海
今までどこかほんのりと感じていた人里の気配が全て消え失せ、いよいよ俺たちは東の果てへと着いた事を実感する。だんだん穏やかな風が塩気を帯び、辺りの風景も開けてくる。やがてその特徴は大きくなっていき、遂には地面が消え失せ遥かな青へ変貌を遂げた。
「みゃ〜! やっと海に着いたみゃ〜!」
「すごいわね……入らなくても水が深いって言うのがなぜか分かっちゃうくらい、本能が海を覚えている。不思議な気持ちね」
「なるほど、初めて海を見たらそういう気持ちになるのか」
埼玉県とか内陸の地にお住まいの方もみんな同じような感想を持つのだろうか。いやでも待て、エシャーティはドナーの提供者が日本で見つかったから日本に来たと言っていたが、それならば外国から来る際に飛行機なり船なり乗るからチラ見くらいはしたのでは……?
いや、きっとこの感動っぷりを見るに本当に見たことがないと断言できる。相当な重病で窓から外を見ることも困難なくらいこいつは大変な思いをしていたのだろう。
金髪の美少女と銀髪の美少女はさんさんと日が照りつける砂浜を踏みしめ、その独特の感触にきゃっきゃとはしゃいでいる。おじさんも混ぜてよ〜! ブふふ!
「すにゃはま、すにゃはま〜」
「すごいすごい! 裸足で歩くとすっごくサラサラだよ!」
「みゃあ〜、掘ったら意外とヒンヤリして気持ちいいみゃ」
「ねえねえなんでこんなにサラサラなの! ねえねえ〜」
「それはな、ワシがキレイに研いでるからじゃ」
「きゃっ!?!?!?」
エシャーティがしゃがんで砂を握ったりほじったりして感触を堪能していたら、突然足元からマキマキおじさんがニュっと出てきて話しかけてきた。そうか、オケアノスは海の神だからそりゃいるわな。でも登場の仕方がウミガメなんだよ。海上から波乗りでもして出てくりゃ少しは格好もつくのにウミガメスタイルなんだよ。確変しそう。ボタン押さなくても勝手に当たりそう。
「みゃあ、マキマキおじちゃん久しぶりだみゃ」
「やあやあうんこちゃん。元気そうで何よりじゃ」
「フシャァァァァァ」
「まあそう怒ってやるなアグニャ。マキマキおじさんもぼっちだから距離感がわからないんだよ」
「みゃ……そうにゃのか。じゃあ仕方ないみゃん」
「あなた、あんな事言われてるけどいいの?」
「いいんじゃ。それはそうとお主とは教会ぶりかの。いつの間にこやつらと仲良くなったのじゃ」
「い、色々あったのよ……結構よく見てるのねあなた」
なんだか賑やかになってきたな! 前世じゃただの一人も腹を割って話せる人なんていなかった俺が、今や3人もの友人と仲良く海を楽しんでいるなんて夢みたいだ。
よし、ここは一つみんなで海水浴と洒落込むとしようじゃないか。エシャーティは湖の街で初めて見かけた時は意外と普通に泳いでたし、アグニャも海に入るのは初めてじゃないから泳ぎ方を教えれば大丈夫なはずだ。そもそもビーチ監視員の経験もある俺がついてるし、海神たるマキマキおじさんがいたら相当なことが起こらない限り事故はないだろう。
「よしみんな、砂浜も楽しいがやっぱ海に来たら泳がなくちゃな! 海水浴と洒落込もうぜ!」
「え、水着は?」
「あっ……!!」
な……なんてことだッ! 水着なんて科学的な衣装がこの世界にあるわけないじゃねえか!
そうだよ、こんなにキレイな海があるのに全然人が来てる様子がないのは、この世界には水着がまだ無くて避暑がてら海水浴を楽しむ文化が無いからだよ! これじゃホントに海を見ておしまいじゃねえか。ヤダヤダ! 俺は監視台から陽気なサーフィンお兄さんとかを眺めて金を稼いだ男なのに海に入ることすら出来ないなんてヤダ!
