みなしご聖女の、悲劇なのか喜劇なのかよくわからない婚約破棄
『これまでの働きに対する礼を伝えたい』
王太子レブルザックの筆跡で書かれた手紙を大切に懐に納め、聖女エイジアは離宮の庭園へ足を踏み入れた。
エイジアは〈護りの聖女〉だ。
7歳のときに女神ユプシーヌの神託が下って以降、10年ものあいだ、王国の領域を守る結界を維持しつづけてきた。
王国が存続できているのも、大陸の大半を闊歩する魔物を締め出す守護結界あってこそのこと、といわれている。
王太子であるレブルザックとは、形の上でこそ婚約者であったが、これまで直接顔を合わせたのはわずかに3度だけだ。
エイジアの聖女就任と、婚約締結を兼ねた儀式のときが1度目。
レブルザックが王国で成年と認められる18歳になった祝いの席が2度目。
そしてつい先日、レブルザックが正式な王位継承者として冊立された、立太子の儀が3度目。
エイジアは聖女としての務めが多忙であり、王太子のほうには、病弱な父王がいつ倒れるかわからないため帝王教育を急がねばならないという事情があった。
エイジアも18歳を迎えれば、正式な夫婦となる。国を挙げて次期国王夫妻の門出を祝うお祭りとなるはずだ。
婚約者どうしでありながら会う機会がとぼしい、王子と聖女の心をつないでいたのが、直筆の手紙のやり取りだった。
エイジアは、聖教会の庭園に咲く季節の花や、訪れてくる鳥たちのことを書き送っていた。聖女の生活は毎日毎日変わり映えがなく、ほかに書けることがなかったからではあるが。
レブルザックからは、国を護ってくれていることへの感謝と、体調管理に気をつけるように、という内容の便りが毎回届いていた。
朝晩冷え込むようになったから温かくするように、とか、暑くなってきたが食事はしっかりするように、とか、湿気が出てきたから風とおしを良くするように、とか、乾燥してきたから喉をいためないように、など、時季おりおりに気遣ってくれるレブルザックの心が、エイジアにはうれしく感じられたものだった。
王都には、主城のほかに7つの離宮がある。
自然の池に面したこの湧水苑は、造園技術の粋を尽くしたほかの離宮の庭園と比べ、野趣をたたえていた。
池端にひろがる葦の茂みが、遠くからの視線をさえぎって、人目を忍びたい逢瀬の現場を隠してくれている。
「……すこし遅かったな。ひとりか?」
池に面した四阿で待っていた王太子レブルザックが、言葉とともにベンチを立った。エイジアとは6歳差があり、現在23歳。豪奢な金髪と水色の眼をした美男子であった。
くせのない黒髪をあごの下のラインで切りそろえ、琥珀色の眼をしたエイジアは、聖女という先入観がなければ、どこにでもいそうな普通の娘で、レブルザックのような華麗さはない。
「殿下とふたりだけでお会いできる機会、はじめてで……急いできました」
早足でやってきたからだけではない胸の高鳴りを覚えながら、エイジアは婚約者へ語を返す。
手紙には『ひとりで来るように』と書かれていた。レブルザックから呼ばれたのははじめてで、エイジアは取るものもとりあえず飛び出してきたのだ。
「教会から離れても問題ないようにしてあるな?」
「明日の朝までは十二分に保ちます。結界中枢核にありったけの聖なる魔力を注入してきました」
「そうか。……これを、渡したくてな」
といって、レブルザックが開いた手のひらの上で光っているのは、指輪だった。
「殿下……」
おどろきとよろこびと、その他言葉にできない感情が一気に渦巻いて、ただ立ち尽くすエイジアに歩み寄り、レブルザックは彼女の左手を取った。
「10年間か。長かったな、お務めご苦労」
王子の声に、いたわりとねぎらいではなく、厄介払いの響きがあったと、エイジアは気づいただろうか。
聖女の左手中指にとおされるなり、指輪から、あやしげな紫色の光がほとばしり出た。
急に重たくなった左手の感触に戸惑い、エイジアはレブルザックの顔を見返す。
「これは……なんですか、殿下?」
「魔力転送器だ」
「転送……? わたしの魔力を、いったい、どこへ?」
レブルサックがそんなことをする理由がわからず、目の前にいるのは、じつは王子の姿に化けた魔物の手先なのではあるまいか、と眉を曇らせたエイジアに対し、答えたのは女の声だった。
「こちらに、ですわ」
その言葉とともに四阿の柱の陰から歩み出て、レブルザックのとなりに並んだのは、ふわふわのピンクブロンドに翠の眼をした愛らしい娘だった。年のころは王太子と同じかやや下、20歳少々か。
彼女の掲げている左手の中指にも、指輪が光っていた。
「どちらさまでしょうか……?」
記憶にない顔に首をかしげたエイジアに対し、今度はレブルザックが答えた。馴れた様子で、ピンク髪の娘の腰を抱き寄せながら。
「ヴァルドスタイン公爵家のミレイユだ。私の本来の婚約者でもある」
「婚約者……? それはいったい、どういう……」
