エルフの花嫁
彷徨い果てた森の先に見えた湖、そこで俺は目を疑う光景を目にした。
童話か何かから出てきたと思えるほどに美しいエルフが、目の前で水浴びをしているのだ。
「~♪ ~♪ ~♪」
機嫌良さそうに聞こえる鼻歌はまるで人魚姫の歌声のようだ。
耳にすれば自然と導かれる歌に、つい一歩前へと出てしまった。
お約束のように棒っ切れを踏んづければ、エルフははっとしてこちらを向いている。
「だ、だれ?」
「すまない! 覗こうとしたわけじゃないんだ!」
咄嗟にそんな言葉しかでなかった。
決して彼女のほうは見ないようにして、次になんていえばいいのか迷う。
「見て……しまったんですね」
「本当にすまない、覗こうとしたわけじゃないんだ!
ただ道に迷って、そのまま彷徨っていたら歌声が聞こえて……」
「……ひとつだけ聞かせてください」
「はい……」
「正直に言ってください。私の水浴びをみましたか?」
「えぇと」
見たといえば変態に思われる。
見ていないと言えば余計に怪しまれそうで、どんな答えを出せばいいのか迷う。
どちらも不正解な気がして、目撃してしまった男――吉田蓮はただしどろもどろだ。
「罪に問うようなことはありません……ですが、もし見てしまったのなら」
「見てしまったのなら?」
何をされるのだろう。
そう考えると冷や汗が出てきてしかたなかった。
これは現実じゃない。蓮はただ酔っていただけなんだ、と自分にいいきかせた。
酔っぱらってハメを外して、気付いたら知らない森にいた。
気付いたら目の前でそれはもう美しい女性が水浴びをしていただなんて。
夢以外の何物でもない。はず。
「エルフの掟に従うことになります」
「ど、どんな掟で?」
「あなたは――」
まるで裁判で自身に対する有罪判決を待つ心地だ。
「俺は――?」
「私の、旦那様になっていただきます」
判決が、くだされた。
*
「蓮様、今日の晩御飯はいかがですか?」
「エリスの作るご飯はどれも本当に美味しいよ。本当に」
二人で夕飯を囲む。
蓮の誉め言葉にエリスは胸を撫でおろすと、安堵に微笑んだ。
「蓮様はこの世界の御人ではないですから、お口に合うかいつも不安なんです」
「そんな。俺はいつもこんなに美しい奥さんの手料理を食べられて、世界で一番幸せな自信があるよ」
「蓮様はいつもそうやって言ってくださいますね。旦那様になってくださったのが蓮様で私も幸せです」
出された料理はお世辞抜きにどれも美味かった。
この世界にきた当初は見たこともないものばかりで驚かされた。食材もそのうちの一つだ。
だが、見たこともない奇妙な食材であっても、エリスの手にかかればたちまちに素晴らしきご馳走へと早変わりする。
「でも、本当に俺なんかで良かったのかな」
「どうしてそうおっしゃられるんです?」
ハハハと乾いた笑い声をあげる蓮に対し、エリスは少しだけ唇を尖らせる。
「だって、俺がエリスの水浴びをみちゃったばっかりに、俺たちは夫婦になってしまった。
もちろん、こうなった以上エリスのことを世界一愛してると胸を張れるよ。でも」
「でも?」
「エリスにはもっと……相応しい相手がいたんじゃないかなって」
沸き立つ感情を抑えるために、蓮は過剰に夕食をがっついた。
エリスは眉毛をハの字にして困ったような、寂しいような表情をしているが、蓮にもまだ自信がなかった。
エリスはエルフの姫君であった。
当然、姫君ともなればそれ相応の相手とくっつくのが普通であろう。
それなのに、姫君とくっついてしまったのはしがない元サラリーマンである。
しかも、現在はこの世界では日雇い労働のようなことばかりしているので、サラリーマン以下の存在になってしまった。
立場なし、金なし、そこまで言い容姿も顔ももちあわせてはいない。
「私はお父様以外の男性を知りませんでした。でも、蓮様はお父様と同じくらい優しくて、かっこいいですよ」
「自分でもそう思えるくらい頑張るよ。ご馳走様」
「はい♪ 今日も食べてくださってありがとうございます」
*
本当にこんな思いをしていいのだろうか、考えても答えはでない。
だが、もしこれが夢なら覚めないでほしいと蓮は思う。
何故なら――。
「蓮様、そろそろ――おやすみになりませんか?」
パジャマ姿のエリスがもじもじして伏し目がちに蓮の袖を掴む。
「そう、だね」
「蓮様、今晩も頑張りましょうね!」
照れ隠しにすごんでみるエリス。
蓮も同じように照れながらも、虚勢の胸を張ってみる。
エルフにはいくつかの掟があるらしい。
1つ。裸を見たものはその生涯を相手に捧げること。
1つ。生涯をささげた相手とは必ず子をもうけること。
これはエリスに聞いたことだが、エルフの出生率は極端に低いらしい。
数百年という長生きをする種族だからなのか、そもそも孕む確率が極端に低いようだ。
「あ、あの蓮様」
「なに、エリス」
「蓮様はエリスのことが好きですか?」
「好きだよ」
「えへへ」
言われ慣れていないからなのか、エリスは定期的に“好き”を確認してくる。
こんな美女に言われたのならば、男としては本望以外のなにものでもない。
「エリス、頑張りますからね! 二人でたくさん赤ちゃんつくりましょう!」
「が、がんばる!!!」
「蓮様! エリスのことが好きですか!」
「好きだ!」
「エリスも蓮様が好きです!!!!」
「うひゃー」
「ひゃー」
蓮は思いだしていた。
異世界転移というジャンルの本を読んだとき、主人公たちは総じて元の世界へ戻ろうとはしていなかった。
それどころか、異世界を謳歌さえしていた。
今、蓮は今まで見た世界とは別の世界にいる。
もちろん、元の世界のことは思い出すし、悔いがないわけではない。でも。
「蓮様」
この世界で、妻が出来てしまった。
家族ができてしまった。
そうなったなら――、もう元の世界には戻れそうにない。
試し書き作品。
賞レースに向けて今後考えていきたい作品になります。