決着
無限に続く平坦な砂浜と、永遠に広がる穏やかな海。この世界にあるのはその純白と深碧だけ。それ以外には何もない。
「こんなつまらない世界、いくら穏やかとは言っても死んだようなものじゃないか」
「そうかミャ? ずっと来たかった海、しかも最高に静かでキレイで安らぐにゃ。遊ぶにしても絶好のスポットにゃん〜」
「ふふっ、アグニャは前向き思考だね。けれどエリミネーターの言うことも分かるわ」
こんなに寂しい世界、もはや会話をしていないと自我を保つのも難しそうだ。俺にアグニャやエシャーティ、それにマキマキおじさんという友人がいてくれて本当によかった。
ぼんやりとそんな事を考えながら波を眺める俺に、エシャーティは改まった様子で何かを切り出した。
「ようやく……そう、ようやくあなたと決着をつける決心がついた。あなたもそうじゃないかな、エリミネーター」
「決着か。そうだな、お前はずっと俺と白黒つけようと一緒に着いてきたんだったな」
「最初はあなたの破壊行動が理解できなくて同行してた。そしてその後すぐにあなたの苦しみを目の当たりにした」
そう語っているエシャーティの表情は真剣であり、一字一句心からの本心を綴っている様子だった。この華奢な少女はどういう形であれ真正面から俺という一人の人間と決着をつけようとしている。そこには何の差別意識や蔑み、そして敵対心はない。あるのはまっすぐで対等な目線だけだ。
「あなたの苦しみが分かり、人という存在が持つ不条理な悪意だって見せられた」
「そうだな、図書館での出来事はお前にとって信じがたい光景だっただろう。俺のような見た目が悲惨な弱者を些細な理由、難癖をつけて非難していく様は醜かっただろう」
「みゃん……」
最初は俺にやかましいですよ、とあくまで真っ当な理由で一人の人間が注意してきた。けれどそれを見た”弱者を虐げる行為に飢えた人間”たちが雪崩をうつようにドカドカと悪意をぶつけてくる。最終的には収拾がつかなくなり、やがては街全体が俺を虐げるため一丸となる。
「そうね……そういう事もあってあたしは自分の見境のない善意を振り返った。すると結局はあたしのわがままで自己顕示欲を満たしているだけだと気づいた。それどころか、後先考えずに人を助けていたから結果的に悪手を選んだこともあった」
エシャーティは苦い顔をしながら己の行動を口にする。きっとその中に教会で脱走の手引きをしていたあのバカな少年も含まれているだろう。
ああいう風に一見すると助けを求めている子供でも、本当は周りにいる身近な大人たちのほうが正しく現実を見ていて、子供の言い分が甘っちょろい事もある。
しかしエシャーティはそれに気づかず、と言うより自分のわがままな正義感を満たすためだけにとにかく何かを成そうと先走って失敗を喫した。
その事実を受け止めるのは頭では分かっていても、並大抵ではない客観性が無ければ不可能だろう。なんせそれは”固い信念”に基づいての行動なのだから、理屈で理解したからと言って簡単に考えを覆せるようなものではないのだ。俺がそうであるように。
「エシャーティ……やっぱりお前とは別れたくない」
「どうして? あたしはあなたの事をよく知らないのに心無い事だって言ったし」
「次に会う時は敵、だったか」
「うん。あたしの方がめちゃくちゃだっていうのに、それを棚に上げてあなたをおかしいと決めつけてさ。はは、バッカみたい、取り返しのつかない事言っちゃってさ……」
今までずっと冷静を保って話していたエシャーティは突然調子を狂わせたのか表情を崩す。そうなんだよ、こいつはこんなにも自分の言葉に責任を感じるような人間なんだよ。
一度言ったことは簡単には覆そうとしない。決して忘れることもない。どれだけ小さな発言でも真剣に言葉を選ぶ女だ。そういう真剣さが言葉に重みを与えて人の心を魅了するのだろう。
だからこそ、そういう真剣な女だからこそ、己の持つ”固い信念”を疑い、こうして非を認めるのはとても大きな覚悟だっただろう。
「決着つけよって言ったのはあたしなのにね。なんかうじうじしちゃう」
「そんなことはない」
「そんなことあるよ」
まったく、本当に頑固な女だぜ。それに女の子から決着をつけようと言われたのに、この期に及んで女々しく保身しようと、どうにか決裂を避けようと及び腰になってるヘタレな俺のほうがよっぽどウジウジしている。
もういいだろう、決着をつけるべきだ。俺の心からの本心をエシャーティに打ち明ける時は今しかない。今までで明かさなかった想いを打ち明けるんだ!
「俺は……お前のように純粋な善意を持っている人間とは離れたくない」
「だ、だから、あたしはさ!」
「俺は!! 純粋な善意で己の譲れない”固い信念”を時には疑い、しっかりと見直せるエシャーティが、その、す、す、」
「!?」
「素敵だね……!!!!!!!!!!!」
「みゃァァァァ、おじちゃ〜〜〜ん!」
「ワシこういうの疎いけど、それはないわ〜」
す……素敵だねで何が悪いんだよ!!!!!!
