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不条理な世界


 この世界は不条理だ。何も高望みなんてしちゃいないのに世間は俺を蔑んでいる。好きで無能なわけじゃないのに、やる事なす事全てが裏目に出るようになっている。生きていれば誰でも平等に歳を重ねるのに、みんなが俺をキモいおっさんだと嘲笑する。


 両親だって同じだ。俺がどんだけ頑張っても正社員になれなかった事をいつまでもいつまでも詰る。出来るならば今すぐにこの家を出てやりたいが、そんな元手を貯めることが出来ないほど俺の僅かな給料を奪っていく。


 どう足掻いてもままならないこの状況を若者たちは”こどおじ”と笑う。体罰排除主義を掲げた16年間の学校生活と、順風満帆になるようレールを敷かれ恵まれた環境でぬくぬくと遊んできた奴らが笑う。この世は不条理なのだ。


 そんな弱者男性の中でも最底辺に甘んじる俺がどうしてこの惨めな人生に別れを告げないのかと言うと、こんな俺にだって守りたいものがあったからだ。


「にゃん!」

「どうした、アグニャ?」

「みゃん〜」

「そうだな、あちいなぁ」

「ゴロゴロ」

「エコモード、切っちゃうか」


 灼熱の部屋にエアコンのカビ臭い風が循環すると、文明のありがたみを感じる。冷風の直下に陣取りシルバーの美しい毛並みが揺蕩うこのネコ、アグニャが、俺にとって唯一心から気を許せる大切な存在であった。昔からネコを嫌っている俺の両親には全く懐かず、俺にだけ可愛らしい仕草を見せてくれるこのアグニャがいるからこそ、俺は決して死なずに今を生きられている。


 もしも俺が死んでしまったらアグニャは猫嫌いな両親に世話をされ、とても辛い日々を送ることになってしまうだろう。そんな悲劇だけは起こさせるかと何とか俺は生にしがみついて毎日をやり過ごしていた。


x x x x x x x x x x x x x x x


「お前さぁ、ただでさえ覚えが悪いんだからせめて人より多く動くかどうかしろよ」

「す、すいません」

「その返事! 何が悪いのかも分からんクセに、とりあえず謝っとけばいいだろって見え透いてんの!」

「自分、もう40ですのでどうしても体力が……」

「あのさ、それ俺に関係ある?」

「ない、ですね」

「俺と同じ仕事を俺と同じ給料でやってんだから、そんな事は言い訳にならんの、このボケが!」

「すいません……」


 今日もだ。今日も朝イチで正社員の若造から怒鳴り散らされている。派遣の俺には会社全体からして風当たりがキツイのだが、特にこの若造は俺をナメ腐っていて毎日のように怒鳴るのだ。だがこんな事にももう慣れっこの俺は、ひたすら頭の中でアグニャのうんこブリブリぶちまけシーンを思い浮かべ、イライラを押さえつけるのだ。


「ぐ、ぐひひィ」

「んだおめぇ、くせぇツラしてんなぁ。とっとと失せろ」

「お、お疲れさまでした……」


 かわいいアグニャのことを考えていれば辛い仕事も何とかやっていける。体はキツイが俺みたいな40歳で学歴も資格も無い男を雇ってくれるのは肉体労働系しか無いからな。


 さて、家に帰ったらまずはアグニャのお水とごはんを取り替えてあげて、クソババァの用意するゲロマズのメシを食う。本当は俺が作ったほうが安く美味しい食事が出来るだろうが、過酷な労働を終えた俺にそんな力は残っていないのだ。そもそも給料のほぼ全てを両親に握られているので、自分の好きなものすらロクに用意することもできないのだが。


