無抵抗の理由
そういえばアグニャは誰彼構わず威嚇しまくるけど、今まで一度も人間には攻撃したことはないんだよな。動物だったらシマウマとかカピバラを攻撃どころか捕食までしちゃってるくらいだし、そもそもいつぞや矢で射られたりした時なんか反撃の余地はいくらでもありそうだったのに。
あの時は俺の意向を汲んでくれたとはいえ、大勢いるうちの一人くらいは引っ掻いててもよさそうなのに絶対誰も傷つけなかった。今までは気にしたこともなかったが、一度アグニャの非暴力性に気が付くと気になって仕方がない。というわけで聞いてみよう。
「そういえばアグニャって人を引っ掻いたりしないよな」
「にゃん! だっておじちゃんがそう躾けたからみゃあ」
「え!? そ、そうだっけ?」
「そうみゃん!」
……
そうだそうだ、もうだいぶ昔の事だから忘れてたよ。まだアグニャが生まれて数ヶ月経ったくらいの仔猫時代のことだったかな。仔猫とはいえネコは生後数ヶ月でまあまあしっかりとした体格になって運動量も多くなってくるので、俺はアグニャを連れて近所の公園まで散歩しに行ったのだ。ちょうどその時務めていた短期のバイトが終わっていたのもあって、時間に都合はいくらでもつけられたし。
歩いて数分くらいの距離で道中は車道もなく、住宅街なので時間帯を調整すれば車も人通りも皆無なトコなのでアグニャは最初こそビクビクしていたが、すぐに好奇心旺盛なネコの本能に従いズドドドドと外の世界を走り回った。もちろんリードをつけて、もしものためにケージや食料なども持ってきていた。
やがて目的地の公園に着き、初めて踏みしめる芝生や砂場の感触におおはしゃぎしていた。ピョンとジャンプして木に登ったり、ベンチの下に潜んでヒモを絡ませたり、そこら辺の草をもしゃもしゃと食べてゲボしたり……狭苦しい俺の部屋から一気に広大な世界へ開放され、アグニャは俺に活き活きとした本来の活発な姿を見せてくれた。思いっきり遊び回るアグニャを逃さぬようリードを持って追いかけるのはとても大変だったが、非常に充実した時間と思い出を作れ満足していた。
だが問題は帰り際に起きる。動き回って腹をすかせたアグニャに帰るまでの小腹満たしに小袋分けされたカリカリをあげていたのだが、そこへ突然見知らぬおばちゃんが突っかかって来たのだ。
「もしもし、こちらのネコちゃんがフンをしていて困ってるんです。ちゃんとお家から出ないようにするか、フンをしたらあなたが始末していってください」
「ああ、はあ」
「フシャァァ……」
アグニャを連れてきたのはこれが初めてだし、そもそも俺はうんこしたら持ち帰るためのエチケット袋とスコップを用意してきてるのだ。というか、さっきのアグニャのゲボも丁寧に回収している。しかし面倒を起こしたくないので適当に返事をしてさっさと帰ろうと思い反論はしなかった。でもおばちゃんは俺が大人しく言うことを聞く小心者だとマウント格付け完了しちゃったのか、ベラベラと捲したててくる。
「この公園のお掃除は町内会でやってるんですよ? あなたみたいにイヌネコ可愛がるだけできちんとフンやエサのゴミを持ち帰らず、その辺に置いていく人が最近多いんです」
「あのねおばちゃん、この子まだ子供でしょ。今日初めて外に出たのよ。それにちゃんとゴミも拾ってるし」
「シャァァァ! ミャ!!」
アグニャは初めて出会う他人に恐怖で身がすくんでしまい、思わずおばちゃんの足にビシィッとネコパンチをお見舞いしてしまった。へっぴり腰で放たれたネコパンチは幸いにも当たらなかったものの、これ好機とばかりにおばちゃんはさらに口早になる。
「ひぃぃ、こ、このネコ引っ掻いてきました! 凶暴!」
