第八話 組合
地球において港町の役割はおもに二つ。交易と、漁業。
どちらかと言うと前者に重きが置かれるように思えるが、この世界ではそうではない。
ダンジョンという極めて効率的な移動手段があるためだ。そのため大都市はダンジョンの近場で発展し、流通の拠点になることが少なくない。
ダンジョン内は危険とはいえわずか数十分で数百キロ以上の距離を移動する超常の前には機械も何もない船舶では交易の要にはなりえなかった。さらに勇者勃興によりダンジョンによる交通網が整備されたおかげで今や港町は貿易港としての役割はほぼ完全になくなった。
しかしその時代の波を読んで観光と漁業に力を入れることでこの新都は発展したのだ。
それゆえに漁業組合はこの町ではそれなりの権力者ということになる。
しかし目の前にいるいかにも上司のおこぼれにあずかっていそうな小男の組合長からは威厳の欠片もなく、漁師らしいたくましさも一切感じない。軽く自己紹介を交わしてから本題に入った。
「では、本日の用件である新星教とのトラブルについて詳しくお聞かせ願えますか?」
私が問うと、気が小さそうに体を揺すりながら話し始めた。
「簡単に言うと新星教は異種族、特にアルバトロスを偉大なる海に近づけるなと主張しています」
「それは一体なぜ?」
「ご存じの通り、新星教は勇者を讃える宗教です」
初めて知りました。いや、そもそも新星教って……神聖のもじり? 勇者を神聖視しているのでしょうか。
「偉大なる海は勇者様にもご縁のある場所らしく、新星教の方々がおっしゃるには人権のない異種族、ましてや勇者様を襲ったことのあるアルバトロスが近づくなど言語道断とのことです」
難癖をつけているだけじゃないですか。これだから宗教というやつは。元カルト宗教教祖の私がいうことじゃないかもしれませんがね。
「では、異種族を漁から排除できますか?」
「無理です。我々の漁は彼らの助力なしに成り立ちません。我々よりもはるかに上手く魚を探します。共和国の時代ではむしろ私たちがこき使われて……あ、いえ、現在の私たちは法に従って彼らを大切な隣人として扱っています」
上司の部下を大切に扱っているという発言ほど信用のおけないものもそうないけれど、今の私にとってそこはそれほど重要じゃない。
「船があるなら漁そのものは続けられるでしょうし、ニジイロゴケだって採れるのでは?」
しかし組合長は首を横に振り、席を立つと窓を開け放ち、私たちを招いた。
「外を見ればわかります。今日は……そろそろ見える時刻ですから」
外を眺めると何やら海上におぼろげな町が見えた。あんな場所に町があるはずはない。
「蜃気楼ですか?」
「いいえ。ここの対岸にあった、ほろんだ町エルトです。ラルサに編入されてから名前が変わったので、昔は別の名前で呼ばれていたらしいですが、今ではもうその名前を誰も覚えていません。ですが過去を忘れることを許さないように精霊によって滅ぼされた町がかつての面影のまま海上に映し出されているのです」
「精霊が町を滅ぼすのですか?」
「ええ。ごくまれにダンジョンから出てくる精霊がいるのです。お若い方には精霊は身近な存在かもしれませんが、私のような年寄りには恐怖の象徴です。精霊からしてみれば散歩でもしていたのかもしれませんが、我々にとってはどうしようもありません。今でも思い出せます。六月六日の夕方。太陽が歪んで見えました。それから数日たってエルトの町の記憶がなくなっていることに気づき、向こう岸まで行こうとするとあの幻影が現れました」
組合長の絶望した表情を見るに、滅んだ町に縁者でもいたのだろうか。もはやほとんど天災……いや、精霊とはこの世界の人々にとって本来天災そのものだったのだろう。
「あの幻影を恐れて海に出られないと?」
「それもありますが、あの幻影は実際に危険なのです。どうも方向感覚がなくなるらしく、帰港できなくなる船が後を絶ちませんでした。ですが、異種族の方々は我々とは違う感覚を持っているおかげで幻影に惑わされないのです」
異種族は新都の漁には欠かせず、同時に彼らの機嫌を損ねたくないという事情は分かった。では、なぜ有効な対策を講じないのか。
「私以外にも法律家はいるでしょう? 何故依頼しないのですか?」
「それが、その……新星教は勇者様を崇める宗教ですので……勇者様が持ち込んだ法律を守る新星教とは……懇意にしている方が多く……」
「承知いたしました。それ以上は言わなくて構いません」
自分たちの支持母体に喧嘩を売りたい人間は少数だ。同時に漁業組合も新星教と露骨に事を構えるのは避けたいだろう。
もしも誰かが殺されたとか、何かが盗まれた、というのなら話は別だが、単なる嫌がらせだけでとどまっていれば法律は介入しづらい。恐らく新星教もその辺りは弁えているだろう。
「そちらの事情は理解しました。ではいくつか確認します。こちらの組合はきちんと認可された漁業組合ですね?」
「ええ。それはもちろん」
この時点でこちらの優位は揺るがない。何故なら漁業組合にとって海はホームグラウンドだからだ。
それを自覚していないのは失礼ながら組合長が不勉強なのだろう。
「では、漁業組合、あるいは漁師個人がペットとして飼育している異種族はいますか?」
「ああ、例の異種族はペットであるとかいう法律ですか? きちんとペットとして登録している種族もいますが、今回やり玉に挙がっているアルバトロスは違います。彼らはそもそも——」
その言葉を遮るように男が部屋の中に駆け込んできた。
「組合長!」
「ど、どうかしましたか?」
「また新星教の連中が漁師たちと揉めています!」
噂をすれば影……ですか。
「法律家さん。申し訳ありませんが……」
「ええ。こういう時の為に私はここに来ましたから」




