結んだ縁は永久に
市街地から車を走らせ30分。俺たちのいた場所から最も近場に位置する港へとやってきた。この港では車を横付けして釣りをすることができて便利なスポットだとまっぷるんには書いてあったが、平日のクソ暑い昼間にわざわざ釣り竿を垂らしに来ている人はいなかった。
「ま、誰もいないほうがマキマキおじさんを呼びやすいしラッキーだな」
「みゃん〜」
「アグニャはピッピーの中で待っててな。この時間のアスファルトは溶岩と変わらない危険物だから」
「うみゃ!」
アグニャを車内で留守番させて俺は外に出る。車のエンジンは掛けっぱなしだし、冷たい水だって大量に置いたので死ぬことは無いだろう。それにあんまり長いこと時間を使うつもりもないしな。
辺りを見回してみるとふよふよと波に浮かぶ船がズラリと並んでいるが、全くと言っていいほど人の気配はしておらず、この暑い日中でも船体からは機械の冷えた香りが漂っていた。
「すぅー、はぁー」
「……来たれ海神オケアノス!」
あー、やっぱこの年でこのセリフはキツい。いくら誰もいないからとはいえこんなクサい言葉を言うのは恥ずかしいよ。ホントに誰もいなかったよな?
思わず俺はキョロキョロと辺りを見回す。よしいない。セーフだ。というかマキマキおじさん来てくれるのだろうか。また会おうねって言ってたけど、呼び方はあれでよかったのかな。これでマキマキおじさん来なかったらいよいよエシャーティ探しが難航するぞ。
しかしそんな心配は杞憂に終わった。急に沖合いの方から音がしたので目を向けてみると、何者かがオーロラを纏いながら海上をすごい勢いで駆け寄ってきてるもん。どう見てもあの異様な光景は神の仕業。さあ近づいてきたぞ、だんだんあのヒゲ面が見えてきたぞ!
「久しぶりじゃのぅ〜! 元気しとったかー!?」
「来たー! ほんとに来やがったー!」
「嬉しい? ワシに会えて嬉しい〜?」
「嬉しいに決まってんだろ! うひょ〜、こっちの世界でああいうオーロラ纏うのとか見ると、めちゃくちゃスゴそうに見えるじゃん!」
「そうか! ほれ、これとかどうじゃ?」
マキマキおじさんは海の上でお得意のクァァを披露すると、なんとうずしおが巻き起こり周辺の船々を水面の葉のごとくゆさゆさと揺らし、ぶつかり、転覆させてしまった。いとも容易く行われる大自然災害にコイツ邪神なのかな、と疑いの目を向けてしまいそうになる。
「ふぉっふぉ、そんな目で見るでない。あれは外国で取れたシジミを国内の海に撒き、それを再び回収して国産シジミと偽って販売してる業者の船じゃよ」
「なんだそれ、詐欺じゃねえか」
「そうじゃ。じゃが実はやり方によっては詐欺じゃないのじゃ」
「ふーん……って、そんなことはどうでもいいよ! マキマキおじさんにしか言えない事があるんだよ」
「ほっほ、そんなの分かっとる。アグニャのことじゃろう?」
「え、違うよ。エシャーティのことだよ」
でもマキマキおじさんがとっさにアグニャの事、と言ったのは気になるな。その反応って何だかアグニャについてマキマキおじさんから話すことがあるような素振りじゃん。でもそれはまた後だ。とりあえず今は全員の再会が最優先!
「エシャーティじゃと?」
「実はエシャーティのいる病院が見つけられなくて困ってんだ。だからマキマキおじさんにお願いして会えないかなって」
「なるほどそういう事じゃったか。ところでおぬし、こんな人気のない寂れた海までどうやって来たのじゃ?」
「え、普通に車で来たけど」
「車……! おぬし、車持っとるのか!!」
すぐそこに横付けしている車を指差すと、なんか窓べりからアグニャがこっちの様子を見ていてとても癒やされた。いや、癒やされてる場合じゃねえ。
なんとマキマキおじさんが車をベタベタ触り始めたのだ。汚え。手でガラス触んな。ミラーに指紋つけるな。変なとこに指突っ込むな。アンテナ出し入れすな!
「ほー、ふーん、なるほどのぅ、なぜ電球が何個も……?」
「あっ、その穴にあんま顔近づけないほうがいいぞ」
「お、おあー! 毒じゃ、毒煙じゃァァァァァ!」
「おい、マフラー本体はクソあちいって!」
「ぐ、ぐわわわわわ!?」
もしかしてマキマキおじさんは車を触った事が無いのだろうか。まあこの世界じゃ神さまは人間の前に現れること滅多にないもんな。よし、マキマキおじさんには今までずっと助けられてきたし、たまには俺も友人のためになんかしてやるか!
「ほ、ほひー、やっぱコレ危険なのじゃあ!」
「そんな事ないって。気になるならさ、これ俺の物だしじっくり教えてあげるよ」
「ほ、ほんとか!?」
「ホントホント。そうだな、まずはよく中を見てくれ。アグニャがいるだろ?」
「……むむっ、アグニャがおる! ど、どうやって入ったのじゃ」
「ほら、ここを引っ張ると開くんだよ」
俺が運転席のドアノブを引っ張って車を開けたらマキマキおじさんもそれにならって横のドアノブを引っ張った。すると後部座席の窓から真剣な表情でマキマキおじさんを睨んでたアグニャは、突然のドアの開放にビックリしてドタドタと巨体をシートの下に……も、潜り込めないッ!
