代償
「というわけでオケアノスおじさん、俺たちは元の世界へ帰ることにした」
「そうか。それじゃワシがそなたたちの本来住んでいた世界へ連れて行くとしよう」
「あなたそんな事できるの?」
「うむ!……と、言いたいところじゃが」
少々言葉を濁らせるマキマキおじさん。俺だっていくらマキマキおじさんが神さまだからとはいえ、俺たちを連れて自由に異世界と異世界を行き来できちゃうとは思ってない。なにか条件があるのだろう。
「なんだよもったいぶって」
「人間が異世界へと転生するためには3種類の方法があるのじゃ。一つはおぬしらがたまたまここへ来たような、死後にとんでもない奇跡の巡り合わせが起こった場合じゃ」
「他はにゃんにゃ?」
「……神獣を生贄にしたら、その神獣が本来いた世界へワープできるのじゃ」
……は? つまりどういうことだよ。
「そ、それってさ、アグニャをあなたに生贄に捧げたらあたしたちは元の世界に帰れるってこと?」
「その通りじゃ。しかもこの方法は死の直前でも、死した後でも、果ては縄文時代でも西暦5000年でも、好きな時代へいける」
「そんなことを聞いてんじゃねえよ! アグニャを生贄に……って、それじゃアグニャは帰れねえってことかよ!」
「そうではない! 神獣として過ごした時間の記憶を全て失い、ただの動物に帰すだけじゃ」
「みゃあ……」
そ、そんな……これまで人間としてアグニャと接してきた時間が全て泡と消えるってことかよ。冗談じゃねえよ。
初めてこの世界で出会ったときに何もわからない俺を信じて着いてきてくれたあの思い出も、草原で昼寝したときに寝ゲロしてきた思い出も、サバンナでハイエナにマウント取られて助けを求めてきた思い出も、ジャングルでカピバラを捕まえて得意げにしてた思い出も、何もかもが無に帰すのか?
「そうだ! ガイアを呼んで二人がかりならどうにかなったりしないの?」
「無理じゃ。こればかりはどうしようもない決まりなのじゃ……」
「アグニャの記憶が無くなるくらいなら……あたしはこの世界で永遠を過ごすよ」
「だよな! オケアノスおじさんやガイアに細々した願いを叶えてもらいながらみんなで過ごせば、永遠なんて短いくらいだぜ!」
エシャーティもこう言ってるしこの話は無かったという事で! 色々教えてくれたマキマキおじさんには申し訳ないけど、やっぱアグニャが記憶を失うのは辛いよ。
が、今まで口を開かずに何か考えていたアグニャは思いもがけない一言を放った。
「みゃあ……おじちゃんたちのために、生贄になるみゃ……!」
衝撃の言葉だった。もしかして生贄の意味や記憶を失うという事の重大さが理解できなかったのだろうか。そう思ったのはエシャーティも同様だったみたいで、口早にアグニャを問いただし始めた。
「あのねアグニャ、生贄の意味はわかってる?」
「マキマキおじちゃんに食われることミャ……!」
「じゃあさ、記憶を失くすってどんな事かな?」
「バカにしにゃいでほしいにゃん。どんだけ大きな事かくらい分かってるニャ」
「分かってたら軽々しく決断しないでよ!」
「軽々しくにゃんかにゃい! みんにゃとの思い出が消えちゃうみゃんて、恐ろしくて想像すら出来ないくらい怖いミャ……!」
アグニャの顔には普段のお気楽な顔付きからは想像も出来ないような張り詰めた雰囲気が出ている。そうか、知性の高いアグニャの事だからそれがどれだけシビアな事なのかくらい、誰よりも理解しているに決まっている。その上でマキマキおじさんが生贄案を話した時から、ずっとアグニャは腹を決めていたんだ。
「あなたとせっかく仲良くなれたのに、どうしてそんなに簡単に決められるのよ!」
「みゃあ! 覚悟を決めるしかにゃいにゃら、そうするしかにゃいみゃん!!」
「だからってあなたね、薄情……」
「やめろエシャーティ! アグニャは……アグニャはそんなに単純な子じゃないだろ!!」
「おじちゃん……」