困惑を深めるエイジアに、ミレイユがレブルザックの首に腕を回しながら応じた。
「どこの馬の骨ともしれない下賤な小娘が、聖女だとかなんとかと称して、王太子妃に収まる――それがどれほど異常な事態なのか、考えたことがおありかしら?」
「……わたしは、レブルザックさまの婚約者にしてほしいと、自分から申しあげたことは一度もありません。自分は聖女だなどと名乗ったこともありません。女神ユプシーヌがわたしに白羽の矢を立て、枢密院が徴用令を出した、それだけです」
怒りや動揺のない、淡々とした声でエイジアが事実のみを並べ立てると、レブルザックが意外そうに眉を吊り上げた。
「ふむ、おまえのことを少々誤解していたようだな。存外に物わかりがよかったのか。それなら、もっと率直に話せばよかった」
「殿下、直接お話をするのは、事実上今日がはじめてではありますが、これまでのお手紙に、ミレイユさまのことなど一度も記されてはいませんでした。別れがたい想いびとがいらっしゃると、お伝えしていただけていれば……」
「身を引いたか?」
「殿下の婚約者としての身分は、わたしのほうから求めたものではありません。聖女として徴用するにあたって、枢密院が提示した報酬にすぎないものです。わたしにとっても……殿下のお力になれているのだ、と、心の支えになっていたのは事実ですが」
自由に出歩くことはおろか、眠る時間すら制限される聖女の激務。そんな日々に耐えてきたのも、絵本の中の王子さまをそのまま体現したかのような、レブルザックの秀麗な姿がまぶたの裏に浮かんでいたからだった。
7歳にして運命を決められた少女の、多少の夢見ごこちを、責めることができようか。
うつむくエイジアに対し、レブルザックの声に温かみはない。
「説明と結果が前後したようだが、まあ、どちらでも同じことだ。むしろ、おまえにとっては肩の荷が下りるだろう」
「それは、どういう……」
「その指輪がおまえから聖なる魔力を吸い上げ、ミレイユへもたらす。おまえは今日でお役御免だ」
「え? わたし、聖女辞めていいんですか? 彼女が代わりに? でも、それは……」
「余計な心配をする必要はない。ミレイユは魔力量こそ人並みだが、非常に技量が高い」
レブルザックがうそぶくと、ミレイユがなにごとかをささやいた。
とたんに、エイジアの四肢から感覚がなくなり、両足が石になったかのように、その場から動けなくなった。そればかりか、首も指一本も動かず、呼吸こそできるが声すら出ない。
聖女は外部からの魔術的干渉を受けつけない、強力な防御フィールドで取り巻かれているはずなのだが。
魔力転送器の指輪でエイジアから聖なる魔力が奪われ、ミレイユに流れ込んでいることで、エイジアの防御は弱まり、ミレイユの干渉力が増したのか。
「ふふ……すばらしい力ですわ。充分、使いこなせます」
喜悦の表情を浮かべ、ミレイユは自分の左手で光る指輪に接吻をした。
レブルザックも、わがことのように得意満面の顔になる。
「さすがだな、聖女ミレイユ」
王太子の言にほころばせた口もとを、すぐさまあざけりにゆがませ、ミレイユはエイジアへと語を投げた。
「婚約者を返していただくついでに、聖女も代わってさしあげますわ。わたくしたちの真の愛のために、あなたは報酬もなにもなしで、生涯聖女として奉仕しろだなんて、それはいくらなんでも残酷すぎるもの、ね」
(聖女って、あなたが想像してそうなほど華やかな役目じゃないんだけど……)
声の出せないエイジアは、どうにか目で伝えようとするものの、せいぜい不服そうに睨み返しただけとしか思われなかっただろうか。
「さあ、ついてらっしゃい」
そういってミレイユが指を鳴らすと、エイジアの足が勝手に動いた。これ見よがしに腕を組んで歩くレブルザックとミレイユのあとを、従者、いや捕虜にされた敗残兵のように背中を丸めた状態でついていく。
レブルザックのいうとおり、ミレイユが技量の高い術者であるのは間違いなさそうだ。
(じつはこのミレイユとかいう女が全部仕組んでて、殿下は魅了とか支配とかかけられてる可能性って、あるのかな……)
エイジアの脳裏に、希望的観測ともいえる疑念が差したが、女神ユプシーヌに選ばれ、それからずっと教会のおえらいさんに指示されるまま結界を維持していただけの彼女に、魔術への理解はほとんどない。
なので、レブルザックが自分の意志で動いているのか、操られているのか、まったく区別できなかった。
(わたしはなりたくて聖女になったわけじゃないし、王子さまと婚約させてくれとか頼んだこともないし、まして婚約者がいて横入りしてただなんて、ホントに知らなかったんだけど……)
見えない鎖に引きずられながら、エイジアはどうしてこんな事態になったのか、そもそもの最初から振り返ってみることにした。
・・・・・
エイジアに、両親はじめ家族の思い出はない。
一番古い記憶の時点で、いっしょに暮らしている仲間の中に肉親はいない、という区別はついていた。