ガヤガヤどやしてうるせえぞ人外どもめ!!
俺も好きだって言えるなら言いたいよ!!!
「す、す、素敵だねって……変なの〜」
「お前まで笑うな! 俺は真剣なんだぞ!!!」
「にゃ〜にが真剣だみゃ。チキン〜」
「もういいもん! 俺怒るもん!!」
「きゃははは、怒んないでよ〜、まだ言いたいことあるんだから〜」
……言いたいことか。そういえばこいつの言う”決着”とやらは一体何を持って決するのだろうか。以前までの敵対関係だったらドつきあいでもして解決だったが、もうそんな険悪でもないしな。というかこんな弱っちい女と戦っても瞬殺だし。
「ムスッ」
「そう怒んないでよ。あなたの想いがちゃんと伝わったから、あたしも照れちゃって……」
「みゃ、にゃにを顔を赤らめてるみゃ」
「ふふ、決心したらドキドキしてさ」
「関係ないワシまでドキドキしてきた」
なんだ、なにワケの分からん事を言ってるんだ。それよりも決着とやらをつけろよ、金髪女さんよ。
「ねえ、昨日あたしが言ったこと覚えてる? あなたに一緒にこの海で過ごそうって言われて、けど断ったこと」
「忘れるわけないだろ。どうしても困ってる人たちを助けに行くって聞かないんだから困ったもんだよ」
「ふふ、それが聞きたかった」
「あ?」
「エリミネーター……あなたがこの世界で困りごとを抱えている最後の一人になるまで、ずっとあたしは待ってたのよ」
そうか、そう来るか。その展開は読めなかった。確かに俺は今困っているとうっかり言ってしまったな。そしてもう他には誰も人間がいないから物理的に俺だけが困りごとを抱えているというワケだ。
「すごい発想だミャ。ホントのホントにエシャーティはこの世界で困っている全ての人をある意味助けちゃったニャ」
「ま、インチキもいいとこだけどね。それにまだ全員じゃない。ほら、目の前に助けを求めているおじさんがいるじゃない」
「俺のことか……でも俺なんにも困ってないけど。さっきのアレは言葉の綾で」
「もう、トボけないでよ。そんな事言ってるんじゃないの!!」
どこか恥ずかしげに俺を見つめ、いつものように指をピシピシと落ち着きなく動かす。やはりこいつは子供のような女で、どこかほっとけない雰囲気を醸し出している。でも俺はこの子が何を言いたがってるのか全然分かりませーん。女心は難しいね。
「あのね、あたしって困ってる人を助ける事の他にも、もう一つやってみたい夢があったんだ」
「へぇ〜、それは知らなかった」
「まあ一つっていうワケでもないんだけどさ。前世で出来なかった事、やってみたかった事を全部やろうっていう夢なんだ」
「それはまた壮大だけどフワフワした夢だな。それでどうだった、お前なら割りといい線いってそうだが」
「ん! 察しの通りあたしはやりたかった事をいっぱい出来てすごく満たされたよ。あのねあのね、初めて全力で走れたし、水中に入って泳いだりしたし、」
エシャーティは嬉々としてこれまで楽しんできた”夢”を語り始める。
セントラル・マウンテンの中腹で謎の木の実を食べてみたこと。サバンナで本物のシマウマを見れたこと。ジャングルでワニをエリミネーションして原住民たちから称賛されたこと。ずっと行きたかった図書館へ行ったこと。生まれて始めてドーナツを食べてみたこと。
そして、こうして海へ来れたこと。
「まだやれてない事もいっぱいあるけどさ、本当にあたしは多くの夢を叶えたと思う」
「……そうだな。お前はたった一人でよくこの世界を楽しみ尽くしたと断言できるよ」
「けどまだ果たせてない夢が一つある。いっちばん大きな夢が残ってるの」
あんなに色々と叶えてたのに、まだ最大の夢を叶えられてなかったのか。このエシャーティでもそうそう叶えられない夢とはいったいなんだろう。
「それはね……」
美しい朝焼けを背にしたエシャーティは、潤んだ唇から震えた声で夢を語った。それを聞いた俺は、抑えきれない衝動が込み上げるのであった。
アグニャ「にゃんだか疎外感を感じるミャァ〜」
マキおじ「仕方ないよ。今大事なシーンじゃし」
アグニャ「暇だミャ〜にゃにかお話してミャ〜」
マキおじ「それじゃあ小話をしてやろう。天界には色んな神がおって、その中に一年に一度なんでも欲しい物をくれるサンタという変わった神がおった」
アグニャ「すごいのミャ〜。缶詰1000個欲しいミャ〜!」
マキおじ「ほっほ。そなたと同じようにワシもワインを1000本くれと言ったんじゃ」
アグニャ「それはよかったにゃん〜。次の年は何をお願いしたんだミャ?」
マキおじ「栓抜き」




