9.始祖人類の先祖返り⊕
「ほら、早く行こうよ〜」
かりんはご機嫌な様子で先頭に立って歩き、香月とクレアも後に続いた。マンションの外に出ると雨足は止んでいた。辺りはすっかり暗くなっており街灯の明かりだけが道を照らしていた。まだ冬の名残の冷たい風が吹き抜ける。
三人は満月亭へと向かう。満月亭のある雑居ビルの前に来たところで、香月が突然足を止めた。
「ん〜? どうかしたの〜?」
かりんが尋ねると彼は自動販売機の陰に隠れている人物を顎で示して答えた。
「二人とも下がっていろ。ディヴィッドの手先だ」
見るとそこには、港区の倉庫に居た神父風の男が居た。
「吸血鬼の再生力ってのは半端ないんだな。トラックにぺっちゃんこにされても生きてやがる」
「貴様……」
声をかけられ香月の姿を確認すると、男が怪訝な表情を向けて身構える。臨戦態勢だ。それに合わせるように両拳を顔の前に上げた。
「来いよ、吸血鬼」
「フン……」
互いの視線がぶつかり合う。先に動いたのは神父風の男だった。姿勢を低くすると一気に間合いを詰めてきた。その動きに迷いはない。そのまま駆け出すと、握り込んだ投げナイフを前に突き出してきた。
しかし、香月は後ろ足に重心をかけてそれを避けると、すれ違いざまに彼の腕を掴んだ。そして勢いのままに投げ飛ばすと背中から地面に叩きつけた。
「がァッ……ッ」
肺の中の空気が強制的に押し出され、男はよろめいた。だがすぐに立ち上がり再びナイフを構える。
しかし香月はそれを待たなかった。今度は下からすくい上げるような蹴りを放った。その強烈な一撃に男の体は浮き上がった。
「Enhance《肉体強化》!」
香月が魔術の発動の言葉を発する。左の肩甲骨あたりが熱を帯び、魔力が身体中を駆け巡る。上空にいる男に対して追撃をしようと、両脚を広く構える。
「クッ……」
迎え打とうと男が空中で体勢を整え、投げナイフを構える。香月が男に向かって飛び上がり、男との距離を詰めた。お互いの攻撃が互いに迫るその瞬間だった。
「やめないか!」
突然、ジェイムズの声が響いたかと思うと香月と男の距離が離れるように互いに宙へ放り投げられた。ジェイムズが二人の腕を掴んで投げ飛ばしていたのだ。
「まったく……何となく嫌な予感がして外に出てみれば……。味方同士で殺し合うつもりか!」
二人が着地する。ジェイムズがそう声を上げるのに、香月は驚いた様子で言った。
「味方だあ? どういう事だジェイムズ。こいつはディヴィッドの手下の魔術師じゃないのか?」
「さっき言ってた教皇庁からの使者だよ」ジェイムズがため息混じりに答える。「検邪正省所属のロナルドさんだ」
ジェイムズが手のひらを男に向けて、三人に紹介する。ロナルドと呼ばれた男は手にしていた投げナイフを袖の中にしまった。腕に鞘が仕込んであるらしい。
「失礼した。魔術協会の方だとは知らず。初めまして、ロナルド・ディオです」
ロナルドはかしこまってそう言うと、頭を下げた。ジェイムズが促すように言う。
「ロナルドさん、ここでは何ですので我々の拠点の方まで」
それに従い、ロナルドはビルの中へ入っていった。それを見送り、ジェイムズが三人の方へ向き直った。
「さあ、お前達も。上に上がってくれ──うおっ⁉︎」
言いかけ、何かが勢い良くぶつかってきたのにジェイムズが思わず驚きの声を上げた。
「きゃー! ジェイムズぅ〜! 相変わらずかっこいい〜!」
「わかった! かりん、頼むからくっついてくるな! ここから真面目な話なんだ!」
ぶつかってきたのはかりんだった。ジェイムズの首に腕を回して、抱きついている。
「離れ……離れろって、こら! おい、二人とも! こいつをどうにかしてくれ!」
ジェイムズがかりんの肩を押してどうにか離れようとするが、かりんがしきりに抱き寄せようとしてくるので上手く剥がせない。香月とクレアに助けを求めるが、二人はその様子を傍観するだけだ。
「……あれも普段通りだ。ジェイムズの奴、多分こうなるのが面倒で俺達にかりんを呼びに行かせたんだろうな……」
そう香月が言葉を漏らすと、隣にいたクレアに視線を向けた。そこには両腕を広げて何やら期待の眼差しを向けてくるクレアの姿があった。相変わらず表情の乏しい顔で、伝声魔術ではなく直接その口で声を発した。
「……ん」
「ん、じゃねえよ。やんねえよ」
ジェイムズとかりんの様子を見て、クレアが何を期待したかはわかりきっていた。呆れたように香月が断るのに、クレアはぷくーっと頬を膨らませた。
「……ケチ」
