命の恩人
突然だがみんなにゴロの家族がどのような仕打ちを受け、どんなケガを負ったのか少し聞いてもらいたい。
朝、俺のオンボロ軽でゴキゲンな通学を楽しんでいたゴロの奥さんと息子は、信号待ちで強烈な追突を喰らい何針も縫うケガをした。
さて、ここで改めて今の親父の状態を見てもらいたい。
「ピクピク……」
「みなさんお分かりでしょうか。皮肉にもこのボケ老人はトラックでひかれ、顔を釘で縫われるという報復が返ってきたのです」
「ヒィィ! こわいこわいこわい! 急に独り言を言ってる! 気持ちの悪い子!」
「じゃあ自ずとアグニャを痛めつけたこの愚か者にすべき報復も見えてきませんか?」
「アグニャ!? あのバカネコがなんだってんだい! そういえば見当たらないけどくたばっちまったかい!?」
「今から痛い目にあうってのにベラベラ口が回るもんだぜ」
アグニャは猛烈な暑さの中、必死に水を飲みながらも弱りきって衰弱した。
真夏の俺の部屋はエアコンをつけていなければ40度、いや50度にすら達する中で、アグニャはひたすらに俺の助けを待ちながら暑さに苦しんだことだろう……
となれば、このクソババァにも同じ目にあってもらわないとな!
「生憎俺にはもう時間がないから熱い部屋に閉じ込めてる暇はねえ! 残念だったな!」
「な、な、何を言ってるのあんた……」
「だからお前さんをトラックの荷台に押し込んで、うちの各部屋にある石油ヒーターをガンガンに付けながらドライブと洒落こむ」
「バカなこと言わないで! はやく救急車を呼びなさい!」
「救急車? そうだな! 親父も乗せて霊柩車代わりにするか!」
アチアチにするから少し火葬っぽいしな!
というわけで親父ィ! 母ちゃんのせいでお前も着いてくることになったぜ!
家族3人でドライブするのなんていつ以来だろうな。思い出してみても俺が高校へ通ってた時分よりさらに遡るし、更に言うと遠出するたびに親父も母ちゃんもイライラし始めて空気が最悪だった記憶しかねえよ。
……ああ、最後の最後でイヤ〜な記憶が蘇ってくる。ダメだ、俺のネガティブな悪癖がこんな時でも容赦なく襲いかかってくる。
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そう、あれは小学生くらいの頃だったか。両親に連れられて生まれて初めて海へ出かけた夏休みの出来事だったな……
「クソが、なんで俺の大事な日曜日をこんなクソガキのために使わねえといけないんだ」
「仕方がないじゃない。このバカが友達と海で遊ぶ約束しちゃったんだから、行かないとメンツが立たないわよ」
「ほんっと余計な事しかしねえ。フー、スパ〜……」
「ゴホッゴホッ……お父さん、お母さん、ごめんなさい……」
本当は友達と海で遊ぶ約束なんてウソだった。俺はどうしても海へ行ってみたいがために、いもしない友達と約束をしたと両親へ言って連れて行ってもらったのだ。
ただ純粋に海が見たいだけだった。国語の教科書に出る未知の青に惹かれただけだった。
けれどこんなにも両親がイライラするとは思わず、俺は少しずつ近づいてくる海に焦りを感じ始めた。
だって約束をした友人なんてどこにもいないのだから。ウソをついて親父たちを引っ張り出したとなると、叱られるのが分かりきっていて段々と涙が出そうになる。
ピリピリとするストレスに胃がただれそうになり、心臓だって親父の乱暴な運転に合わせ不規則にリズムを乱す。
「はぁ、やっと着いた。こんなアチぃ日になんで人の群れの中を泳がねえといけねえんだよ」
「お父さんは男だからいいでしょ、私なんか日焼けするわ潮で肌が荒れるわで大変なのよ」
「はいはい。で、お前の友達はどこなんだよ」
「ご、ご、ごめんなさいお父さん! 実は友達と約束したっていうのはウソなんだ……」
「ハァ!?」
「どうしても海に来たくて……」
ジリジリと刺さるような日差しが入る車内で、俺は熱くてたまらないのにスゥっと冷えるような寒気を押し殺して白状した。