「うぉぉぉぉぉん! 海、入りてぇ〜!」
「いつもこれでもかと川で水浴びしてるから、今日くらい別に入んなくてもいいんじゃない?」
「それは違うぞエシャーティ。川もいいけどな、海はまた別物なんだよ。うぉぉぉぉぉん!」
「そう言われると海を前にして眺めるだけなのは歯痒いわね……」
「なんじゃそなたら、海に入りたいなら裸で入ればよかろう」
「そうだみゃ。それでいいみゃん」
「そんなことできるか!!」
うーん、でもこの際だから間を取ってパンツ一丁で泳ぐか。けど水を吸ったパンツは水着と違って腰ヒモとかないからずり落ちて、女の子たちにうっかり見せてしまいかねない。というかそれは女の子たちも同様で、水浸しのブラジャーが重力に敗北した暁にはアグニャの意外とおっきなにゃんにゃんや、エシャーティの板ベリも露になる可能性が。せっかくの海が堪能できないなんて……
「うう、せめてパンツが水を弾いてくれれば……」
「なんじゃ、水に濡れない下着がほしいのか?」
「そうそう、よく分かってるじゃん」
「その願い、承った!」
急にマキマキおじさんは叫びだすと、口からクァァと水を発射し俺にぶっかけてきた。きたね、マキマキおじさんの汚水。毎回思うけどそれなんなの、もっと見栄えよくできないのか。結構色々出来る技みたいだけど絵面が本当に汚いんだよ。
あ、アグニャたちにも掛け始めた。めっちゃ嫌がってるし、殴られている。がんばれおじさん、何してるのか分からんけど。
「ご、ゴフゥ……ゲホゲホ……」
「な、なんなのよあんた! 急に変なことしてきて!」
「いや、ワシはあいつに頼まれたからやっただけじゃ……も、もう蹴らないで!!」
「ニ゛ャ! ドスドスドスドス」
「待てアグニャ! マキマキおじさん、どういう事だ?」
「あのな、ちょっとパンイチで海に浸かってみろ」
そういうことか。もう何も言わずとも分かってるぜ。マキマキおじさんの謎の術で俺たちのパンツは水着へと変貌を遂げたのだろう。さすがは海神。海に関する願いは即座に叶えてくれるんだな。さてさてそれでは……
「おいしょ」
「きゃああ、なにを脱いでるの!?」
「みゃん〜」
「ははっ、お前らも脱げよ! これ水着になったみたいだから泳ごうぜ!」
「水着ってにゃんにゃ」
「とにかくパンイチになって海に入ればわかるって」
バシャバシャと年甲斐もなく海へ突っ込んでみると、なるほど確かに俺のボクサーブリーフは水を全く吸わず不思議な感覚である。例えるなら素肌をもう一枚纏ったような感じで濡れるけど濡れない的な独特の感じだ。うん、いい。気持ちいい。センスあるじゃないかマキマキおじさん。
ザバザバと泳ぎまくる俺を見ていたアグニャは、最初こそ海水に体を浸けるのを怖がっていたが、意を決して足首をつけたらそっから先は早かった。すぐに俺と同じく下着一丁になり、四つん這いになって地面をしっかりと確認しながら少しずつ海に入っていった。
「みゃみゃ……」
「ほら、おじちゃんがついてるから安心して」
「みゃんー!」
「よしよし、しっかり支えてるから力を抜いてみよう」
「お、おじちゃん、絶対にはにゃさにゃいでみゃ」
「大丈夫。怖かったらすぐ捕まりな」
「ぷるぷる……」
アグニャの全身は強張っていてめちゃくちゃ色んなところがぷるぷると震えている。腹筋や二の腕など様々なところに力が入り、柔らかい体なのにカチンコチンという不思議な状態になっていた。ところで、ふとエシャーティが大人しいなと思い辺りを見回してみると……
「ちゃぷちゃぷ」
「お、おお、運動音痴なエシャーティが浮かんでいる!!」
「失礼ね! あたしだって何でもかんでも苦手ってわけじゃないよ!」
「す、すごいにゃ、どうやって泳ぐミャ?」
「あのね、勇気を出して力を抜くのよ」
「俺がしっかり手を掴んでいるし、海の神さまだってそこにいるから絶対に大丈夫だ! がんばれ!」
「う、うみゃみゃ〜!」
尻尾をピーンと水面から突き出しながら、アグニャはゆっくりと全身から強張りをほぐしていく。まだバタバタと足が動いていて不安そうだが、やがて浮力を感じ取ったのか落ち着いていく。だんだんとアグニャの体は弛緩し、遂には水面からポヨヨンとおっぱいが顔を覗かせ、次はお腹、そして太ももと浮いてくる。