人間より犬のほうが優しかったが、犬というのは飼い主に忠実なので、ここから出ていこう、と決意してから実行するまでには、周到な準備が必要だった。
犬と人の子がまぜこぜに「飼われ」ているところから仲間たちと抜け出して、王都の貧民窟にたどり着くのに、たぶん1年くらいかかったはずだ。
食べるものを見つけるのには困らないし、冬場に凍え死ぬ無宿児もいないし、都は天国だな、とすっかり落ち着いていたところで、エイジアは〈光〉を見た。
それは天から降りてきて、エイジアの中に入り込み、不思議なあたたかさをもたらしたのだ。
謎の光について考える間もなく、その夜が明けぬうちに、立派な服を着た複数のオトナが、エイジアと仲間たちのねぐらを取り囲んでいた。
最初は年長者がいっていた「ふほーたいざいしゃ」の取り締まりなのかと、びくびくしていたエイジアだったが、どうやらそうではないようで、仲間たちが教会運営の孤児院で預かってもらえると聞いてからは、それ以上なにかが必要だと思えなくなった。
お金はべつに欲しくなかったし、出世の口利きをしてもらいたい家族もいなかった。そもそも、エイジアは自分の正確な年齢も知らず、いま7歳なのだと「聖女適合者」の調査官だという教会の人に教えてもらったくらいだ。
カッコいい王子さまを紹介されたときは、さすがに胸がときめいたものの、正式な「せーじょ」になる儀式をして「でんか」とお茶の席をともにしたという認識だけで、婚約していたと知ったのは、ずいぶんたってからのことになる。
(わたしがあんまりにも欲しがらなすぎたせいで、レブルザック殿下の顔見たときくらいしか喜んだ顔しなかったから、ごほうびの候補がほかになくなってたわけか。ある意味、わたしのせいなわけね)
ミレイユが初対面にもかからわず、まったく無遠慮にエイジアへ拘束術をかけ、あざけりの声を浴びせてきたのには、彼女なりに恨む理由があったのだと、理不尽感といきどおりがすこしだけ収まった。
だが、いくらか事情を斟酌するにせよ……
(それにしても、一度もお便りで教えてくれなかったのはなぜなのかしら。わたしは、殿下と結婚できなきゃ絶対ヤダ! とまでは思ってなかったのに)
レブルザックは「存外に物わかりがよかったのか」などといっていた。エイジアは決して王太子の婚約者の地位を譲らない、ミレイユの話を切り出したら断じて拒絶する、そんな、聞き分けのない女だと思っていたようだが。
そこで、不意にエイジアの胸中を、雷撃のようなひらめきが奔った。これまで3回しか顔を合わせていなかったエイジアから、なぜ4度目で、レブルザックはいきなりすべてを奪おうとしたのか。
(手紙……!)
エイジアが行き違いの原因に思い至ったところで、足が止まった。過去を振り返っているあいだも、エイジアの身体はミレイユに従わされるまま歩きつづけていたが、たどりついたのは馴染みのある場所だった。
聖教会の裏門の前で、王子の顔を認めた衛視があわてて大門わきのくぐり戸から出てくる。
+++++
「レブルザック殿下、先触れもなくなぜこちらへ? ……聖女エイジア?」
「そう、〈聖女〉の件だ。急を要する事態だったためにな、私とミレイユ嬢だけで対処することになった」
おどろきながらも怪訝げな衛視へ、レブルザックは堂々とした態度で状況の異常さを感じさせない。
王太子が従者も連れず、王家とは独立した権威である聖教会に、事前の通告もない上に裏口のほうへやってくるなど、本来ありえないのだが。
「いったい、どのような」
「きさまにいちいち説明している場合ではない。総主教に話す、通せ」
「おまちください。聖女エイジアはなぜ拘束の術をかけられているのですか」
「反逆の現場を押さえた。王家に対しても、教会に対してもな。本来ならその場で斬り捨ててもよかったのだ、こうして連行してきただけでも感謝してもらいたいところだぞ。教会の面子を完全に潰さないよう、総主教にことの次第を聞かせてやろうというんだ」
語気強くたたみかけ、話の真偽を判断しかねて当惑する衛視のわきをすり抜けて、レブルザックは聖堂へ入り込む。
レブルザックとミレイユは、聖教会になにも根回ししていないのだと、話を聞いていたエイジアは直感した。どちらが主導しているのかはわからないが、聖女乗っ取り計画は用意周到に練り込まれたものではないようだ。
魔力転送器の指輪と、ミレイユの卓越した魔術の技量ありきの、かなり強引な作戦らしい。
(その場で斬り捨ててもよかった、というのはハッタリね。わたしを殺せば魔力を奪うこともできない。わたしを操ってウソの証言をさせて、反逆未遂犯としてどこかに幽閉して魔力を吸い取りつづけようってつもりかしら)
なんてずさんな、とあきれたが、しかしその雑なプランにしてやられたのはほかならぬエイジア自身である。聖女の魔力をまるまる転送できるほど強力なアイテムがあるとは、思っていなかったが。
