第九話 新星
二人乗りの人力車に乗り込み、車夫が力の限り走る様子を眺める。
乗り心地は良くないが、馬車などの乗り物が少ないこの世界ではこれが最高速の乗り物だ。もっとも、力の強い異種族などは下手な馬よりも力があるらしいので途轍もない速度があるらしい。
「見えました! もうすぐです!」
車夫が大声で叫ぶと、確かに前方に二つの陣営に分かれて人だかりができていた。私たちから見て顔が見える側にいるのが異種族の漁師たちだろう。シルエットに統一感がない。
その集団と向かい合い、顔が見えない側が新星教だろう。浴衣のような着物を着ているが、既製品のように姿かたちが一致している。
そのうちの一人が何やら叫んでいる。
「もう我慢できん! いつになったらこの偉大なる海から出ていくのだ!」
居丈高に叫ぶ男に巨大な牙を持つ異種族が不愉快そうに、しかし意外にも丁寧に返答した。
「俺達にだって仕事があるんですよ。あなた方の事情だけを押し付けないでください」
だが新星教の男は怒りを鎮める気配がない。
「お前らの仕事などの為にこの海を汚されてたまるか! 矢と円の下位精霊アプル・イクス! こいつらを捕らえろ!」
新星教の男が蜂のような淡い光を纏う精霊を出現させると異種族の漁師たちは露骨にうろたえた。
無理もない。精霊には絶対に勝てない。湯がいつか冷めるように、投げられた球がいつか落ちるように、それはルールとして存在する。
力では決して勝てない。だからここで必要なのは、知識であり、法律家だ。
「介入しないとダメそうですね。法の精霊ミステラ」
『オイオイ! 随分ご機嫌な場所じゃねえか! 天国ってやつか⁉』
「……」
突然現れた口の悪い珍妙な物体に雫が怪しげな視線を向けている。妙な言葉を覚えたらどうするつもりですか。
「……雫。これが私の精霊です。今からあの連中を大人しくさせます。念のためあなたもついてきてください」
「はい」
一瞬で頭を切り替えた雫は歴戦の戦士のように相手を観察していた。それを知らずに、新星教の男は暴力的な叫びを続ける。
「こいつらを捕らえろ! 正義を執行するのだ!」
正義か。正義と言ったのか。
「正義の味方を名乗りたいならあなたはまずこう言うべきですよ。あなたには法律家を呼ぶ権利がある、とね。そこの御仁。それは器物損壊罪です」
人力車から降り、世界で最も有名な法手続きの一つを呟きながら男の所業を弾劾する。
『はいはいはい! それじゃあ呼ぼうかねえ! 風と知恵の下位精霊シュトート!』
蜂と漁師たちの間に翠の蝶が旋風と共に立ち塞がる。幻想的だが、現実的には拳銃を構えた強盗に対して銃弾を遮るバリケードが出現したようなものだ。この場は一種の戦場ですらある。
「誰だ!」
ひねりのないセリフを吐き捨てながら新星教の男たちが振り返る。
「エ゛⁉」
「え……?」
私と同時に雫は驚きの叫びをあげる。
何故なら新星教の信者たちはマスクをしていた。それはまあいい。いや、十分奇妙だけれど、趣味は人それぞれだ。だが……そのマスクには『勇』という文字がでかでかと書かれていた。
もう一度言おう。勇、という文字が書かれたマスクをかぶっている。
ださい。途轍もなください。
何かの罰ゲームだろうか。それとも、恐ろしくて想像したくないけれど、これをかっこいいと思っているのだろうか。
「そこのお前! 何故我々の邪魔をする!」
「……! ……⁉」
通気性が悪いのかしゃべるとマスクが息で膨らんでハリセンボンみたいだ。
(だ、ダメです! 堪えろ私! 耐えろ私の表情筋! これは絶対に笑っちゃダメな奴ですよ⁉)
心の中でだけ爆笑しつつ、何とか大真面目に返答する。
「器物損壊罪です。そこのそれらは漁業組合の所有物ですので、破壊した場合罰金、ないしは懲役に処されます」
それ、とはもちろん異種族の漁師たちだ。ここはあくまでも物であると強調するべきだ。
「ふざけるな! こいつらはこの偉大なる海を汚す不信心者だ!」
いやふざけているのはそっちでしょう。
そんな言葉を抑え、再び反論する。
「では、いったいどのように、何がこの海を汚したというのですか?」
男たちは漁師たちを指さしながら怒りのまま叫ぶ。
「奴らは人権のない異種族で、勇者様を襲ったアルバトロスさえいるのだ! いつどんな蛮行を働くかわからない!」
……こいつらは本当に文明人なのでしょうか。理由を聞いたのに推測……いえ、願望を口にする奴がいますか。
「話になりません。私は証拠を提出してくださいと言っているのです」
「何だと貴様!」
理性と論理に則った言葉を理解できないのか、今度は暴力に訴えようとする。しかし一歩前に出た雫があっさりとその手首をひねって地面に押さえつけた。
「……? ……は⁉」
男は何が何だかわからないと言わんばかりの表情だ。
「失礼ですが、もう少しお話ができる方はいらっしゃいませんか?」
情けない男どもはマスク越しでもわかるくらい怯えている。
しかし今度は私の背後からやや甲高い、抑揚に乏しく一音ずつ区切るような声が聞こえた。
「では、私ガお話しましょう」
私が乗ってきたような人力車からだ。ただし御簾のようなものがあり、乗っている人の姿が判別できない。
そこから誰かが降りてくる。妙に小さい人影。しかし灰色の肌を持ち、頭部は大きく、その巨大な黒い瞳が印象的だ。間違いなく異種族だろう。だが私はとても驚いてしまった。
私はこの異種族を見たことがある。この世界ではなく、地球のオカルトとして。
彼?は、グレイ。そう呼ばれている宇宙人にそっくりだった。
しかも、豪奢な男物の着物を着ている。……アメリカ在住の火星人が作った雛人形のようにしか見えなかった。