「みゃ、みゃあ〜、今どうにゃってるにゃ!?」
「すごいぞ、キレイに仰向けで浮いている!」
「ぐッ……デカいわね……!」
「みゃん! お日様がキラキラで眩しいミャ〜!」
「そうか! じゃエリミネーションしようか!?」
「眩しいからって太陽を壊しちゃダメだよ!」
冗談だよ冗談。しかし一度浮くことを覚えたらアグニャは気持ちよさげに犬掻きをし始めてすごいぞ。進みながら尻尾がふりふりと揺れているのが頭ぶっ壊れるくらいキュートだ。あれガシって掴んだら怒るかな。怒るよな。でも触りてぇ〜。
そしてエシャーティはというと、意外にも潜水もこなしており普段のポンコツっぷりからは想像できない雄姿を披露している。水底に住んでいた可愛らしい貝を拾ってきて俺に見せてきたりしてるし、とても楽しく海水浴を満喫できているようだ。
「ねえねえ! これキレイだね!」
「おお、真っ白で模様のない貝殻だな。つるつるしてるしキレイでいいね!」
「でしょでしょ! うふふ、持ってこっと!」
そういうとズボッとブラジャーの中に収納していった。へぇ〜、ポッケかなんかあるのかな。女の下着なんてじっくり見たことないから不思議がいっぱいだ。
……あ、貝殻を入れたらエシャーティの板べりが片方だけ膨らんだ。
「ふんふん〜、海って楽しいね〜」
「そうだな、ずっとこうして楽しい時間が続いて欲しいよ」
「うみゃ? ずっと続ければいいみゃ。もう何も頑張らにゃくていいんだみゃ」
「……そうだな!」
そうだよ、アグニャの言うとおりだよ。俺はもう生きるために我慢し続ける必要はないんだよ。だって嫌なことがあれば全てエリミネーションで解決できる。それに今の俺にはアグニャやエシャーティ、あとマキマキおじさんもいる。
もう、なんにもしないでいいんだ。この海の近くに家でも建てて、アグニャと一緒に穏やかな生活をすればいいじゃないか。
そうだ、エシャーティもせっかく仲良くなれたのだから共に過ごせばいいじゃないか。こいつももう十分人々を助けたよ。それに人間というやつはいつか悪意を突きつけてくる存在なんだ。だったら俺たちと一緒にのんびりと生きていく方がよっぽどいい。そうだと思わないか、みんなも。
いったん海から上がり、海水に濡れた体を日に晒してポカポカとした陽気をみんなで楽しむ。今がチャンスだ。言い出すんだ、決意を。
「なあエシャーティ。お前はこれからどうするんだ」
「あたし? そうだね、海も来れたし困ってる人たちを助ける旅を続けるよ」
「……もう十分助けただろ、エシャーティ。それにお前も見ただろ、人間の不条理な悪意を」
「そうだね。でも悪意があってもあたしは人を助けたい」
「決して報われなくとも?」
「決して報われなくとも!」
「じゃあ……じゃあさ」
今から俺はズルい事を言うと思う。わがままがすぎる事だとも思う。けれどエシャーティがこの世界の困っている人たちを助けたいという”固い信念”と同じくらい、俺にだってこの世界に来てからずっと貫き通している”固い信念”がある。
「俺は……エシャーティと離れたくない! だからこの世界の全ての人間を……お前が助けようとしている愚者どもを皆殺しにする!!」
「みゃみゃ? むちゃくちゃな理論だミャ?」
「そうだよエリミネーター。どうしてそんな暴論を吐くの!」
「お前と一緒にいたいからだよ! でも固い信念を持つお前を引き留めても無駄だろ! だから!」
だから……だから、だからだからだから!!
「困っている、なんて甘ったれたヤツらがいなくなればお前が旅に出る必要は無くなる! そしてこれは俺の”エリミネーションを用いてわがままを全て押し通す”という固い信念の出した結論だ!」
エシャーティ「水着になったとは言われても、やっぱり下着姿を見せるのは恥ずかしい……」
アグニャ「すぽぽーん!」
エシャーティ「うわ、アグニャはすぐ脱いだ」
マキおじ「すぽぽーん!」
エシャーティ「え!? あなたも脱ぐの……!?」