聖教会には一日中礼拝者が絶えないが、こちらは裏手。あたりにいるのは聖職者ばかりだ。
王太子がアポなしで闖入してきた、という連絡はもう行き渡っているのだろう。堂内で作務や修練をしている僧侶や、警備の聖騎士から、部外者を誰何する声はかからなかった。
ただし、レブルザックとミレイユへ向けられる視線に、歓迎や信頼の気配はない。いっぽうで、エイジアを見る目には彼女の身を案じる色があった。
教会の人々は無言のまま、「聖女を拘束して引きずり回すとは、どういうつもりですか」と語っていた。
レブルザックの歩みに、傲然たる、というよりは、憤然たる、という表現のほうが合っているように見えるのは、王家に対する畏敬の足りない聖教会へ不興を抱いているからだろうか。
一般参詣者の目にとまらないまま、女神像がほほえむ礼拝堂のひとつ奥、聖教会の真の中心にたどり着いた。
結界中枢核である巨大な方体結晶が安置されている内陣で待ち構えていたのは、総主教ペイロン7世である。
「ようこそレブルザック殿下。ときに、いかな事情があって、聖女に呪縛をおかけになったのでしょうか? あなたにとっては婚約者でもありましょうに」
真っ白なあごひげが目にまぶしいペイロン7世は、どこから見ても無害そうな好々爺だ。海千山千の妖怪でなければ教会トップは務まらないが、肉親を知らないエイジアにとっては祖父のような存在でもあった。
レブルザックは、話の主導権を握らんと尊大な態度で口を開いた。
「偽聖女に10年も気がつかないでいた、きさまらの面子が丸つぶれにならないよう、こうして危険を冒したのだ。感謝してもらいたいな」
「はて、偽聖女ですと?」
わざとらしく首をかしげるペイロンに対し、レブルザックも芝居がかった動きで肩をすくめ、ため息をついた。
「総主教がこのザマでは、坊主どもの目は残らず節穴か。聖教会も堕ちたものだな」
「殿下には、女神ユプシーヌの神託のとおり見出されたエイジアが、偽聖女だとおっしゃるのですか?」
「悪魔が女神の声を捏造し、王都の貧民窟に星を落としてみせたまでのこと。身寄りのない哀れな娘の肉体に入り込み、こうして10年間も聖教会の中枢に巣食っていたのだ」
そういって自分のほうを指してきたレブルザックへ、エイジアはあきれ以上におどろきが先に立った。
(ちょっとちょっと! 作り話にしてもずいぶんダイナミックなフィクションですね!?)
豊かすぎるイマジネーションだ。王子にしておくには惜しい。
ペイロンは、シワの一本のように細い目を見開いて、しぱしぱとまばたきする。
「悪魔が聖女を偽装って10年も結界を維持していたとは、大事件ですな! そんなことをしても悪魔に得はひとつもない。究明せねばなりません、呪縛を解除して尋問を」
(おー、さすが猊下、話の持って行きかたうまい)
「不可能だ。拘束を解けば、こいつはすぐに逃げてしまう。われわれが正体を問い詰めるなり、王都の人間を皆殺しにしようとした危険な魔物だ。ミレイユ嬢の魔術がなければ、1秒たりとて抑えておけない。10年も欺かれつづけていた、きさまたち聖教会の無能には任せられんな」
「お手厳しい……ひとこともございませんな」
(え……猊下、あきらめるの早くない?!)
レブルザックの主張はひかえめにいって青天の霹靂、遠慮なくいえば荒唐無稽、笑い飛ばしても多少失礼なだけで不自然ではあるまいに、総主教があっさりしおれたように見えて、エイジアはちょっと焦った。
薄氷を踏んでいる自覚があるのか、それとも余裕綽々なのか、レブルザックはここで神妙な顔になってみせる。
「この悪魔をどうにか追い払って、肉体を奪われている哀れな少女を救わねばならん。当面、こちらで預からせてもらう」
「やむをえませんが、その前にひとつ解決しなければならないことがあります、殿下」
「解決? いったい、なんの問題がある?」
さっさと話を片づけたい、という逸りが出てきたか、わずかに早口になったレブルザックへ、ペイロン7世は自分のうしろで輝く巨大な方体結晶を示した。
「どうやってユプシーヌの神託を捏造したかのはさておいて、悪魔であろうと、偽聖女であろうと、この結界中枢核に聖なる魔力を注入しなければ、人界、ひいては王国は守れません。そういう意味では、結界を維持できる者こそが〈護りの聖女〉であり、そこに本物も偽物もないのです。エイジアは、この10年間たしかに聖女だった」
総主教が話をどう持っていこうとしているのか、その論法はエイジアにも理解できた。
重要なのは結界であって、レブルザックの弾劾の真偽を判定するつもりはないというわけだ。
(結界維持のためにわたしの身を聖堂に留め置かせて、呪縛解除の機会を探ろうってわけね。……でも、聖女の資格について問わせること、それが向こうの狙いなのよ。ていうか、魔力転送器の指輪のこと、教会の人たちも知らないのか。どっからきたのこの強魔具?)