しかしアグニャよ、お前の覚悟は嬉しいけど俺もこの案には大反対だぜ。誰かを犠牲にしてのんきに帰れるほど俺とエシャーティは薄情じゃないんでね。
「いいんだよアグニャ、この世界でゆっくり過ごそう。お前が生贄になる必要なんて皆無なんだ」
「で、でもおじちゃんたちと一緒に色々したいにゃあ」
「フッ……オケアノスおじさんとガイアに毎日1回ずつ頼み事していけばいいじゃないか」
「ママと……ママと会うのはどうするみゃ?」
アグニャの切実な声を聞き、ようやく俺とエシャーティはこの一匹のネコの決めた覚悟の大きさを理解した。そうだよ、アグニャは決して自己犠牲の精神だけで生贄になり記憶を失う道を選んだわけではない。
一体なぜ気が付かなかったんだろう。アグニャはこの世界で得た全てを賭してでも生まれて初めて抱いた願望を叶えたいと俺たちに訴えていたのに、あろうことかそれを軽々しいだの理解できてないだのと決めつけて。俺たちはアグニャの事を考えるあまり、アグニャの気持ちに全く寄り添えていなかったのだ。
「そうか。そんなにママと会ってみたいんだな」
「みゃ! 頼むミャおじちゃん、この世界の記憶も大事にゃけどどうしても会いたいにゃ」
「分かったよ。本当に強い子だ、アグニャ」
「ごめんねアグニャ、あたしってホントにネガなことばっか頭に浮かんで……ごめんね」
「いいんだみゃ。でも次に会ったときはエシャーティの事はぜんぶ……」
辛い現実。アグニャの選ぶ選択は即ちエシャーティとの永遠の別れに等しい意味を持つ。もしかしたら死よりも辛い別れになるかもしれないと思うと、アグニャは寂しそうな顔を浮かべる。
が、それを吹き飛ばすかのような大きな声で、まるで張り裂けるような慟哭をエシャーティは発した。
「あたしは……あたしは忘れない!」
「あなたと過ごした全ての瞬間を忘れない!」
「初めて会ったあたしを威嚇した姿も! あたしに心を開いた時も! あなたに心を開いた時も!!」
「あなたが忘れた分をぜんぶあたしは覚えておく!!」
「だから……もう、なんで涙がでるのよう!」
俺と違って感情に任せ大きな声を出すことに慣れていないので、ところどころ声が裏返ったり息継ぎを忘れてペースを乱したりしながらも、涙ながらに心の叫びをぶっ放すエシャーティ。
しかしその叫びは俺たち全員の心を打つような深い絆がもたらした叫びだった。エシャーティにとってアグニャはこれほどまでに特別な存在となっていたのか。これならばきっとアグニャがエシャーティの事を忘れてしまったとしても、必ずやまた唯一無二の存在へと仲を深めるだろう……
エシャーティの叫びを受け止めたアグニャは先ほどまでの寂しそうな表情はどこかへ消え去り、打って変わって凛とした、吹っ切れたような顔だった。
「エシャーティ、ありがとにゃ」
「ぐしぐし……うん! あたしこそありがと!」
「にゃは〜、じゃあありがとありがとミャ〜」
「もうっ、張り合ってどうするのよ」
「みゃん〜」
見目麗しい二人の女の子が笑顔を向け合ってうふうふとやり取りをする様子を見れるのもこれが最後か。この二人は本当に強い。
だけど俺たちの元いた世界は心の強さ、心の美しさだけでは生きていけない過酷な世界だ。
だからこの笑顔を守るために俺は体を張ると決めたんだ。それが俺がこの二人に出来る唯一の取り柄だ。こんな俺にも対等に向き合い、そしてずっと支えてくれたアグニャとエシャーティに対する俺の唯一の恩返し。
それが俺を好いてくれたこの二人に対する敬意ってもんだろう?
アダム「だっだいじょうぶかイブ!」
イブ「ああ、なんとか。だいぶ飛ばされて海に衝突したのは覚えているんだが……へくちっ!」
アダム「海から引き上げたばかりで体が冷えたか……ほら、俺の服も着れよ!」
イブ「お、お前もびしょびしょじゃないか!」
アダム「俺は鎧を着るからいいんだよ。うおー、金属が朝日に焼けて暑いくらいだぜ!」
イブ(わっ、脱ぐと意外と引き締まってるな……)




