第十六話 森狩
空は雲一つない快晴。濃い緑の森林の香りもまた、心を穏やかにさせる。まさに絶好の行楽日和。
ただし私たちがこれから行うのは泥臭い山狩りならぬ森狩り。
「ではまずは確認を。私たちの目的は?」
「エミさんの子供を見つけ出すことだよね」
「もしも危険な獣であるオオグチオオカミが現れた場合、すぐに逃げます」
口を酸っぱくして言い聞かせた言葉を坊ちゃまと雫の二人は復唱する。
「よろしい。追跡はポチに任せます」
「へ、へい。努力するでやんす」
参加を希望した坊ちゃまと雫に加えて飼い犬であるコボルトのポチを連れてきた。コボルトの鼻は狩人たちも役に立つと太鼓判を押してくれた。いささか人格に不安はあるけれど、いないよりはましなはずだ。
服装は全員やぼったい山装束。しかも森に入るために、携帯食料、小さめの鉈、連絡用の備品などまで持ち歩いているからやや重い。流石にメイド服で森は歩き回れない。
「猟友会や警察の人たちももっと早く捜索してくれればいいのにね」
「そう言わないでください。猟師と警官の皆様はきちんと規則に従っているだけですから」
昨日コネやエドワード様の名前を駆使して判明したのだが、どうもこの森は本来立ち入り禁止の区域で、許可を取るのに手間取っているらしい。人命がかかっているのに随分と悠長な話だが、規則というのはそういうものだ。
ただし私たちのように少人数ならそれほど煩雑な手続きが必要なかったので、一足先に猛獣が闊歩する森に足を踏み入れることになった。
「それに、オオグチオオカミはそれほど危険な獣ではないらしいですから。きちんと固まって移動していれば襲われることは少ないでしょう」
「そうなんですか? あんなに凶暴そうなのに?」
巷に伝わっているオオグチオオカミの姿は恐怖を呼び起こす代物で、実物はそれ以上らしい。が、見た目と性格が一致しないのが世の常だ。
「凶暴そうに見えるからでしょうね。実際に力の強い獣ではありますけれど、ネズミやリスのように小さな動物を襲うことの方が多いようで、意外に臆病らしいです」
地球の熊のような生物なのだろう。見た目のわりに繊細な生き物なのだ。
「さあまずは道沿いに進みましょう。鳥子さんが子供を捨てた場所はそう遠くないと猟友会から聞いています」
砂利と石が敷き詰められた林道を進む。
ところどころ色づき始めた落葉樹林に囲まれた光景は余裕のある時ならば見入ってしまう程美しかっただろう。
しかし今はやや緊張した面持ちで進まざるを得ない。
坊ちゃまは時折子供らしい好奇心を発露してどこかに目を奪われていた。ポチは常にびくびくしてちょっとした物音にも飛び跳ねている。雫は自然体だった。気を抜いても、張り詰めてもいない。こんなところでも戦闘センスの片鱗を窺える。
しばらく進むと拍子抜けするほど容易く目的地にたどり着いた。林道からやや離れた場所に大きな岩があり、ニ十歩ほど進めば泉があった。
動物なら水飲み場として利用していてもおかしくはなさそうだ。もしもここに赤子がいれば一日とかからずに肉食動物の胃の中に収まることだろう。
だが、そこには誰もいなかった。何一つ、残っていなかった。凶兆か、吉兆か、判断はできなかった。
「ポチ。臭いは?」
「ヒトの臭いがかすかに残っているでやんす。血の臭いはしやせん」
雫と坊ちゃまの顔が少し明るくなる。少なくともここで赤子が殺害されたということはなさそうだ。
もっとも、獲物を巣に連れ去ったり、丸呑みにされたという可能性まで消すことはできないが。
「雫。坊ちゃま。二人はカメラカメレオンで何か痕跡を見つけたら撮影してください。私は電話鳥で待機している猟友会の面々と連絡を取ります」
カメラカメレオンも電話鳥も生き物なのでかなり重かったけれど、情報の伝達と保存はそれほどの価値がある。地球ならスマホ一つで事足りると思えば悲しくもなるけれど……この世界ではしょうがない。
森の入り口で待機している猟友会に連絡を取ると、申し訳なさそうにしながら、しかし少なくとも赤子が生存している可能性があることを喜んでいた。彼らもすぐに動けないことに忸怩たる思いなのだろう。
「猟友会と警察の方々はもうすぐ出発できるそうです。写真はどうなりましたか」
「うん。いくつか足跡があったからそれを撮ったよ」
「精査するのは猟師の方々に任せましょう。私たちは少しでも可能性のある場所を潰しましょう。ポチ。臭いは————」
ふと辺りを見渡すとポチの姿がなかった。
「あれ? ポチは?」
坊ちゃまは精霊のせいで忘れているかもしれないけれど、私は覚えている。
ゴブリンに襲われた時同じようにポチが姿を消したことがあった。あれと同じなら、今まさに危機が迫っている。
「雫。私が先頭に立ってきた道を戻ります。あなたは後方の警戒を」
「承知しました」
職務に忠実な軍人のように文句ひとつ言わず油断なく目を光らせている。
「急ぎますよ」
簡潔に目的だけを述べる。説明している時間はないし、下手に説明してパニックに陥られても困る。獣害事件の大多数は人間が対処を誤った場合に起こっている。
坊ちゃまと手をつなぎ、急ぎ足で引き返す。
ただならぬ様子を感じ取ったのか、坊ちゃまも大人しく私に従っていた。