エイジアの懸念のとおり、口の端をにやりとゆがめてレブルザックは得意げに応じた。
「その心配はない。わが婚約者ミレイユは、魔術の天才だ。悪魔を押さえつけたさいに、聖なる魔力も取り返している」
「なんと……それはまことですかな?」
「ここでウソをつく意味がどこにある? ――ミレイユ」
「はい」
ここまで嫣然と微笑むばかりで王太子と総主教のやりとりを傍観していたミレイユが、ようやく声を発した。
つかつかと祭壇の階を登って、結界中枢核の結晶へ、魔力転送の指輪がはまっている左手をかざす。
魔力が吸い出され、エイジアを脱力感が襲った。
(猊下の論法なら、これでミレイユは立派な聖女……)
エイジアから奪った魔力をミレイユが結界中枢核へ注ぎ込むと、激しい電閃が生じた。
聖女の魔力にのみ反応するクリスタルを光らせて、ミレイユとレブルザックは得意満面になったが、ペイロンは愕然としていた。表情こそ変えられないが、エイジアも。
(わたしが結界を維持するときは、こんな派手なことにはならないんだけど……)
ふいに、屋内だというのにつむじ風が巻き上がり、ミレイユが悲鳴とともに吹き飛ばされた。レブルザックがあわてて助け起こしたものの、ふたりともに、想定外の事態に泡を食っている。
(いったいなにが起きたの!?)
状況の推移を見ているしかないエイジアのほうへ、風に巻き上げられた銀の燭台が飛んできた。拘束が効いているエイジアは、避けることも腕を上げて頭をかばうこともできない。
笏で空中の燭台を叩き落とし、エイジアを助けてくれたのは、老人とは思えない身ごなしの軽さのペイロン総主教だった。
しわしわだがあたたかい手が、エイジアのほおをなでてくれる。
(ありがとう猊下)
「だいじょうぶか、エイジア」
「うん……って、声が出る!?」
「術者の集中が削げれば、呪縛の解除ていど造作もないわい」
さすが聖教会トップというべきか、ペイロンはこともなげにいってのけた。
聖女乗っ取り計画が破綻しつつあることに焦って、レブルザックが剣を抜いて叫んだ。
「総主教、きさまはすでに悪魔と結託していたのか! クリスタルに罠をしかけるとは」
「そんな話をしとる場合じゃないわいバカ王子。出てくるぞい、本物が」
「本物……?!」
レブルザックが目を戻したその直後、結界中枢核の方形結晶に内側からヒビが生じ、またたくまに全体へ広がったかと思うや、砕け散った。
黒い靄が吹き出してきて、聖堂の高い天井近くへ集まっていくと、人の象へと変わっていく。
ほどなく、黒い髪と血のように赤い目をした、白皙の美貌の偉丈夫が現れた。人間とのちがいといえば、左右の側頭部と額から角が生えていて、背中に3対の翼がひるがえっているところ。
事前の心がまえができていたのはペイロンだけのようで、エイジアも、レブルザックも、ミレイユも、ただ茫然としていた。
「……まったく、とんだ瓢箪から駒じゃ。悪魔の話を持ち出してきて、本当に魔王を復活させるとは」
やれやれと両手を広げるペイロンへ、ミレイユが涙声で抗弁とも抗議ともつかない声を浴びせた。
「魔王!? 聞いていませんわそんな話!」
「そりゃそうじゃ、いっとらん。枢密院の議員でも、知っているのはわしと国王だけ。聖女が結界を維持しているというのは方便でな、実際には魔王を封じていたんじゃ」
「なんかいきなりとんでもない話になってない?!」
自由を取り戻したエイジアだったが、レブルザックとミレイユの横暴を告発するどころではない。
小説家はだしのレブルザックが書いた脚本に、おさおさ劣らぬ超展開ではないか。
+++++
復活をとげた魔王が翼を広げ、音もなく結界中枢核――もとい、封印結晶が安置されていた祭壇まで降下してきた。
「意外だな、人間が予の封印を解いてくれるとは」
「つまらん事故じゃ」
1800年ぶりの記念すべき第一声に対し、ペイロン7世の応答はにべもない。
「故意でも過失でも、偶然でも必然でも同じことだ。約定は果たしてもらおう。予にすべてを捧げるか、どちらかが滅ぶまで戦いをつづけるか」
「待て! 魔王だかなんだか知らんが、きさま、なんの権限があってそのような物言いをするか?」
(殿下……あなたじつは相当アホですね?)
