草原の果てに
一体俺たちはどのくらい歩いただろう? そんなことも分からないのか、これだから無能のじゃくおじは……と皆さんにため息をつかれそうだが、恐ろしいことにいくら突っ走って飛び跳ね、アグニャを追いかけ回し追いかけられ回っても疲労らしい疲労がやってこないのだ。まるで夢のようなフィジカルエリートになってしまったのはいいのだが、それに比例するようにアグニャも暴れまわっているので相手をするのが大変だ。
「シュッ、シュッ!」
「おいおい〜、そんなんじゃ取れんぜ」
「ぎにゃにゃ、ぴょん!」
「おふ、デカいんだからいきなり飛ぶな」
「にゃん〜、落ち着く!」
「あー、膝に乗るのが好きだったよな」
「ゴロゴロ」
草原に落ちていた木の棒にアグニャが獲ってきた鳥さんの羽を付けて猫じゃらしにして遊んでたら、急に飽きたのか俺に乗っかってきた。いくら疲れないとはいえもうだいぶ草原を駆け回って俺も精神的な疲労は感じてきたし、一度腰を下ろして休憩することにした。
俺の膝に堂々と座り込んでだらんと体を俺に委ねスヤスヤと寝息を立て始めるアグニャを見ていると、頭に色々と疑問が浮かんできた。そもそもここは異世界じゃなくてあの世なのではないか、とか、なんでアグニャは人間の姿になってしまっているのか、とか、これから一体どうすればいいのか、とか。
そんなしょうもない事ばかり浮かんでくる俺の陰気臭い頭にはうんざりだ。せっかく死んだアグニャとこうしてまた巡り会えたのだから、今を楽しめばいいのだ。そうと決まれば俺もちょっと昼寝しよう。幸いこの草原にはガイアなるデブくらいしか危険な生物はいなかったみたいだしな。
「ふぅ、どっこいせ」
「動くな! お前たち、何者だ!」
「ふががっ!」
「ぎにゃっ!」
眠っているアグニャを起こさぬようゆっくりと横になったら、何やら変なアミを被せられて戦士のような男に怒鳴られた。その出で立ちは実に鍛え抜かれたマッシヴな体格で、手に持った槍が実に様になっている。だけど精悍な見た目とは裏腹に理不尽に俺たちを怒鳴りつけてくるのは非常に腹立たしい。
「あの、なんですかね?」
「ここは大地母神ガイア様の聖地だ! 我々ガイア公国の許可なしに立ち入る者は、何人であろうと捕らえる!」
「シャー!」
「そ、そんなー」
何やらアミを手繰り寄せ、俺たちの腕をコンパクトに縛り上げて馬車の荷台に載せられた。初めて会った人間がこんなに敵意剥き出しだとうんざりしちゃうよ。
「俺たちそもそもここが何なのかも知らなかったんだよ」
「言い訳は署で聞こう!」
「フー! ぎにゃにゃ!」
「む、お前は神獣じゃないか?」
「シャアアア!」
精悍な男にジロジロと見られ、人見知りのアグニャは必死に威嚇して俺の胸にしがみついている。ギュッと掴んだ指からは鋭い爪が伸びており、俺の汚い肌へブッスリと食い込むが、それは昔から慣れている事なので気にしないで頭を撫でてあげる。
「フー……ゴロロロ」
「落ち着いて、アグニャ」
「にゃにゃァ」
「とにかく今はこの草原から出るまで大人しくしておこう。それに俺たちは色々分からない事が多いし」
「わかったみゃん」
「いい子だ。アグニャは賢いからな」
「うみゃ〜ん」
それに馬車の荷台なんて生まれて初めて乗ったけど、割りとスピードが出てエキサイティングな乗り心地がおもしろいよ。アグニャも昔からお出かけする時は車に乗っていたからこういうのにも慣れてるし、街へ着くまでは普通に楽しませてもらうぜ!
