エリミネーション
しばらくトラックを走らせてとある山の中にある廃工場へとやってきた。
ここはかつて俺が働いていた工場だったが十年以上前に閉鎖され、俺を始めとする作業員たちを路頭に迷わせた罪作りな工場である。
以前は山のように置かれていた作業機械も倒産の際に全て売り払われたようで、この空間に冷え切った空気を漂わせている。
「ははっ、クモの巣が山盛りだ。昔はこんな山まで時間かけて通勤してたんだよなぁ」
「ゼェ……ゼェ……」
「おい、まったく動いてないのになんで息切れしてんだ?」
「あつい、あつい……」
「あ、そう。ところでここは古びているが、防火に優れた構造になってて、万が一火災が起きても山に燃え広がらないよう計算された地形に建っている」
「ど、どういうこと?」
「つまりこの工場内ならトラックが1台燃えようが大ごとにならねえのさ」
「バシャー!」
「むぐー!?」
俺は荷台のスミに山積みしていた灯油入りポリタンクを全て蹴り飛ばし、木製の床板を溶剤臭い香りでヒタヒタにした。
しっかし延々とストーブで熱せられたこの荷室内は恐らく50度を優に超えてるだろうが、よくストーブの灯油タンクから自然発火しなかったものだと感心するぜ。
ま、灯油は意外にも火がつきにくい燃料なんだけどな。
ともかく俺はこの愚者どもの前で、脅かすようにライターを着火しそれを振り回しながら最後のやり取りを謀った。
「やめなさい……もう十分お母さんたちを痛めつけたでしょ。もう、これ以上やると死んじゃう」
「死なねえんだよ、お前たちは。その顔面釘まみれの血まみれなオヤジがまだピンピンしてるのを見りゃ分かるだろ」
「むががが! ふぐぅっ!」
「どうして死なないなんて分かるの。お母さん、ずっとストーブで炙られて喉がカラカラなの。ねえ、最後に水を飲ませて……」
「いいだろう。アグニャも水だけは飲んだからな。ただし……」
トラックの荷台から降りて後部座席へと向かい、チャチな造りのシートをグイッと起こしてその中に常備されていたクーラント液を持ってくる。
クーラント液を母親たちへ見せびらかすともはや液体ならなんでもいいのか、毒々しい緑に色付けされた甘い香りのする液体を飲ませろと懇願してきた。
40年間、ただの一度も俺に頭を下げてこなかったこの二人が、ただ喉を潤したいという一心で俺にひれ伏している。
こんな得体の知れないケミカルな緑の液を欲し、さらには俺の手にあるライターの火にも意識を向けてビクビクしている。
なんと無様な光景だろうか。こんなのが見たくて俺は幸せな未来と俺の存在した過去を犠牲にしたのか?
「……バッカだなぁ俺。もうどうでもいいや。ほらよ、好きなだけ飲めよ」
「あ、ありがとう、ありがとう!! ゴッキュゴッキュ……に、苦いけどおいしいわ! ありがとう!」
「オヤジも口を開けてやるから飲めよ。ブチブチブチィィ!!」
「ぐ、ぐががががが! 痛い!」
「お父さん! これ美味しいわよ、甘い香りとマニキュアみたいな苦みがサイコー!」
「ゴッキュゴッキュ!! ああ、見るからに毒みたいな緑色だがうまいなぁ! 喉がどんどん潤うよ!」
へぇ、クーラント液って苦いのか。それもマニキュア液みたいな味って言われたら、強烈な刺激臭のイメージが付きまとうが……
まあどうせそんなのを飲んだくらいでは死ぬまい。それどころか、この手に灯るライターを灯油の染み込んだ木製の荷台床に放り投げて盛大に炎上たとしても、きっと一命を取り留めることだろう。
けど、死ぬほど熱い苦しみはキッチリと味わえる。
それじゃ我が両親よ、死ぬ前に存分に喉を潤したようだしそろそろ終わりにしようじゃないか。
「二人で飲んだとはいえ、よく5リットルを一瞬で飲み干したな」
「ふぅ……さぁ、今度はこの忌々しい縄をほどいて! お母さんたちの言うことを聞きなさい!」
「そうだぞ、クソガキが! 今になって自分のやった事の恐ろしさに気づいてももう遅い! お前はムショへ叩き込んで、一生涯犯罪者にイジメられるといい!」
「なんだよ、急にベラベラと。この状況でよく偉そうに喋れるな」
「どうせあんたは親を殺せない臆病者さ。後悔しないうちに早く謝んな」
……あんまりにも長引かせすぎたかな。それじゃみんな、俺は最後のわがままを押し通すことにするよ。
持ち手が加熱し俺の親指を焼き焦がしていた安いライターを床へ接触させ、恐ろしい火柱をトラックの荷台に立ち上げる。
あーあ、みんなと一緒に乗り回した最後のトラックが燃えてくよ。まるでみんなの記憶から俺という存在を焼き尽くしていくような、悲しい炎だ。
「ははははっはあはははははは!」
「イヤァァァァァァ! 火、火を! 火が!」
「ボケこの欠陥人間ガァァァァ! 降ろせ、降ろせ、降ろせ!!!!」
「熱いなぁ! 焼けてくなぁ! これから死ぬんだぜ、どんな気分だ!?」
「アアアアアアアアアア!」
「アツツ! アツイィィ!」
メラメラどころではなく轟々と熱波を放ちながら俺達の体を黒く焦がす火を前に思わず気を失いそうになったが、すんでのところで両親への激しい怒りをたぎらせて気を持ちこたえる。
40年間俺と共に辛い人生を送ってきた、素晴らしいフィジカルに恵まれたこの肉体ともこれでお別れか。
ははっ、ヤワなオヤジと母ちゃんは早くも体が炭化しかかってやがる。だが俺の体は軽く焦げつくだけで健在だ。なぜなら俺はフィジカルだけはガチだからな!
