第三十二話 真偽
「へえ。どこが間違っているのかしら?」
試すように、奈落の淵を覗くように私と見つめあう。
「では僭越ながらお応えさせていただきます。宗教とはサービス業です」
「面白い論理ね。理由を聞いてもいいかしら」
「教祖様は神というものが、あるいはこの世に崇めるべき何かがいらっしゃると思いますか?」
「どこにもいるわけないじゃない」
「ええ。全くの同感です。この世に神はいません」
私も転生するときに自称神の木っ端役人にあっているけれどあれが全知全能とは思えない。そもそももうちょっと私に優しくしてくれてもよかったと思うのだ。私に優しくない神様なんていてもいなくても一緒だ。
よって神はいない。
「ゆえにありとあらゆる宗教は欺瞞でしかありません」
「じゃあ何かしら? 宗教家は詐欺師だって言いたいの?」
その通りだ。嘘を吹聴することを仕事としているのだ。それを詐欺師と呼ばず何と呼ぶ? 宗教家と詐欺師の違いは一点のみ。
「ええ。しかし、宗教は他人を救っています」
宗教は精神的、あるいは文化的な劇毒だ。しかし時に毒が時に薬となるように人の心を満たすこともある。
「なるほどね。あんたにとって神がどうとか、教義がどうとかそんなことはどうでもいいのね。大事なのは社会や個人にとって有益であるかどうかなのね」
「おっしゃる通りでございます。社会への責任を果たし、庇護するべき誰かに救いの手を差し伸べているのであれば、適正な報酬を受け取ることに否やはありません」
言外に不当な報酬を受け取ることは許さないと釘を刺す。
それをどう受け取ったのか、愉快そうに笑っていた。
「面白いわねえ。あんたならいい取引ができそうだわ」
教祖様はすっと右腕を差し出した。
それに応えて私も右手を差し出し、しっかりと握手した。友愛の証であって、宣戦布告などの物騒な意図はないと思う。……多分。
お互いに笑みを浮かべたまま手を放す。
「ああそうだ。褒美ってわけじゃないけど何か質問がある? なんでも答えるわよ」
取り立てて気になることもなかったのでどうでもいい疑問を解消することにしましょうか。
「あの勇という覆面……あれはいったい何なんですか?」
「ああ……あれね」
棚から出たはずのぼた餅がハバネロ入りだったかのような苦渋に満ちた表情だった。
「最初は……制服みたいな統一された服を作ろうってなったのよ。いつの間にか変なマスクをかぶることになってしかも私がそう言いだしたみたいなことになってて……」
「そ、それは心中お察しします」
身に覚えのない罪を被せられたようなものだ。しかもそれが善意でしかないのなら怒りの向けどころもないだろう。
「今さらどうにもならないことだってわかってるからどうでもいいわ。このことはあまり人には話さないでね」
「もちろん。わかっていますとも」
このこととは、つまりこの部屋での会話すべては他言無用ということだ。交渉事において弱みを見せることも時には必要だ。
「大変良いお話ができました。どうぞこれからもよろしくお願いいたします」
丁寧に一礼してから部屋を辞した。
教祖、前世の名前、今井明日香は自分の右手を眺めていた。
「確かに素肌で触れたはず。でもあいつ、洗脳されてなかったわね。あの燕とかいう自称神……聖母の抱擁とか言ってたけど、たまに効かないやつがいるのは勘弁してほしいわね。転生させてもらっただけましなのかもしれないけどね」
彼女が授かった能力は洗脳。
より正確には素手で触った相手に自分を信奉させる。だがその洗脳の手順まで詳しく知悉しているわけではない。
相手の記憶に干渉し、自分との思い出を幸福なものであったかのように錯覚させる、一種の記憶改竄である。
「それともあの小百合や花梨とかいうやつも……転生者なのかしら。妙に勘が利くし……わからないわね。でも地球での知識はしゃべらないって決まっているはずなのよね」
その推測は半分正しい。
小百合の転生特典は記憶の保持。ゆえに記憶の改竄は効果をなさない。花梨は教祖に対して一切の好意を抱いていないゆえに、記憶の改竄に失敗していた。
「しかもこの洗脳、たまに解除されるのよね。どうも相手のイメージとそぐわない行動をとるとそうなるみたいだし……以前はそれで失敗したのよね」
嘆息しつつ、かつてどん底まで落ちた自分に奇抜な提案をしたあの勇者を思い出す。
個人的には忌々しい記憶だが、あれがなければ返り咲くことはできなかった。
「今度は、もう失敗なんてしない。私の金も、地位も、私のものよ」
その視線は未だ見ぬ敵に対して向けられているようであった。