するとブチギレた親父たちはガァガァと俺を怒鳴りつけ、俺の荷物を外へ投げ捨てると勝手にしやがれと放り出されてしまった。
あんまりにも恐くて何を言われたのか全く覚えてないのを覚えている。
ただ俺は、親父に言われたとおりにとりあえず水着に着替えて放心しながら海へ浸かりに行ったのは確かだ。
「ぐすっ、ぐすっ……」
「こんなことなら、一生海なんて我慢しとけばよかった」
「こんなに色んな人が楽しそうに泳いでるのに、なんでお父さんたちは楽しくないんだろう?」
「チャプチャプ……」
「でも海って楽しいなぁ」
最初は親から怒鳴られたのを引きづって渋々と海へ浸かっていたが、いざ夏休みの人たちで賑わう中を泳いでいるとすぐに楽しくなってきた。
ただ俺は海の恐ろしさを知らなかった。
海はプールと違い底が不規則で、足が付く場所の数センチ先は水深が深いことも十分にあり得るというのを知らなかったのだ。例え沖まで出なくとも、小学生にとっては危険なのだ。
「あ〜、楽しいなぁ。いったん上がって休も……ズルッ」
「うぁっ!?」
「水が深くて……足が……グボ!」
「わあああああ! わあああ!」
「フーッ! ブババっ! げっほ!」
息継ぎをしようとした瞬間の事だった。砂底を蹴り上げて少し浮き、顔を出そうとしたら底が無かったのだ。
完全に面食らった俺はパニックになり少しでも浮き上がろうと体をバタつかせるも、息がおっつかなくなり悪循環になってしまった。
回らない頭を水しぶき越しに太陽で焼かれながら、少しでも陸へ近づけば底があるだろうと思い必死にもがく。けれど不規則な海の波はパニックになった子どもを無慈悲にもてあそぶ。
やがて酸欠と疲労で体の末端から少しずつ力が抜けていくのを実感した俺は、水中だと言うのにまるで重力の重みに潰されるような感覚に陥りながら溺れてしまったのだ。
……が、そこへ俺の異変を感じ取ったライフセイバーが猛烈な勢いで駆けつけてくれ、救助してくれたのだ!
「バシャシャシャシャシャシャシャ!!!!!」
「ゴボゴボ……」
「キミ、大丈夫か! 後ろから少し掴むが、怖がらないでな!」
「……」
「水をだいぶ飲んでるな……ちょっと痛いがガマンしろよ! 男の子だから耐えられる! フンッッッッッ!!」
「ゴェッ! ビシャビシャー!」
モウロウとした意識の中、長身でたくましい体をした男が必死に声を掛けてくれたのは今でも感謝の念とともに俺の記憶に刻み込まれている。
ライフセイバーは返事ができない俺の状態をすぐに察知し、即座に太い腕を俺のワキに回しグンッと体を海面から引っこ抜くようにして揺すり、飲み込んだ水を吐き出させてくれたのだ。
今振り返るとそのライフセイバーは少しマキマキおじさんに似ていた。堀りの深い顔つきや勇ましい巨躯、そして俺にクァァみたいなことをさせた辺りがマキマキおじさんそっくりだ。
ともかく陸へあがり一命を取り留めた俺は、そのマキマキおじさんみたいな人に何度も何度も礼を言い、少しブルーな気分で海に来たと事情を話したりしたのだ。
「なるほど。せっかく海へ来たのに怒鳴られたら、そりゃあ悲しいわな」
「うん。でも海に来たくてウソをついたぼくが悪いんだ」
「そんな事はないぞ! よし、お兄さんそろそろ今日のシフト終わるから、一緒に泳ごう!」
「いいの!? おじさんありがとうー!」
「お兄さん、だろー! オラァ〜ナイアガラボンバー!」
「ぎょえー! たのしいー!」
マキマキおじさんみたいなライフセイバーに海へ向かって投げ飛ばされた俺は、間違いなく楽しい海を満喫していた。
元々泳げる俺にさらにスイミングのコツを教えてくれたし、もし遊んでる途中で足がつったりして溺れそうになったらとにかくヒザを抱え込んで丸まり、大きく深呼吸をして落ち着けば俺が必ず助けてやると安心させてくれた。
「今度溺れそうになったらお兄さんがどこからでも助けてやろう!」