最後の最後まで俺のわがままに付き合ってくれてありがとよ。やっぱり最後まで頼れるのは|偉大なるこの左手と右手《神殺しのゆんでめて》だな。
「それじゃキメるとしよう!」
「|大地母神を殺めた偉大なゆんで!《未来を捧げた冥護破りの左手》」
「|大巨神を屠り去った至極のめて!《過去を捧げた冥護破りの右手》」
「そして……|アトランティスを破壊した究極の禁術!《一度限りのエリミネーション》」
「俺の全てを喰らいやがれッ!!!」
「エェェェェリミィィィィィィ!!」
「ネェェェェショォォォォォン!!」
ミチミチミチと全身の筋肉を、体重を、パワーに関する全てを右手と左手に込めて冥護破りの宣誓をしながらオヤジと母ちゃんをぶん殴った。
それまでいくら痛めつけても致命的なダメージを喰らわなかった俺の両親は、エリミネーションの叫びと共に放たれた俺のパンチを顔面に喰らいトラックを大きく揺さぶらせる!
ズダッゴォォォォン! と凄まじいナックルサミングを喰らった俺の両親は、炭化した体をボロボロと崩してゆく。
「が、ガァアアァァ、ぐるぢぃぃぃ!」
「許さない、許さない、アツイアツイアツイ!」
「ああ、ああぁぁぁ! うがぁぁぁぁ!」
「私の体が……ない……息ももう吸えない……」
……首から下は焼け落ち生首のようになった俺の両親を見たら、俺の全身にドッと重たい疲労がのしかかってきた。
そうか、もうタイムリミットか。
さっきの冥護破りを使ったのが、俺の命を捧げるトリガーだったみたいだな。
ほんと、こんなに何にも残らない愚かな事をするくらいなら、幸せな未来を楽しんだほうが良かったぜ……
死ぬ間際になってそんな当たり前に気づくとか、やっぱ俺ってバカな弱者男性ってやつだわな。
「ガハッ!」
「はぁはぁ、復讐を終えるまでよく耐えてくれたぜ、俺のボディ……」
「そろそろみんな目を覚ます時間かな」
「……」
エシャーティ、俺がいなくてもお前はもう好きなだけ夢を叶えられるよな。
マキマキおじさん、俺より良いヤツと縁があればいいな。
アダム、復興したアトランティスでイブと楽しく生きるんだぞ。
イブ、最後までブスだって言ったのを謝れなくてごめんな。手紙に謝罪を載せたから勘弁してくれ。
ゴロ、みんなより少しだけ付き合いが短かったけど最高の友達だったぜ。奥さんと息子の仇はとったからな。
そして……
「アグニャ、お前はもう俺がいなくてもいいくらい友達が出来たよな。本当に嬉しいよ……」
「だからおじちゃんとはもうお別れだ」
「これからはみんなと仲良く……」
「する……んだ……」
段々と全身から焼けるような熱さが引いてきたと思ったら、遂に俺の体も燃え尽きたようだ。
密室ではないとはいえ四角いアルミバンの荷室からは酸素がガンガンと焼き尽くされ、思考もままならない酸欠へと陥ってきた。
なんて穏やかな最期だろう……
みんなへの思い出を胸に、俺は40年の人生は二度目の終わりを告げたのであった。
ちょっとした裏話
実は主人公の名前は連載開始直前まではエリミネーターにちなんだ適当なモノが付けられておりました。
けれど主人公の名を捧げて必殺技を出すという展開を思いついたので、せっかくなら”みんなの記憶から名前を消す”……
つまり読者様からも名前を認識させないでやってみようと、かなりひねくれた思い付きでこれまで一度も主人公の名前を出さずにやってきた次第であります。
名を伏せることに執着するあまり不自然なシーンが発生したりと本末転倒になってしまったという、作者の未熟が露呈しただけの情けない小話でした。
それでは残り3話、どうぞお楽しみください!




