空気を纏いながら、雑居ビルの階段を静かに上っていく。


 三階。その奥まった場所にひっそりと佇む扉には、Chaton(シャトン) Mystique(ミスティック)と洒落た書体で記されたプレートが掲げられていた。


 男は一つ深呼吸し、ドアノブに手をかける。


 カラン──とドアベルが鳴った瞬間、空気がわずかに震えた。



挿絵(By みてみん)



「……お邪魔します。オーナーの……陽子さんはいらっしゃいますか」


 店の入り口に立っていたのは、濃紺のスーツを隙なく着こなした英国人の青年だった。流暢な日本語で、フロアにいた従業員へと丁寧に声を掛ける。

 彼の名は、ジェイムズ・ウィルソン。


 かつて魔術学院時代、『黒の姫君の犬』と呼ばれた彼は、陽子に幾度となく告白しては、淡く笑って振られ続けていた。だが今や、世界各地の魔術事件を担当し、日本中部支部でも支部長候補の一人と目される若手エリート。あの頃のあどけなさは消え、今は精悍な、一人前の男の顔をしていた。


「お帰りなさいませ──って、あら。懐かしい顔だね。今日来るのはわかってたよ」


 カウンターの奥から現れたのは、黒猫耳のカチューシャに黒を基調としたメイド服姿の陽子だった。

 芝居めいたその出で立ちは、しかし不思議と板に付き、どこか板についた存在感を放っていた。


「んん〜、やっぱり学生の頃のひよっこ感はもうないね」

「……俺は、あなたの言葉どおりに。あなたにふさわしい男になってきたつもりです。その──私と」

「待った」


 陽子は一本の指を唇の前に立て、ジェイムズの言葉を遮った。


「その先は、ここじゃダメ。まあ、お約束みたいに断るんだけど……お店のルールでそういうの(・・・・・)はNGなんだ。ほら、まわり見てみて?」


 ジェイムズが視線を店内へ向けると、数人の客たちが紅茶を片手にくつろぎながらも、二人の会話に興味を向けていた。中には明らかな敵意すら感じさせる鋭い目つきで彼を見つめる常連もいる。

 


──どうやらこのメイドカフェというものは、目当ての従業員に密かな想いを寄せながら通う場所らしい。

 そして、陽子に対して本気の想いを抱いている客も確かに存在するようだ。彼らの感情は、空気越しに伝わってきた。


 ジェイムズは小さく咳払いをし、背筋を正す。


「……失礼しました。つい、昔の癖が」

「ふふ、そういうとこ、相変わらず可愛いと思うけどね」


 陽子は軽やかにウインクを一つ。

 その仕草に、ジェイムズの耳が赤く染まる。あの頃、憧れのように見上げていた高嶺の花とはまた違う、舞台の上の役者のような、計算された美しさがそこにあった。


 それでも彼は呼吸を整え、落ち着いた声で言った。


「……本題に入っても?」

「どうぞ。そっちの方が、今の貴方らしい」


 陽子はカウンターを回り込み、奥の一枚の扉の前で立ち止まった。

 空気が変わった。まるで現実の皮膜を一枚、剥がすような感覚。


「ここから先では、私はChaton(シャトン) Mystique(ミスティック)のヨーコじゃない。オーナーとしてじゃなく、君の旧い知り合いとしての私が待っている。さあ、入って」


 鍵が回り、音を立てて扉が開く。

 その先に広がっていたのは従業員用の更衣室も兼ねた事務室とキッチンだった。

 二人で中に入り、扉を閉めると陽子がポツリと言う。


「ちょっと静かにしててね。工房に案内するよ」

「……ええ」


 ジェイムズが頷くと、陽子が静かに息を吐く。そして、天井に向かって右手を掲げ──指を鳴らした。


Let(レット) us(アス) party(パーリィ),tonight(トゥナイ)《さあさ、旧い友人を歓迎しようじゃないか。ようこそ、私の城へ》」


 陽子が厳かに告げると、視界が一変する。

 