「こんな躾のなってないネコ、ロクに病院も行ってないから予防接種、いや病気持ってるかも〜! イヤァァァァ!」
「もしノミがいて私に付いたらどうしてくれるんですか!? 変な病気を移されたらたまったもんじゃないですよ! イヤァァァァ!」
「そもそもあなたが不潔で不審! こんな時間に仕事せず公園でネコと遊んでて変質者! イヤァァァァ!」
「す、すいません、すいません……」
「ミャ……シャ、シャァァァァァ……」
こちらには何の非はないどころか、むしろクソババァが名誉毀損でアウトな物言いだったのだが、知らない人から明確に敵意を向けられると萎縮してしまいペコペコと頭を下げ続けてしまった。それに揉め事を長引かせてクソババァの知り合いが通りかかり、さらに大事にされてしまう可能性もあってすぐにでも帰りたかった。
だから俺は、必死に俺にしがみつきクソババァを威嚇してるアグニャを無造作にケージへ押し込み、そそくさとその場から逃げてしまったのだ。
ほんとはアグニャは生まれてすぐにペットショップで出会い、一目惚れしてしまったのでその場で全財産をはたいてお迎えし、その後すぐにローンや分割払いを駆使し予防接種やヘルスケア関連の事をできうる限りやってあげた。なのに一言も言い返せず、あろうことかアグニャをボロクソに貶されたまま逃げ帰った。
外で遊んだ汚れを落とすためにアグニャを風呂に入れながら俺はつい「人を叩くのはダメ。わかった?」と、アグニャに言ってしまったのだ。叱ったり怒鳴ったりではないが、ちょっとキッとした口調で言ってしまった。賢いアグニャはその日のクソババァとの揉め事の原因が自分にあるのだと思い込んでしまい、ずっと俺が言いつけた”人に危害を加えてはいけない”という教えを忠実に守っていたのだ。
……
ああ、なんて健気なんだアグニャ。お前と出会えて、そして一目惚れして本当によかった。絶対にこの子は誰にも渡すまいと生まれた直後にお迎えしたために、ペットショップ側で勝手に済ませてくれる類いの予防接種まで俺が全てお金出して受けさせたが、そんなのちっぽけに思えるくらい出来たヤツじゃねえか! 育ててきた身としては涙が止まりませんよ……
「そうか、あんな理不尽な言いつけを律儀に守っていたんだな、アグニャ……」
「だって言うことを聞かにゃいとおじちゃん困るみゃん」
「本当に賢くていい子だよ、アグニャ」
「みゃん〜! うれしいみゃん!」
「今まで頑張ったな、これからは怖い思いをしたら存分におじちゃんが仕返ししてあげるからな……」
改めてアグニャに対する愛情が深まった。何事も気になったら聞いてみるものだな。ふとした疑問がキッカケで知り尽くしていたと思ってた相手の意外な一面とかが新たに判明するなんて思いもしなかった。
最近ちょっと自分の行動が非道すぎる気がしていたが、そもそもはアグニャと俺が好き勝手過ごせるようやり直しを謀っているのがこの旅の目的だ。やり直す、というのが何を指すのか今はまだ明確な考えがあるわけではないが、少なくともこの異世界では楽しく毎日を過ごせている。それならば今のまま、俺たちに悪意を向ける奴らは問答無用でエリミネーションしていけばいいじゃないか。
可愛らしく足を持ち上げ太ももをペロペロと毛づくろいするアグニャの銀色の髪をワシャワシャと揉み、俺はしばしの感慨にふけるのであった。
アグニャ「……」
おじ(アグニャが無言で何かを考えている。いったいあの聡明な頭脳は、普段どんな事を考えてるんだろう)
アグニャ(にゃん〜。おしっこしたいけど、うんちもしたいミャ……)
アグニャ「ぷるぷる」
おじ(考え事をする時の仕草もかわいいなぁ。でもあのかわいい仕草の裏で聡明な頭脳が働いてるんだよな。ギャップ萌えだ)