魔王に横から食ってかかったレブルザックへ、すっかり頭の中でツッコミを入れるくせがついてしまったエイジアは残念なものを見る目を向けた。
一級品なのは外見だけだったか。それすらも、魔王の危険な妖美さとこうして直接比べてしまえる状況だと、色褪せるが。
「ん……ああ、爾は徳王ワイズの末裔か。やはり人間は駄目だな、もはやあの英知の見る影もない」
魔王のほうは一瞥でレブルザックの出自が知れたようで、王国の開祖の名をあげた。
「我が名はレブルザック。まあ、覚えておく必要もきさまにはあるまい。ミレイユ!」
「へ?……あ、はいっ」
本来の婚約者ということだが、阿吽の呼吸で通じ合ってはいないらしい。それでも、四、五瞬おくれでレブルザックの意図を汲み、ミレイユは拘束の術を放った。
目に見える光の鎖が、魔王を取り巻く。エイジアに使ったものより格段に強力な術のようだ。
「ほう、人間にしては大した魔力……なんだ、種はその指輪か。どこで拾ったのかは知らんが、それはかつて、予が作ったものだぞ」
(なるほど。どうりで強力)
エイジアが指輪の出どころに納得していると、光の鎖に縛められている魔王へ、レブルザックが剣を掲げて踊りかかった。
「どうだ、身動きできまい。ミレイユの魔力と私の剣技、この愛の連携を破るのは不可能、覚悟しろ! ……って、ぐわっ!!?」
魔王の首すじに叩きつけられた剣はまっぷたつに折れ、レブルザックは見えない張り手で吹き飛ばされて、磨きあげられている石床の上を壁ぎわまで滑っていく。
(まあ、そうなりますよねー。ていうか相手の動き封じたところに斬りかかるって、卑劣殺法すぎる戦術に「愛の連携」とか名づけちゃうセンスがハンパないです)
口に出して伝えてあげるべきダメ出しを、心の中だけでつぶやくエイジアだったが、そろそろそれどころではないかもしれない。
まばたきひとつで光の鎖を粉砕し、魔王がミレイユのほうへ振り返る。
生きとし生けるものの魂を凍らす眼光が、ピンクの娘を見すえた。
恐怖で歯の根が合わなくなりながらも、ミレイユはどうにか声を絞り出す。
「ま……魔王、さま……わ、わたくしは……そ、そうです、わたくしはあなたさまを解放するために、この指輪を使ってそこの聖女から魔力を奪い、封印を破るために闇の魔力をクリスタルに注ぎ込んだのですわ! へっぽこ王子のへなちょこな剣であなたさまに傷がつくわけないと知っていましたから、騙して利用していたことを悟らせないためにちょっとだけ拘束の術を使ってしまいましたけれど、も、もちろん魔王さまはこれしきのことでお怒りにはなりませんわよね?!」
(なんか途中からめちゃくちゃ滑舌よくなったし! すごいアドリブ能力!)
「ほぉう、予の解放を最初からもくろんでいただと?」
「そ、そのとおりですわ!」
「よかろう、予の使徒として迎え入れてやってもいい」
「あ、ありがとうござ――」
「さあ、わが真名を唱え誓いとするのだ」
「え……お名前……?」
「予の信奉者ならば当然知っているはず。その指輪にも予の名が刻まれていることが、わからぬわけはあるまい?」
ミレイユと同時にエイジアも自分の指輪へ目を落としたが、刻まれているのは古代の秘文、なんと書かれているのかはわからなかった。
「えー……ま、魔王……」
「わざわざ指輪を見ずとも、わかるはずだろう?」
「な、永年の宿願が叶う緊張で……」
(魔王さん、もうミレイユのでまかせが大ウソだってわかってるのに、おちょくって遊んでるだけよね。舐めプのうちにやっちゃうしかないか)
正直、完全に詰んでいるこの状況でミレイユがどこまで悪あがきするのか見ていたい、といういじわるな気分もあったが、魔王を野放しにするのはたぶんよくないだろう。ゆえなく封印されていたとは思えない。
「じーちゃん、これ外せる?」
「む……なかなか厄介な固着がかかっておるが。……取れたぞい」
自分で引っ張ってみてもまったく指輪は動かなかったので、かたわらの総主教に手を預けたところ、3秒で外してくれた。
ミレイユに奪われていた聖なる魔力が、エイジアの身に戻ってきた。
さすがにすぐ気づいた魔王へ向け、エイジアは手をかざす。
「魔王さん、そこまでです。動かないで」
目に見える光の紐や鎖はなにも現れていないが、微動だにせぬ、というかできぬ魔王の額に、玉の汗が浮かんできた。
「くっ、これほどの聖なる魔力があるとは……。どうやって取り戻した!? 予の作った封魔の指輪は、一度身につけたら外れないはず」
「1800年じゃよ、薄れる血もあるが、磨かれる業もある」
そう応じたのはペイロン7世で、魔王の声に、己の失着を悟った後悔の念が混じった。
「爾は……そうか、大賢者ラグナの……」
「英知は血筋に頼らずとも伝わるでな。わしはラグナと縁もゆかりもない。その意志と心意気を先達から学んだにすぎん」
「うぬぬ……予の負けだ……。予を滅ぼす準備が整ったから、こうして解き放ったというわけか……」
「いやそれはただの事故じゃから。最初にいったじゃろ」
身も蓋もないことを総主教はいい、うんうんとエイジアもうなずく。
「この魔王アヴァンガルドが、単なる事故で解放されたと思ったら瞬コロだと……」
2000年に迫る因縁が、大いなる神意も深遠なる予言も関係なく断ち切られたことに、魔王が双眸を虚しくしているところへ、いつの間にやら立ち直っていたらしいレブルザックの声が響いてきた。