「ぷるぷる」
「どうした?」
「おしっこ!」
「な、なにィ」
「ほっ、ほっ」
「ああ、床板を削ると怪しまれる!」
「ぷるぷる!!」
「あっ……」
アグニャは神妙な面持ちでいとも簡単に馬車の床に敷いていた木製の板を引き裂き、穿った穴に向かってちょろろろと可愛らしい水音を流し始めた。アグニャ(ネコの時だぞ)の排泄シーンを見るのが前々から好きだった俺を思ってか、ニコニコとこちらを見つめているが、満面の笑顔よりも下の部分を見てしまうと俺は後に戻れなくなりそうだったので、精悍な男の操る逞しいお馬さんを眺めて気を紛らわせた。ああ、黒々とした滑らかな毛艶した馬だなぁ。近くで見ると脚がムキムキですごいなぁ。
「よし、着いたぞ!……なんだこの穴は!?」
「いやー、なんか老朽化してたのでは」
「そう、なのか? やけに湿っているが」
「シャー!」
「あの、俺が言うのもなんですが、早く連行したほうがいいんじゃ」
「ああそうだった、ほら降りろ!」
馬車の荷台から降りるとまるで異世界転生の定番みたいな街並みが広がっていた。しかし俺の想像と違うのは、見るからに街の人々が不審者を見る目で俺たちを睨んでいることだ。まあこんな手を縛られて連れてこられた見慣れない人間に、良い印象が湧くわけはないよな。
「なんて気持ち悪い顔だ」
「雰囲気からして無敵の人っぽい」
「おっさんじゃん、キモ」
「どう見てもくさそう」
「あっちの子はかわいいのに」
めちゃくちゃ言いたい放題だなこいつら! まあでも同調圧力とかもあるだろうし、そもそも俺の見た目が悪いのはよく分かっているから仕方ない……なんて割り切れるほど俺はまだメンタルが回復していないのよ。けれどこの状況では特にどうしようもないし、そもそも口だけ攻撃的で実際には石なんかを投げてこようとするほど豪胆なヤツもいないので、どうにかイライラと悲しみを沈めた。
「おいおい、神獣がいるぞ」
「こっちこいよネコミミ」
「でもネコは下等生物だし」
「そうだな、しょせんネコじゃな」
「名ばかり神獣だ!」
「オラオラァー!」
ちょっと待て、縛られていて抵抗してこないのをいいことに、なんか図に乗って石を投げてきたんだが? さっきのフラグを回収してしまったんだが?
「シャァァァ!!」
「アグニャ、大丈夫か?」
「フー…み゛ゃ!」
「ああっ!!」
アグニャはスックと腰を落として威嚇するも四方八方から投げられる石に怯えてしまっていて身動きが取れない。ふるふると震えるそのしなやかな体躯に、とうとうゴミどもが放った石がぶつかってしまう。
「い、いたい……」
「ブチっ!! ブチブチブチィィ!」
「みゃ〜ん、それ自分で言うんにゃ」
「ああ、そんくらいキレたぜ!」
アグニャは背中に石が当たって痛そうにしている。アグニャは生まれたときから絶対にケガをしないよう、病気をしないよう、ずっと俺は苦しい事柄から遠ざけてきたのに、こんなビチグソ達がさも当然のような態度でアグニャに暴力を振るっている。さっき我慢しようとした俺の未熟な自制心は、一瞬で憎悪という激情に押し流されてしまった。
周囲の人間の悪意に対する負の感情が、行き場を無くした破壊衝動が、張り裂けるような絶叫に形を変えてほとばしった。
「貴様らまとめて消えちまえ! エリミネーショオオオン!」
感情が最高潮に達すると、無意識に口から例の必殺技がついて出た。四方八方から感じられる民衆たちの邪気を察した俺の両腕が、凄まじいエネルギーの束をズドドドドと放ち、まるでわたあめに水を掛けるがごとく人々を溶かし尽くした。
ドドドドドド……ギャアアア、カラダガ!
シュビビビビ……イヤァァァ、アカチャンガ!
バオブブブル……ドウシテコンナトコロデ!