「ケチじゃねえよ」
「……じゃあ、ボクから」
「それもさせねえよ」
近づいて来ようとするクレアの頭をやんわりと押さえる。そんな会話を交わしている二人に向かって、かりん一人にもみくちゃにされているジェイムズが嘆きの声を上げた。
「二人とも! 頼むから見てないでかりんを止めてくれぇぇぇっ‼︎」
◆
どうにかこうにかジェイムズからかりんを引き剥がす事ができた後、四人は五階までエレベーターで上がって満月亭の扉の前まで来た。
普段であれば内側からジェイムズに開けて貰わなければ異界化された満月亭の店内に入る事ができないようになっている。
ジェイムズが満月亭に入る際は、魔術空間への入り口を開く為に店の扉に簡単な魔術陣を描いて開錠するらしい。
今回は、客人が来る予定もあったのもあり、満月亭の入り口は繋ぎっ放しになっていたようだ。先に行っていたロナルドは既に店内に居た。イヴが座っていた席から少し距離を離すようにしてカウンター席に座っている。
イヴは初対面の人物と同じ空間という事もあり緊張している様子だった。あの寡黙そうな仏頂面の男がいきなり店に入ってきて二人きりになったともあればそうなるのも無理もない事だろう。
「ロナルドさん、イヴさん。お待たせして申し訳ない」
ジェイムズがそれぞれを見、深々と頭を下げる。
「えっと、私は……」
「いえ、構いません。支部長殿」
二人がそれぞれ返事をする。
ジェイムズが目配せをして香月・クレア・かりんの三人をボックス席の方へ座らせた。
その場に全員が集まったのを察して、ロナルドが席を立った。
「改めまして。教皇庁検邪正省所属、魔術師専門の祓術師をしているロナルドです。今回、貴方たちに協力するようにと上役から指示を受けました」
「検邪正省がか? 教皇庁の裏組織が何故魔術協会に協力を?」
香月が眉をひそめる。するとジェイムズが言った。
「本人には知られてはいなかったそうだが……」ジェイムズがイヴの方へ視線を向ける。「元々、彼女は教皇庁の護衛対象になっていたそうだ。それこそ、彼女が幼い頃から密かにずっとな。それでイヴさんが誘拐されてその行方を追っていた所、ディヴィッド・ノーマンが関わっている可能性があると踏んでその行方を追っていたんだそうだ」
「ふうん……」
「お前達が彼女を連れ出した後のタイミングで救出作戦に入ろうとしていたらしい。それでトラックで連れ去られるイヴさんを見て、お前達に攻撃を仕掛けた。相手はディヴィッドの配下の者だと思ってな。つまりな、海運倉庫でお互いにやり合ったのは、互いに勘違いだったんだよ」
ジェイムズの説明に、ロナルドはコクリと頷く。
「そのようです。あの後、肉体の再生に時間がかかってしまって。後日、上役から魔術協会の協力を得る事にしたと聞いたのはつい今朝の事です」
「だけど、教皇庁は何故イヴを護衛対象にしていたんだ?」
「それは──」
ロナルドがイヴの方を向いて、その様子を伺う。今まで本人には知らされていなかった事情を考えてみると、イヴに伝えて良いものかという迷いがあるように見えた。
その迷いを振り払うようにロナルドがかぶりを振ると、重々しく口を開く。
「……彼女が、神の子の再臨である可能性があったからです」
「どういう事だ?」
香月が眉を顰める。ロナルドは続けた。
「彼女は教皇庁にとって信仰上重要度の高い人物という事です」
「神の子の再臨ってのは何なんだ?」
香月が尋ねた。ロナルドがイヴを見やる。
「神の子が受肉し、地上に降りて再び復活する事です」
「復活〜? 死んだ人間が生き返ったって事なの?」
かりんが首を傾げる。それにロナルドは静かに首を横に振った。
「いいえ。彼女自身が蘇生したという話ではありません。肉体ではなく魂が再臨するのです」
「よくわかんねえな……肉体はどうなるんだ?」
香月も理解し難いといった様子で尋ねる。
「神の子は、肉体に縛られていません。魂が肉を持ってこの世界に顕現するのです」
「なんか……神様みたいだな」と香月が言うのに、ロナルドは頷いた。
「はい。神の子と呼ばれる存在は子なる神。神そのものと同等と考えて良いです。その肉体と魂は神性を持つと言われています」
「つまり、イヴは神様って事で良いのか?」
香月が確認するように問う。ロナルドが頷いた。
「はい。教皇庁ではそう考えていました」
「だが、そんな存在が何でイヴの可能性があるんだ? そんなの宗教界に限った話じゃないだろ?」
「それは俺から説明しよう」
香月の言葉に口を挟むようにジェイムズが言う。