「ふふふははははは! さすがはわが真の婚約者、聖女エイジア! 魔王をいともあっさりと屈服せしめるとは、すばらしい! これで、私ときみの治世は安泰だな。いとしのエイジア、今日ほどきみが婚約者でいてくれてよかったと思ったことはない!!!」
「魔王さん、どうぞ」
「は? ……へぶしっ!!!?」
エイジアが拘束を一瞬だけ解くと、魔王は見事な身ごなしでレブルザックとの間合を詰めてビルドアッパーを決め、アホの王子をKOした。
さすがに、ミレイユも助け起こしに行こうとしない。
即座にエイジアに再拘束されたが、魔王はさきほどよりは元気を取り戻していた。
「なるほど……事故とやらの状況が、いくらかわかってきた。爾は聖女として、その愚かな王子の婚約者であったのだな。ところが不実な王子はそちらの尻軽女と結託し、予が作ったものとも知らず、封魔と吸魔の指輪を使って爾から聖なる魔力を盗み、聖女の地位を簒奪させんとした。だが尻軽女に聖なる魔力を扱う器はなく、変質した魔力が封印結晶に流れ込んで……予が解放された」
「おおすじはそのとおりですけど、細かいところはちがいます。ミレイユさんは尻軽というわけではないそうですし、レブルザック殿下は……ちょっとおつむが残念なだけです」
「エイジアよ、爾はこう思っているな。『聖女の献身に報いることがない愚かな王家……こんな国滅びてしまえ』と」
悪の王の真骨頂、人間の心の闇へささやきかけようとした魔王だったが、エイジアは一瞬も悩まず首を左右に振った。
「思ってないです。あなたを解放する理由はないんで、おとなしく再封印されてください魔王さん」
「ウソだっ! まさかエイジアよ、聖女として無償の献身をつづけ、そこの愚か者どもがぬくぬくと幸福を貪るのを見すごそうというのか!?」
「殿下とミレイユさんにはケジメつけてもらいますけど、王家の人にも教会の人にも、恩義こそあれど恨みはありませんから。この王国に住んでいる人たちにも」
そういってエイジアが取り出したのは、今回の騒動のきっかけになったレブルザックの手紙だった。
もちろん、これが代筆であることはもうエイジアにはわかっている。今日になってはじめてレブルザックが直接内容を指示して書かせたが、これまではずっと、代筆係の人がすべて考えていたのだ。
だからこそ、昨日までの手紙にはエイジアの体調への気遣いがあった。
そして、レブルザックはエイジアからの手紙を、一度たりとて読んだことがない。
読んでさえいれば、レブルザックがもともとの婚約者であるミレイユのことを打ち明けても、エイジアは意固地に将来の王妃の座にしがみつくような性格ではないとわかっただろうに。
そもそも殿下とは形式だけの婚約者だったし、婚約破棄して希望どおりミレイユさんといっしょになってもらってかまうまい。ただ、王国の次代の舵取り役としては不安が残るけど……。
と、今後について考えはじめていたエイジアへ、魔王がしつこく話しかけてきた。その声音に、さきほどまでの傲岸さはない。
「聖女エイジア、その、人間に対する寛容と恕しの心を、魔族にも向けてもらえないか!」
「……ここにきてめっちゃダサいこといい出しましたね!?」
「いやだ、また封印されるなんていやだー!」
「封印がいやなら、あと腐れなくやっつけてあげましょうか?」
「助けてください! なんでもしますから!!」
「どいつもこいつも生き汚い……」
ミレイユには、レブルザックよりこの魔王のほうがお似合いなんじゃなかろうか、とひどいこと思ったエイジアだったが、なにか考えついたらしいペイロンが動きはじめた。
「ヴァルドスタイン公爵令嬢、その指輪を渡してもらえるかの?」
「あ、はい。ただ、取れないんですけど……あら、あっさり」
ひと組の指輪をそろえたペイロンは、まず封魔のほうを魔王アヴァンガルドへつけさせる。
強大な闇の魔力が抑え込まれ、魔王の3対の翼が縮んでいくとそのまま消失し、角も額にわずかな突起を残すだけで、左右のものはなくなった。
「さて、これで魔王は無害じゃ。身体能力はまだ高いが、人間の一流ていど。よからぬことをしようとすれば、対処できる」
「その指輪、魔王さんのお手製でしょ? 簡単に外せるんじゃ」
疑問を呈するエイジアへ、ペイロンはうなずく。
「うむ。外すことはできるが、取ったら死ぬ呪いをかけた」
「しれっとひどいことするね!?」
いみじくも魔王の心情を代弁した聖女へ、総主教は吸魔の指輪を示した。
「封魔の指輪は単体でも機能するはずじゃが、魔王の莫大な魔力をどれほど抑えつづけることができるのかは未知数じゃ。吸魔の指輪で、だれかが引き受けるほうがいい」
「それをわたしに?」
「お主が適任じゃと思うぞい、エイジア」
「魔王の魔力を取り込んだりして、だいじょうぶかな……」
「ヴァルドスタイン公爵令嬢は、お主から魔力を吸い取っても、そのまま聖なる力として使うことはできなかった。それと同じで、魔王から奪った魔力でも、お主の身に入れば聖なるものとなる」
理屈として納得はできたので、エイジアは吸魔の指輪を受け取ったが、指にとおす前にペイロンの顔を見返す。
「ちなみに、この指輪に呪いは……?」
「もちろんかかっとらんよ。固着も解除したから、いつでも着脱自在じゃ」