 ──まるで異世界だった。


 喧騒の一切を締め出した、静謐で幻想的な空間。

 西洋の古城のような意匠を持ち、重力すら忘れそうな魔術の濃度が辺りに満ちている。


 二人がその場所に現れると同時に、空間は静かに脈動を始めた。

 ジェイムズの肺に触れる空気が、わずかに重く、甘い。


 天井には古びたシャンデリア。壁にはぎっしりと魔術書が並び、中には魔術協会の禁書目録にさえ登録されうる書物がいくつも含まれているのだろう。机の上に無造作に置かれた魔道具たちは、いずれも何かしらのジェイムズにとっては未知の力を孕んでいるように見えた。


「……さすが、陽子さん。魔術師としての格が違う」


 その称賛に、陽子は背を向けたまま、ふっと鼻で笑った。


「今さら感心されても困るなあ。貴方だって一流の構成員(エージェント)なんでしょう? ──それとも、こういう領域(・・)にはまだ慣れてない?」


 彼女が机上の魔道具にそっと指先を触れると、それがふわりと浮かび、淡い光を放ち始めた。その瞬間、部屋全体の魔力が彼女のもとへと流れ込み、陽子を中心に空間がわずかに震える。


「……俺は、まだあなたに追いつけていない気がします」


 その声音には、少年の頃の名残があった。

 だが瞳は、ただ彼女を追いかけるだけではない、自分自身の意志を抱く男のものになっていた。


 陽子は静かに目を細め、そしてようやく、彼に向き直った。


「でもね。若くて夢見がちだったジェイムズ君は、私との約束通り一人前になって戻ってきてくれたでしょ。──それじゃあ、本題に入りましょう。私にとっては何度も繰り返してきた出来事だけど……貴方にとっては、初めての事だからね」

「……繰り返してきた?」


 ジェイムズの眉がわずかに動いた。


 だが陽子はその問いに答えず、指を鳴らす。

 それを合図に、工房の奥の壁が音もなく左右に開き、隠された可動棚が現れる。


 そこには、時代も言語も国籍も異なる魔術記録──巻物、羊皮紙、魔導書がぎっしりと並んでいた。


 陽子はその中から、一冊の革表紙の本を取り出した。表紙には何の題字もない。だが、ページが開かれた瞬間──空間がきしむほどの魔力が弾けた。


「……これは、エリオット師匠が生前に残した時間魔術に関する覚書──私達だけが読めるように、魔術書の形に仕立て直したもの」


 ページを覗き込んだジェイムズは、びっしりと描かれた意味不明な記号と幾何学模様に目を凝らす。


「これは……暗号?」

「そう。私たちしか読めないように作られてる。師匠が学生時代に出した、あの暗号課題を応用した物。記憶と、絆で読み解く魔術書だよ」


 陽子が幾何学模様の一部を指でなぞると、符号と記号が言葉へと変わるように、ジェイムズの脳裏へ意味が流れ込んで来たような感覚があった。


「──懐かしい。まさか、あの頃の遊びみたいなエリオット先生の暗号読み競争が、こんな風に役に立つとは」

「遊びじゃなかったのよ。エリオット師匠は、私に──ううん、私だけじゃない。私達に託してくれてたの」


 二人の視線が、開かれたページに宿る文字へと重なる。

 時間を超えて、託された魔術。


「それで、本題。私は、エリオット師匠に未来の行く末を託されている。……世界が崩壊するかもしれない未来を」


 ジェイムズの瞳が揺れた。


「──崩壊、とは……?」


 陽子は本を閉じ、静かに呟いた。


「始祖人類の先祖返りだよ。聞いた事ない? 魔術師にとって神にも等しい最高の魂の器だよ。教皇庁に神の子の再臨として保護されている子供が名古屋に居る。彼女は今から十五年くらい先にその肉体を奪われて、魔術協会は壊滅、隠匿されていた魔術は世界に拡散される。そして──世界は滅びる」