「ホントに!? 周りが全部海だったら?」
「そんときゃ……海の底で待機してキミを助けよう」
「海の底〜!? おじさん溺れちゃうよ〜」
「はっはっは、俺ァ息が長いんじゃい。ほら、見とれ!」
「す、す、すげー! 2リットルのジュースを一気に飲んだ!」
心優しきマキマキおじさんのようなライフセイバーと昼食まで食べ、初めての海を最高に楽しく、そして生まれて初めて他人から嫌われない心地よさに感動をした。
その後俺の両親がシビレを切らして探しに来る夕方まで一日中ずっと遊んでいた俺達は、もうすっかり打ち解けあっていて別れを惜しんだ。
「ホンットにうちのバカがご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした!」
「海はどれだけ泳げる人でも運が悪ければ溺れてしまうものです。それを助けるのが俺たちの仕事なので、全然迷惑じゃないですよ」
「あんた! もう二度と海には来ないからね!」
「……あの、この子から聞きましたが、たまにはここへ連れてきてあげてもいいんじゃないでしょうか」
「あ? なんだ若造が、人の育児に口出すんか?」
「いいんだ、おじさん。ぼくが悪いんだ……」
「いいや、キミは何も悪くない。またいつか必ず会おうな。俺とキミは何か縁がある気がするんだ」
ライフセイバーに見送られながら大嫌いな親父の運転する車へ乗り込んだ俺は、夕焼けに染まり楽しい思い出が出来た海と、確かな縁を育んだライフセイバーが見えなくなるまでずっと窓から顔を離せなかった。
海。俺が唯一嫌な思い出を持っていない場所。
そこは生まれて初めて人の優しさに触れた場所だ。
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あれ以来俺はアグニャを飼い始めるまで一度も海へ行ってなかったが、今でも心の中にはあの優しいライフセイバーとの思い出が残っている。
嫌な思い出が蘇ったと思ったが、きちんと振り返るとをあんなにも楽しい思い出だったんだな。
どうしてもこのクソババァとクソ親父に怒鳴り散らされた記憶ばかりが先に浮かび、あのライフセイバーの事を忘れてしまいそうになっていた。
「……最後の最後に、なんであのおじさんを思い出すかな」
「しかし思い返せばマキマキおじさんと似てる人だったよなぁ」
「っと、いけね。灯油入れすぎちった」
「きー!!! ヒモをほどきなさい! こんなストーブでお母さんたちを囲んでどうしようっての!」
「あーあー、楽しい思い出に浸ってたのにアンタさんの奇声で台無しだ。カチチチチ!」
「ボワァァァ!」
「むぐー! むふぅー!」
うちには古い石油ストーブしかないが、電源のいらない美点がトラックの荷台を暖めるのに活きる。レガシーな器具も侮れないものだ。
木製の床板にストーブを豪快に釘で打ち付けて固定しているので普通に運転する分には倒れたりしないだろう。
もわもわと無慈悲に箱型の荷台を暖めてるのを母ちゃんたちは汗だくになりながら睨みつける。下手に声を出すと体力を使うわ脱水症になるわで危険と判断したのだろう。
さあ、これからしばらくドライブといきますか。このトラックは荷室にカメラが付いてるから、灼熱の空間で息絶え絶えな様子や、猛スピードで道路を爆走し振り回される様がバッチリ見れるからな。
たっぷりとアグニャの苦しみを味わうがいい。そして最後の最後に、とっておきの俺の全てを掛けたエリミネーションをぶっかまして何もかもを終わらせてやる。
作者より一言
あと少しで遂にこの作品も完結を迎えます!
感想欄で両親へ復讐すべきと助言をくださった読者様のおかげで最終話付近のこの一連のエピソードが誕生しました。
当作品を楽しんでくださっただけでなく、素晴らしいアドバイスまでくださり本当にありがとうございました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。