信頼する総主教の苦笑を受けて、エイジアは指輪をはめた。指輪が青く輝き、膨大な魔力が流れ込んでくる。
「これが魔王さんの魔力……。ええと、とりあえず」
エイジアが指を鳴らすと、空っぽになっていた祭壇の上に、巨大な方形結晶が現れた。
「どうしたんじゃ? やっぱりそれに魔王を封じるのかの?」
「いや、形だけ。いきなりクリスタルがなくなったら、みんな不安に思うでしょ?」
「ふむ……それはそうじゃな」
エイジアは今日の事件を広く公けにする気がないと察して、ペイロン7世はひげをさすった。総主教としては、聖女の役目から解放してもかまわないと思っていたのだが。
つづいて、エイジアは無力になった魔王の拘束を解除する。
すこしおでこが出っ張っているだけのイケメンとなったアヴァンガルドは、一目散に駆けってくるとエイジアの手を取った。
「ああ、わが運命の番聖女エイジアよ! 爾と予で、人類と魔族の垣根を取り払い、万代の共栄のあけぼのとしようではないか!」
「はぁっ!?」
いきなりなにをいい出すんだこいつ、という顔になったエイジアへ、アヴァンガルドはこれ見よがしに指輪を掲げる。
「こうして一対の指輪をそれぞれが身につけている、つまり夫婦であろう!」
「知りません。その理論なら、もうわたしはミレイユさんと結ばれたあとってことになります」
にべもなくいうと、エイジアは指輪を外した。
「ああーっ!? これは運命なのだ、エイジア! 予は本気で爾に惚れたぞ! その強さ、その大度、その寛容! わが后にふさわしい!!」
「うるさいですね。あんまりしつこいとクリスタルに塗り込めますよ」
「エイジア、そこのバカ王子とはもう婚約関係でなくなったのだろう? いまの爾に愛を告げても問題はどこにもないはずだ!」
「レブルザック殿下と婚約破棄することは認めますけど、まだ正式には通告してないし承諾ももらってないですから。あと、婚約破棄したところで、つぎの相手をすぐ決めるって意味でもありません」
「わかった。ならば予は聖女の従騎士からはじめよう」
「さっきから、なに好き勝手ことばっかりいってるんですか」
ロクに話もしないまま邪魔者扱いしてきたレブルザックとは、また別方向にイラッとくるな、とエイジアが聖女らしからぬ思考になってきたところで、総主教ペイロンがなだめに入った。
「元魔王の、身の振りかたを考えてやる必要があるのはたしかじゃよ。従騎士をさせるのは、監視の目が行き届くという点でも悪くない」
「……めんどうだから再封印したいんだけど」
「死の呪いをしこんだわしには『ひどいことする』といっておいて、ずいぶん薄情じゃなあ」
「むう……」
口では猊下に敵わない。
結界維持、もとい魔王封印という聖女の責務はなくなったが、代わりに出現した魔王を飼いならすという、これまた厄介確実な仕事をこなさなければならないようであった。
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王子レブルザックは、王位継承権を失い漂泊の旅に出た。
当人どうしの合意(じつはレブルザックは翻意して「エイジアこそわが真の妻」などとほざきはじめていたのだが)ということで、国王、総主教はじめとする枢密院も全会一致で承認し、レブルザックとエイジアの婚約は破棄されたのだが、今度は、最初の婚約者であったミレイユが、王子との再婚約を拒否したのであった。
聖教会内陣でのレブルザックの無様な姿と芯のない言動が、ミレイユの愛を冷ましてしまったようである。
ミレイユ自身は、己の未熟と不明を恥じている、修養期間をおきたい、として実家と王都を離れ、地方で救貧院の運営をはじめた。
事件のあとにすこしエイジアと話をして、聖女の生い立ちを不憫に思うところがあったらしい。
レブルザックが円滑に王位を継承するには、聖女エイジアか公爵令嬢ミレイユ、いずれかとの縁を結ぶことが不可欠であった。
どちらの有望筋からも袖にされた王太子に対し、王たる器と指導力の欠如を懸念する声が、枢密院に議席を持つ貴族代表と王都議会代表からあがった。
枢密院の双璧の一方、総主教ペイロン7世は国王の病体を理由にレブルザック擁護の論陣を張ったが、当の国王は、不肖の息子に国体を担う器量がないことを認め、継承権と王太子の称号を剥奪する議案を上程した。
採決の結果は5:2。反対票のうち1票はペイロンが投じたものだったが、賛成多数でレブルザックは次期王位を失った。
国王に、まだ幼い次男レオノルドが成長するまで持ちこたえることができると確信させたのは、最近急激に力を増し、〈護りの聖女〉のみならず〈癒やしの聖女〉〈穫りの聖女〉など、各種聖称号を総なめする勢いとなった、エイジアの存在があるといわれている。
そして、聖女エイジアならば国王の病を癒せるだろうとささやいたのは、元魔王アヴァンガルドなのだとうわさされた。
いまや歴代最強の大聖女となったエイジアは、王子レブルザックの代理としてずっと手紙を書き送ってくれていた、宮廷書記官テシオンと慎ましく交際している。
10年間に渡って文字で心を通わせてきた宮廷書記官と、ウザいながらも積極的で愛に偽りはない元魔王、どちらが聖女を最終的に射止めるのか、いまの時点では、結果は神のみぞ知るところである。
おしまい