「うにゃ〜、みんな死ぬにゃん!」
「アグニャをいじめた仕返しだ」
「おじちゃん、かっこいいみゃ」
「そうか! こういうのはどうだ」
「うみゃみゃ〜」
どうやら若干は制御できるようなので、俺はエリミネーションの波動に石を混ぜた。するとさっきまで当たれば人を溶かしていた攻撃は、たちまち非人道的原子砲へと変わり、当たった瞬間身体に風穴を開けたり腕などをへし折る恐ろしい岩石砲となり、なんだかさっきの仕返しに適したものへ進化してアグニャも喜んでいる。
そうさ、元より俺は世界から不条理な悪意を受けていた男だったんだ。それは異世界に来たからといって変わるわけじゃなかったんだ。
「はっはは、ハァーハッハッハ!」
「にゃにゃ〜。おじちゃん、あとちょっと!」
「ああ、そうだな、もう少しで断罪が終わる」
「にゃんか辛いのかにゃん?」
「……分かるか、俺が辛いのが」
「おじちゃんの事は何でもわかるみゃ!」
どんな世界だろうと、一度死んでしまおうと、アグニャだけはいつだって荒んだ俺の心を慰めてくれるんだ。そう、それだけで十分じゃないか。前の世界でもアグニャだけいれば俺は何も要らなかった。この世界も悪意に満ちた不条理な世だというのなら、俺はアグニャと共にこの素晴らしい力を使って全てをやり直そうじゃないか。
そう決心し顔を上げると、先ほどまで活気のあった雑踏の路地は儚くも瓦礫の山と化し、文明の軌跡があったとは思えない凄惨な光景が広がっていた。
「すごいにゃ、ホントにみんな殺したにゃん」
「いや、一人だけ生かしている」
「みゃみゃん〜?」
俺は唯一の生き残りであり、俺たちを取っ捕まえた張本人であるあの精悍な男に出てこいと怒鳴った。すると馬車の影に隠れていた男はビクビクとして、下半身に小便を漏らした跡を覗かせながら姿を表した。
「ひぃ、お、お許しを!!」
「地図を寄越せ。方位磁石も」
「そ、それを渡したら俺は勘を頼りにしないと道が……」
「るせぇなあ、こいつ」
「みゃ〜!」
「ヒィ! こ、こちらです!」
すぐさま荷物の中から俺の要求した物を出して渡してきた。他にも何か持っているようだったが、今の俺たちには大して必要な物でもないだろう。
「おじちゃん、コイツどうするにゃん?」
「逃してやる」
「ほ、ほんとに!」
「なんでにゃ!!」
「あのまま草原を彷徨ってたら道に迷ったままだっただろうから、こうしてこの街に連れてきたのは感謝している。でもお前自体は嫌いだから早く失せろ!」
「はいもクソも!」
そう言うとスゴい勢いでどこかへと走り去っていった。しょせん、あの逞しい肉体も恐怖の前では飾りに過ぎないんだ。
情けなく逃げていく男を視界から外すと、目の前には尻尾を地面に叩きつけて異を唱えたい様子のアグニャがいた。一体どうしたのだろう、俺が勝手に色々話を進めていたから何か不満でも湧いたのかな。
「んにゃ!」
「ほら、そんな怒んないでよ、どうしたの?」
「ザッシュザッシュ!」
「おろおろ、地面を掘っちゃってまぁ」
「ビョイン!」
「わっ、びっくりした」
「ごろにゃん〜!」
「なんだよー、ジッとするのに飽きただけか」
「みゃんみゃん」
相変わらず気まぐれなアグニャと触れ合うと、先ほどまで俺の心に湧き出ていた負の感情がすぐに鎮まった。さぁ、地図も手に入ったし最寄りの海を目指して進むとするか。
アグニャ「おじちゃん、これ!」
おじ「お、缶詰だな。瓦礫の中にあったのか」
アグニャ「開けるにゃん! 食べるみゃん!」
おじ「残念だがその中身はみかんだな。アグニャは食えないよ」
アグニャ「みかんかぁ」
おじ(いや、今は人間だし食えるのか?)