「親に怒鳴られて食うメシはうまいか?」

「知らね」

「ほんと、なんでお母さんたちの期待に応えてくれないのかしらね」

「知らね」

「いつまでもブラブラした身でいれると思うなよ」

「知らね」


 知らね、知らね、知らね。あーあ、ほんとコイツらは毎日毎日同じような事ばっか言いやがってよ。ボケてんじゃねえのか。それにしては中々くたばりそうもないが。


 まあこんな感じで何の楽しみもない毎日を生きているのだ。あるのは不条理な悪意だけ。本当に俺にはアグニャしか大切なものなんて無いんだ。でもアグニャさえいてくれれば俺はどんだけキツい苦難に襲われても何とかアグニャを食わせてやらないと、世話してやらないと、と踏み止まれるのだ。


「にゃにゃ」

「疲れちった。寝るか」

「ん〜にゃ」

「お、マッサージか?」

「ふみふみ」

「気持ちいいぃ……zzz」

「ゴロゴロ」


x x x x x x x x x x x x x x x


 それは突然のことだった。何のことはない、非常に小さな地震で街が一瞬だけ停電した日のこと。俺はクタクタになりながらも、帰りにちょっとリッチなニャンコのためのおやつを買って、うきうきで俺の部屋で待ってるであろうアグニャにあげようとしてたんだ。そしたらさ、死んでたんだよ。


「あ……が、?」

「……」

「ど、うっして、なんで、?」

「……」


 酷暑に晒された俺の部屋は、なぜかエアコンがついておらず、灼熱の中でアグニャは給水器の前で死んでいた。


 どうして、どうして、どうして、どうして。なんでアグニャは死んでいるんだ


 なんでアグニャは倒れたままなんだ?

 ほら、アグニャの好きなおやつだぞ?

 いつもなら俺に飛び乗って来るだろ?

 どうして俺に返事してくれないんだ?


「あ、あんた帰ってたの……って、あっつ! あちゃー、昼間の停電の時にこの部屋のエアコン入れ忘れてたわ」

「ガァァ!! こ、この、クソババァ!!」

「イヤァァ! い、いたい、いたい!」

「お前のせいでっ!! アグニャが!!!」


 アグニャが死んだんだ。そう、この他でもない無職のクソババァによって。

 アグニャが死んだんだ。もう、この世には何にも救いなんて物はないんだ。


 俺は怒りのままに母親を殴りたぐった。しかしどんだけぶっ叩いても砕けた心は元に戻らなかった。うずくまってしまった母親を蹴っ飛ばし、俺は死んでしまったアグニャを抱きかかえて車へ乗り込んだ。グッタリと力無く弛緩したアグニャは、命を失った重みを突きつけてきて恐ろしいほど重たく感じた。


 もうこんな世界にはうんざりだ。コンビニで大量の酒を買い込み、どこか遠くの海へとひたすらに車を走らせる。たまの休みにアグニャを海や公園に連れていき、のどかに散歩するのが楽しかった。だから最期くらいは、嫌な思い出が全く無い海辺で過ごそうと思ったのだ。


「はは、ここは前から来ようと思ってた海だよ、アグニャ」

「今の派遣が終わったら来ようと思ってたんだけどなぁ」

「昨日の夕方からずっと車を走らせてたけど、もう朝なんだな」

「アグニャ、本当にごめんな……」

「俺もすぐそっちへ行くから……」

「また、一緒に遊ぼう……」


 あげるはずだったおやつをアグニャの横に置いてあげて、俺は大量のぬるい酒を一心不乱に飲みまくった。憎たらしいほどの綺麗な朝日が俺とアグニャをフロントガラス越しに灼く。もう一度灼熱の空間で苦しむ事になるアグニャを思うと非常にわがままだとは思ったが、どうしても俺はアグニャと同じ死に様でいたかった。


 エンジンを切った静かな車内で、俺とアグニャの命は灼熱に消えた。




ラジオ「この地震による津波の心配はありません」

ラジオ「なお、停電の影響により病院で死者が一名確認されました」

ラジオ「延命装置の電源補助装置が壊れていたことが原因のようですが、詳しい……」

ラジオ「ザー、ザザッ……プツン!」


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