ぬいぐるみ
数時間にも及ぶエシャーティの手術が終わるのをひたすら待っていた俺たちはしばらく昼寝をして休憩することにした。起きたばかりだったエシャーティもまだ体を動かすことに慣れていない、というか異世界とは違って有限で貧弱な体力のやりくりが上手くいかないようで一緒に昼寝としゃれこんだ。
それで目が覚めるともう既にみんな起きていて、何やら話をしているようだった。なんだか会話の途中のようで割って入りにくいし、少しタヌキ寝入りして盗み聞きしちゃおう。
「でさ、そのドナーの人たち異世界から来たとか変な事を言ってるんだよね。服装も変わってるし、外国の人っぽいのにパスポートどころか身分を証明するものも持ってなかったし」
「ちょっと待って、そんな怪しい人の内蔵を使ったの!? き、聞いてないんだけど」
「だってキミ、ドナーが見つかったって言ったらどんな人だろうと絶対に逃がすなってボクを脅したじゃない」
「それはそうだけど怪しかったら一言くらい言ってよ!」
「でもね、ドナー提供に際して精密に検査してみたらとんでもなく健康的で病気歴も皆無な理想の肉体だったよ」
「まあそれならいいけどさ……あたしに適合するドナーが皆無なのは分かってるし、その人を逃せば本当に一生治らなかっただろうしね」
「奇跡だよ。奇跡としか言いようがない」
なんかエシャーティに臓器を提供してくれた人の話だったようだ。しかし異世界から来たとはなんて親近感の湧く妄言を吐く人なんだ。
いや、俺たちも異世界とこの世界を行き来してきたし実は本当にどこか別の世界から転生してきた人間だったりしてな。さて、会話も一段落したみたいだしそろそろ起きよう。
「ムクッ!」
「うわっ、急に起き上がった! どうしたんだい、まさかまた過酷労働のフラッシュバックで苦しいのかな?」
「いや、目が覚めただけだよ。おはようさん」
「みゃあ、おじちゃんが寝てる間にごはんが来たミャ」
「ほほう! まさか入院していない俺の分もあるのか?」
「当然さ。ボクの病院なんだから数人分の食事を用意させるのくらい何てことないよ」
ゴロがサラッと言った発言に俺は耳を疑う。え、ボクの病院? そう言えば看護師たちはしきりに院長院長と言っていたが、まさかそれってゴロのことだったのか?
「変なことを聞くが、この病院の院長先生はゴロだったりする?」
「そっか、あなたは知らなかったわね。その通りよ、ここはゴロが経営している病院なの」
「マジかよ……こんなデカい病院の院長だとは思わなかったぞ。いや、あんな豪邸と高級車を持ってたらそりゃそうだよな」
「褒めまくってくれてありがとう。ま、ボクとエシャーティはずっと海外にいたからこの病院に来るのは久しぶりなんだけどね」
「そうね〜。何年ぶりかしら。ドナーが見つかって久しぶりに来たもんねぇ」
そういえばこの二人は海外在住で日本にはドナー移植の手術をしに来たんだったな。ということは院長を務めてるくせにあんまりここにはいないのか。変わった病院だなぁ。
もしかしてこの部屋にいくつか存在する年季の入った物たちは、昔エシャーティがこの病院にいたときに使っていた品々なんだろうか。超高級な調度品に混じって点々と置かれたぬいぐるみやおもちゃ、そして難しそうな表紙の本が幼き日のエシャーティがどう過ごしていたのかを物語っている気がしてきた。
「改めて眺めると懐かしいね。このネコのぬいぐるみ、ちょっとアグニャに似てない?」
「みゃっ! この勇ましい銀の色合いと知性を感じるガラスのような目は確かに似てるにゃ〜」
「このぬいぐるみはすごくお気に入りだったんだ。ふふ、失くしたと思ったらここに居たのね……」
「大事な存在だったんだな、その子が」
「うん! 早速一つ夢が叶ったよ。”この子を探し当てる”っていう夢がね」
「うっ、なんかワシ、泣きそうになってきた。よかったのぅ、よかったのぅ……」
ホコリを被っているネコのぬいぐるみを大事そうに抱え、長い間離れ離れだった時を取り返すかのようにエシャーティは抱きしめている。その慈しみに満ちた姿はマキマキおじさんの涙腺をエリミネーションしたようだ。
泣きわめき始めたおっさんは置いといて、俺もそのぬいぐるみを手にとってみた。耳に高級品であることを示すようなタグと、それをおしゃれに抑えているボタンのピンがタダモノではなさそうなオーラを纏っている。しっかりとした重みもあるし何よりネコの時のアグニャに負けず劣らずの巨大サイズだから撫で応えもあって素晴らしいぬいぐるみだ。
「すごいなこのぬいぐるみ。本当にアグニャみたいでエシャーティが大事にするのもよく分かる」
「でしょ! あたしがまだ10歳くらいの時にゴロが奮発して誕生日にプレゼントしてくれた思い出のぬいぐるみなの!」
「おや、覚えててくれたんだね。このぬいぐるみは医者になって日の浅いボクが買うには一財産を費やさないといけなくてね。今でもロンドンのナイチンゲール病棟で寝ずに働いた思い出が蘇るよ……」
「ナイチンゲール病棟ってなんかすごそうだな」
「病室のスタイルの一種よ。数十人の患者が廊下にズラッと並んで入院する効率重視の病院建築ね」
「エシャーティとは無縁そうだな」
「まあね」
しかし新米とはいえ医者から一財産をかっぱらっていくとは、本当にアグニャに似てお金のかかるネコなんだな。そう言われてみるとモッサモサの毛は凄まじい密度で植えられているし、製造されてから長い時を経ているのに全くほつれやくたびれが見当たらない。
重病人のエシャーティが所有していたので乱暴に扱われなかったのも大きいのだろうけど、元々が高品質なのだろう。ところでこの耳のタグにはいったい何が書かれているのかな?