「すごいのぅ! めちゃくちゃヒンヤリした空間じゃ! しかしなんじゃこの、見た目とは裏腹に席が2つしかない貧相さは」
「貧相とか言うなよ。あのな、今は席を倒してるけどこうすると……」
「ぬわー!? これ椅子だったのか! なんて便利でジーニアスな機械なのじゃ!」
「ふ、ふ、フシャァァァァァ」
「あー、アグニャが暑いから閉めろって、マキマキおじさん」
「むむ、アグニャ?……おお、そんなトコにへばりついていたのか!」
「うみゃみゃみゃみゃみゃ!!」
「ぐ、ぐわわわわわわわわ!?」
液状化してなんとかシートの下に無理やり入っていたアグニャは、マキマキおじさんがズカズカと自分のプライベートゾーンに入り込んで超高級パウチフードやお気に入りのミネラルウォーターをどかしたことに非常にお怒りのご様子。
マキマキおじさんがアグニャに目を向けた瞬間、アグニャは猛烈な勢いでマキマキおじさんのダビデを噛み潰したのだ……!
「みゃんっ!」
「ピクピク」
「あ、あらー、これはえぐい」
「みゃあ〜」
「なあアグニャ、マキマキおじさんは初めてピッピーに乗ったっぽいからさ、ちょっとだけうざいのは我慢してやってくれ」
「にゃ」
アグニャに襲われて車外に飛び出し、股間を抑えながら転がりまわるマキマキおじさん。それを見下すアグニャはどこか蔑むような冷めた目だった。でもそんなお顔もキュートだ……
まあでも一応納得はしたみたいなので、俺はマキマキおじさんに声をかけた。
「ほらマキマキおじさん、いつまで遊んでるの」
「お、おお、すまん。おいアグニャよ、今回は事故ということで目を瞑るが次やったらクァァじゃぞ」
「う、うみゃん……!」
クァァされるのか……あれは本当に汚らしいから嫌なんだよね。しかも今のアグニャはモッサモサの毛に覆われたネコの姿なので、例え綺麗な水だとしても体が濡れるのをとても嫌がる。それが汚水となれば……考えるだけでゾッとするな。
まあマキマキおじさんは俺とアグニャの悪寒など露知らずといった感じで、うきうきしながら今度は反対側へと回り込み、ニコニコしながら助手席に座った。背もたれから背中を少し離し、綺麗に背筋を伸ばして頭が天井スレスレだ。やっぱ神さまだから姿勢がいいんだな。
「なかなかこのイスは座り心地がいいじゃないか! 肘掛けもあるし絨毯も敷かれていて素晴らしいぞ!」
「気に入ってくれたみたいで嬉しいぜ。あ、車に乗ったらこのシートベルトっていうヤツをここに差し込んでね」
「シートベルトか。よかろう。ふんっ……ふん!? ふんぬゥゥゥゥっ!?」
「やると思ったよ」
案の定ガコンガコンとシートベルトをロックさせてしまうマキマキおじさん。スルスルと引っ張れたシートベルトが急にガチッとロックされる謎の仕組みに偉大なる海の神さまは何とも不思議そうな顔をしながら両手でガコガコと引き続ける。かなり強く引っ張ってるのか衝撃で車体が少し揺れるレベル。アグニャのお水もパシャパシャとこぼれ、だんだんアグニャのご機嫌はななめに……
「フシャァァァァァ!」
「す、すまんのうアグニャ! こ、このシートベルトなる装置、なかなかどうして思い通りにいかなくてのう!」
「ストップストップ! あのね、一回手を離してみて」
「……おお、引き込まれていったぞ!」
「で、今度はゆっくり優しく引っ張ってみて」
「む、それはもしや”神への願い”かの? それなら分かっとるよな? ワシを信仰するのじゃ! ほれほれ、信仰信仰、ほーれほれ!」
「み゛ゃん゛っ!」
「アオーゥ!!」
「あーあー、アホなこと言ってるから……しーらね」
まあでも俺もテンションが上がるとこういうウザいおっさんのノリが出ちゃうからマキマキおじさんを責める気にはなれない。第23話でアグニャに”たまにダルい時もある”って言われてから、色々と己の言動を振り返ったんだ。するとさ、俺って結構うざいおっさんだなって……
まあともかく、もうしばらくはマキマキおじさんの初乗車体験で時間を使うことになるだろう。そして合間合間にキレたアグニャがマキマキおじさんに襲いかかる流れも繰り返し行われるはずだ。
地震の発生まで俺の記憶が正しければ残り1時間ほど。そろそろ出発せねばエシャーティと会う前に地震が起きてしまう。でも……
「にゃあ、みゃみゃ〜ん」
「おお、すごいのじゃアグニャ! どうやって窓を開けたのじゃ!?」
「……みゃあ?」
「はいはい、ここを押すんだよ」
「みゃ〜! カチカチカチカチ」
「ほげー! カチカチカチカチ」
もうしばらくの間はこうして三人で遊ぶのも悪くないだろ? 市街地までここから30分。どうにかなるもんさ。それにエシャーティだってただボケッとしてるわけじゃないだろうし、地震の発生までに再会できなくても大丈夫だろう。さて、次はウォッシャー液を噴射して二人を喜ばすとしますか……
おじ「そういえばマキマキおじさん、よくこの灼熱アスファルトの上を裸足で歩けるな」
マキおじ「いや〜ワシも熱いからさ、ちょっと溶かしながら歩いとるんじゃよ」
おじ「どうやって溶かしてんの?」
マキおじ「よくぞ聞いてくれたな! あのな、船に付いとるガソリンタンクなる箱からくっさい油を抜いてな。それを撒いたらあら不思議! アチアチ地面が溶けるのじゃ!」
おじ「お、おわー! お前それ……一歩間違えたら物理エリミネーションが起きるぞ!!」
マキおじ「ほえ?」