「教皇庁の方ではそういう考えなんだが、魔術師の世界では彼女は神に匹敵する力を持つ肉体として考える事ができる存在なんだ。ほら、前に俺が引っかかると言ってただろう。それだ。思い出したんだ。彼女は恐らく、始祖人類の先祖返りの可能性がある」
「始祖人類……?」
「ああ。神話の中の一番最初の人類。神が神に似せて作ったというアレだ。知恵の実を食べて神とほぼ同等の力を得た人類を、神は生命の実を食べて永遠の命を得て完全に神と同じ力を得る前に楽園を追放したという説があるんだ」
「創世記の話か」
香月が呟くように言葉を漏らすのに、ジェイムズが頷く。
「ああ。つまり始祖人類とは、高次存在だった頃の人類だ。我々、魔術師からすると世界丸ごとに影響させる事ができるとんでもなく莫大な魔力を秘めた肉体という考えができるし──」
「この世に生命の実が存在するかはわからないけど〜……それを見つければ、不老不死になって神に匹敵する存在になれる……」
かりんが間延びした口調で言うのにジェイムズが頷いた。
「そうだ。魔術師にとって、根源を追い求めるなら手に入れたい理想の肉体と言えるんだ。彼女の白い髪、白い肌、赤い瞳の特徴は……医学界では先天性色素欠乏症、アルビノなどと言われている。魔術師の世界では、アルビノの人間は始祖人類の先祖返りだという考えが古い時代からあったんだ」
「それで、デヴィッドはイヴを始祖人類の先祖返りだと考えて闇オークションの商品にしようとした……と」
香月が言うのにジェイムズが肩をすくめる。
「どうだろうな。少なくとも本当に彼女がそうだとしたら、魔術師からしてみては例えそうじゃなかったにしても莫大な金をはたいてでも手に入れたいと思うだろう。そもそもアルビノの人間自体が希少だからな。それこそ本物であれば国家予算レベルの金が動いてもおかしくない」
「なるほどな……」
そう言い、香月が頷いた。
「話は逸れたが──」ジェイムズがコホン、と一つ咳払いをする。「そこでだ。魔術協会日本中部支部は検邪正省との共同作戦をする事になった。目的は、抹殺指定はぐれ魔術師デヴィッド・ノーマンの捕縛。できなければ討伐。並びにイヴさんを付け狙う魔術師の出現の阻止だ」
「それで、俺達は何をすれば良いんだ?」
香月が聞くと、ジェイムズは言葉を続けた。
「カヅキ、それとクレアはイヴさんの護衛をして欲しい。この作戦の指揮を執っているのは俺だ。サポート役としてロナルドさんの他に何人か教皇庁から人員を割いて貰える。今後のディヴィッドの動きは気がかりだが、何が目的にせよ彼女を取り返しにくる可能性は高い。調査班には何かしら動きを予め察知できるよう探って貰う」
ジェイムズが香月とクレア、そしてかりんにそれぞれ顔を向けて言う。
「わかった。だが俺達が護衛に付くのは良いとして、イヴはどうするんだ?」
「私は……」
話について行けなさそうにただ黙って聞いていたイヴが口を開く。
「色々とビックリするような話ばっかりで少し混乱しているんだけど……ジェイムズさんが今後の生活や芸能活動を普段通りできるようにしてくれるって言ってくれた。だから、色々してくださる皆さんに少しでも協力できたらって……思う」
イヴが不安そうにしながらも粛々と語る。その意思には強いものがあるようだった。ジェイムズが満足げに頷いて答える。
「ありがとうイヴさん、決断してくれて」そう言って頭を下げるとジェイムズが、次はかりんの方を向いた。「早速で悪いな、かりん、彼女の体質を調べて欲しい。魔術協会としても詳細を把握しておけば動きやすいだろうし、新たに何かわかる事もあるかも知れないしな。その為にお前の事を呼んだんだ」
「りょーかい! 任せて〜!」
かりんが元気に返事をした。ジェイムズは頷くと、再びイヴの方を向いた。
「イヴさんは、我々ができる限りサポートします。だから安心してください」
その言葉に、イヴが少しだけ嬉しそうに笑うのを香月は見逃さなかった。
Tips:『検邪正省』
『検邪正省』は、教皇庁の内部に隠された秘密組織であり、表向きの権威機関とは異なり、裏から魔術師や異端者に対する取り締まりを行っている。表舞台に立つ教皇庁が表面的に教義や秩序を保つ役割を果たす一方で、検邪正省は、より陰湿で極秘裏に行動し、正規の機関が手を出せない案件に関与する。
また、魔術犯罪者の討伐も検邪正省の祓術師が積極的に行っている。
【更新について】
ジェイムズの台詞が長過ぎたので一部加筆、また読みにくいルビがあったので修正をしました。