「なになに……056? すげえな、ゴロじゃねえか」
「すごい偶然だろう。そのぬいぐるみは100匹限定の品でね。56っていうのは個体番号でもしケガをしたらロンドンの本社に持っていくとその子専用の治療してもらえるんだよ」
「みゃあ、にゃんだか説明するときだけゴロは饒舌になるみゃ」
「あんまりそのタグをまじまじと見ないでよ。製造年が書いててあたしの歳がバレる」
「おっ、これか? えっと、エシャーティが10歳の誕生日にもらった物だから……」
「ちょっとちょっと、計算しないの!」
本気で恥ずかしそうにしているので乙女心を尊重しここはボカしておくことにしよう。ちなみに他にはぬいぐるみの色を表しているのか”schnee grau”と記されていたり、サイズを表すのか60と併記されていたりした。でっけえ。
急に60センチと聞いてもすぐに思い浮かばないだろうが、千円札は15センチちょうどなので千円札を縦に4枚重ねたらこのぬいぐるみとほぼ同じサイズが再現できる。ちなみに尻尾は除外されているらしく、尻尾まで入れると1メートル近いサイズになってさらに2枚の千円札が追加される……!
「いやぁ〜、デカいなこれ」
「でしょ! あと中になぜか磁石が入れられたネズミのおもちゃとお手入れ用のクシとかもあったんだけど、いつの間にか失くしちゃった」
「もし失くしたネズミが欲しければこの子を持ってロンドンに行けばいくらでも貰えるよ」
「すげえ〜」
ぬいぐるみ一つとっても俺のような庶民が考える高級の度をいちいち超えてきてすごいとしか言いようがない。なんだかズッシリと重たい金塊を持ってるような気がしてきたので、このぬいぐるみはエシャーティに返そう……
「触らせてくれてありがとう。はいよ」
「ん、どういたしまして。ふふ、久しぶりに一緒に寝ましょうね〜」
「なんかエシャーティが乙女チックなことを言ってるの新鮮だ」
「小さな頃を知っているボクもこうしてぬいぐるみを持って喜ぶエシャーティを見るのは久しぶりだよ」
「みゃ〜。エシャーティのヘタクソな撫で方はあのぬいぐるみが躾けたのかミャ。戦犯だにゃあ」
「えー、あたしのどこがヘタだって言うのよ」
「尻尾を鷲掴みしたり、耳を揉んだり、お尻に指を近づけたりするとこだミャ」
なんてトコを触ってんだ……耳や尻尾はともかく、なぜお尻に指を近づけるのだ。そりゃアグニャのケツは謎の魅力が醸し出されていてじっくりと観察してるだけで一日を過ごせるほどだが、触ると露骨に嫌がるぜ。
しかしエシャーティは異議ありといった様子で反論をしてきた。
「あたしお尻に指なんて近づけたことないよ?」
「ウソだみゃ〜! 指を近づけたあげく、スリスリと動かしてやらしいミャ!」
「スリスリしてるのは、その、指を動かすのに慣れてなかったから!」
「なあ、ケツじゃなくてどこを触ってたつもりなんだ?」
「えっとね……ちょっとネコになってくれる?」
「うみゃ〜、気が乗らにゃいけど……ポン!」
渋々とネコ化したアグニャはぴょいーんとエシャーティの座るベッドに飛び乗り、ものすごく嫌そうな顔をしながら近づいていった。あんなに険しい顔をするのは動物病院へ連れて行く時と風呂に入れる時くらいだ。
「はぁ、いつ見てもネコアグニャはかわいいね……」
「フシャァァァ」
「早く例の場所を触ってみろ、と言ってるぞ」
「そうだったわね。えっと……こ、ここかしら」
「うみゃああああああ!! ズドドドド!」
「きゃー! 走って逃げた! かわいい〜!」
「かわいいじゃないよ! なんでケツに指突っ込もうとしたんだ! そりゃアグニャも怒るわ!」
「え? い、今の部分ってお尻の穴があったの? 毛が長すぎてよく分からなかった……」
人間に戻ったアグニャはお尻をさすりながら俺の横にピタッとくっついて身を守っている。腰から生えた尻尾はドシンドシンと病院の床を叩きまくり、エシャーティへ怒りを表明している。