 ジェイムズの喉がゴクリと鳴った。


「それはエリオット先生を殺した人物と何か関係が──?」


 ジェイムズが問いを投げかけた瞬間、陽子はふと目を伏せた。

 まるで、言葉を選んでいるような沈黙。

 いや──それは、選んでもなお、語るべきかを迷うような、重く沈んだ沈黙だった。


「……さあね」


 ぽつりと零したその一言は、何よりも曖昧で、何よりも決定的だった。


「私にも、それはわからないんだ。師匠は頑なにその詳細を話してくれなかった。あの時、何が起こったのか……本当に、全てを知っている人間がいるのかどうかすらも」

「……エリオット先生はああなる事はわかっていたと?」

「そうだよ。師匠も、私も、魔術学院のあの研究室であの事件を何度も何度も経験している。死んだ時点で未来の記憶を過去に飛ばして、何度もあの時間を周回しているんだ」


 陽子は革表紙の魔術書を胸元に抱きしめるようにして、ふっと息を吐いた。


「……私も、エリオット師匠も時の回廊に閉じ込められた魔術師の一人なんだよ。それぞれ違う時代には居るけれど。まるで呪いかもね」


 この部屋の外、広がる魔術空間の景色を眺めて遠い目をする。


「……ようやく、だよ。もう何十目の周回かも正確には忘れたけど、前回の私は君の未来の部下である大神香月少年に記憶を過去に飛ばす魔術を仕込むことに成功した」


 その言葉に、ジェイムズは黙って耳を傾けていた。彼には因果を超える力などない。ただ、この場にいることを選び、ここに立っているだけだ。


「毎回ね、どれだけ築いても全部壊れるんだよ。人間関係も、信頼も、想いも。そうして、未来を守れずに死んで。全てがリセットされる世界で、私はずっと一人だった。……エリオット師匠を除いて」


 陽子はふっと笑った。懐かしさというより、あきらめに似た笑みだった。


「でも……今回は少しだけ、違う気がしてる。いや、違う筈なんだよ。君の未来の部下が私からのバトンを未来で継いでいるんだ。私が蒔いた種が、ようやく芽吹いた」

「よくわかりませんが……ええと、つまり……その世界崩壊の未来が待っていてその未来を変えられるかもしれないって事ですか?」

「……うん。まだ可能性の話だけれど、そんな確信をしてる。希望っていうにはまだ小さすぎるけど──それでも、ようやく何かが動き始めた気がするの」


 陽子はジェイムズに視線を移す。その眼差しには、信頼と、ほんの少しの申し訳なさが宿っていた。


「……だから、私が──私達が目指した未来に辿り着くために協力して欲しいんだ。私が作る秘密結社に。残念ながらジェイムズ君には因果律を超える資質は無い。でも、私にとって未来を守るためにはどうしても必要な人なんだ、君は」


ジェイムズは肩をすくめた。


「……ようやく、魔術も使わずに食堂に来る二十人を言い当てた謎がわかりましたよ。本当、貴方は酷い人だ。俺の気持ちをわかりきってて、俺に賭けを持ちかけた挙句、あんな大掛かりな約束までさせて。……でも、最後まで付き合いますよ。どんな事があろうと。俺は覚悟を決めてここに来てるんですから」


陽子は目を伏せ、小さく頷いた。


「ありがとう。そう言ってもらえるのは、わかってたよ。……じゃあ、始めようか。これから、大変な事になるよ、未来の日本中部支部長さん」


 その言葉に、ジェイムズは目を見開いた。そうして、目を伏せる。

 少しの文句も言えるくらいの冗談めかした口調。その裏に隠れた、落胆と、それでも変わらずに覚悟を決めた決意は、陽子にも痛いほど伝わってきた。

 本当に彼が向けてくれる気持ちをわかっている──それでも、彼に一生を賭けさせるようなことをどの周回でも繰り返してしまっている自分が、どこか心苦しく感じられる。この日を迎える度に彼への感謝を感じざるを得ない。


 彼は顔を上げると、何かを言おうとした。


「あの……陽子、さん」

「うん?」


 ジェイムズが静かに名を呼ぶと、陽子は彼の目を見つめた。

 彼がこれから言おうとしていること──いいや、そんな物は何度も何度も繰り返してもうとっくにわかっている。

 そのことを、陽子は微かに目を細めながら、小さく笑った。


「──私はジェイムズ君の運命の相手が誰か、知ってる。だから……ごめんね。答は、いいえだよ」


 ジェイムズが言葉を紡ぐ前に、陽子は優しく、けれども確固たる意志で答えた。

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