あんまりブンブンと尻尾を振ると俺に当たって痛い。人間状態の尻尾は毛に覆われているとはいえ、まるでバットのように太くて頑健な骨組みを持っていて強い力ではたかれるとめっちゃ痛い。
「ごめんねアグニャ、あたしてっきりそこは腰かなんかだと思ったの」
「にしてもにゃんで指を差すにゃ! 悪意を感じるミャ!」
「何度も言うけど本当に指を細かく動かすのに慣れてないの。悪気はないけど嫌な思いをしたよね。本当にごめんなさい」
「……それもそうだったみゃ。ま、そのうちまた撫でさせてあげるとするにゃん」
「ありがとう! やっぱり優しいね、アグニャ!」
急に揉めてハラハラしたけどすぐに仲直りして俺たちはホッと一安心した。しかしなんてかわいらしいやり取りだろうか。エシャーティは早速腕をぶんぶん振り回して体の使い方を会得しようとしてるし、アグニャはそれを見てふさふさの耳をピクピク動かし襲いかかろうと機を伺っている。
襲いかかるというか、エシャーティの動きがまるでコイコイ棒を振るようなダイナミックな動きで思わず体が反応しているのだろう。
エシャーティが油断して目を逸らす瞬間を今か今かと待つアグニャ。やがて一休みしようと体をググッと伸ばしたエシャーティに、巨大な銀色は襲いかかった!!
「今だみゃ! うにゃにゃにゃにゃ!」
「わっ、ちょっとなに!? いきなり抱きついてこないでよ!」
「にゃあ〜ご! テシテシテシテシ!」
「きゃんっ! 手をペチペチしないでよ〜、くすぐったくて力が抜けちゃう〜」
「参ったかミャ! これでも喰らえにゃ!」
「あたたた、脚でゲシゲシしないで! ちょっとあなたたち、見てないで助けてよ!」
「アグニャの気が済むまで相手してやれ」
「そんなぁ……あ、ちょっと、そんなとこ舐めないで」
「ペロペロペロペロ」
おやおや、アグニャったら大胆なんだから。エシャーティの太ももをそんなに舐めてると小さな体は慣れない刺激に驚き、ピクピクとくすぐったさに悶えているではないか。
エシャーティよ、アグニャは満足するまで非常にしつこいぞ。特に怒りを感じている時は俺でも疲労困憊になるほどだ。頑張って遊び相手になってくれよ。俺はその様子を見ながら夜飯でも食うから。
「おっ、病院食なのに天ぷらを出すのか」
「よく花が咲いててキレイだろう。脂質制限の必要がない患者さんにはこういうのも出すんだよ。美食は快方への近道だからね」
「知らなかったなぁ。すごいサクサクした衣で見た目も食感も最高だぜ。うまいなコレ!」
「ちょ、ちょいちょい、天丼食べるヒマがあるならそろそろ助けて……あ、あぁっ!」
「逃さないミ゛ャ! 喰うニ゛ャ」
「イヤー! アグニャに食べられちゃうー!」
うむ、ベッドの上で黄色い声をあげながら絡み合う乙女たちを見ながらの天丼は実に美味しいな!
ハッ……これが高級料亭のお座敷で少しスケベな接待される強者男性の気持ちか!? なるほどな、こりゃ接待文化が無くならないワケだ。あー、二つの意味で美味じゃ。ごちそうさん。
アダム「大丈夫か、イブ。いくら義のためとはいえ自分の内蔵をいくつか差し出すなんてやり過ぎだぞ。ほら、あーん」
イブ「もぐもぐ……いいんだアダム。それに生きていく上で支障が無いようにはしてくれたと医者も言ってたじゃないか」
アダム「もし体が辛かったらすぐに言うんだぞ。イブがいなければ俺は生きる楽しみを失ってしまうから、どんな些細な違和感でも全て話してくれ」
イブ「そ、そ、それって何だかプロポーズみたいな文言だな〜、なんて、へへ……」
アダム「プロポーズか……イブの体が回復するまでにもっと良い言葉を練っておくから、それまで待っててくれるか?」
イブ「……はい!」
アトラス(うひょ〜!! キタキタキター!)




