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第五話 精霊

 喧嘩においてマウントを取られるのはかなりまずい。相手の技術や体格次第ではほとんど抵抗できずに一方的に殴られ続けられる危険さえある。ただ幸運だったのは……。

(こいつ、あんまり喧嘩慣れしてない?)

 ゴブリンはやたらめったに手を振り回すだけだ。これなら、隙はある。

 腕を大振りするうちの一発を選んでカウンターとして掌底を打ち、相手の顎をかちあげる。ぐらついた一瞬を見逃さず全身に力を込め、相手を跳ねのける。相手にもっと体重があればこんなことはできなかっただろう。

 間髪入れず蹴りを放つ。狙うは股間。つまり男に対する地球最強の攻撃、金的!

 まだ態勢が整っていなかったゴブリンの股間を直撃する。小さな悲鳴を上げたが、思ったより堪えていない。

 痛みに強いのか、はたまたはこんな見た目で女性なのか。いや、そもそも……。

(私何で戦ってるんですかあ⁉ 何で坊ちゃまを庇ったんですかあ⁉)

 そこで脳裏をよぎるのは前世の記憶。一時期、人を助けるために奔走していた記憶。そこで私は何をとち狂ったのか他人を庇うための練習をしていた。いや、訳がわからないと思うけれど、万が一誰かが不意に怪我をするかもしれない時、自分が体を張って守ろうとしたのだ。

 若かったな……あの頃は。しかし前世の悪癖が今になって私を襲うとは予想していなかった。

(まさかとは思いますけどこれが死因じゃありませんよね⁉)

 誰かを庇って死ぬなんて英雄的かもしれないが、実際に死ぬ方はたまったものじゃない。途轍もなく損した気分になる。

(しかも魔法がある世界で何という泥臭い戦い方を……私も魔法使わせてくださいよ、魔法)

 もちろん右手に力を込めても何も起こらない。ゴブリンも私を強敵だと認識したのか、息を荒げながら様子を窺っている。だからこそ頓珍漢な思考をさまよわせる余裕があった。

 だが不意に家の扉がゆっくりと開かれた音によってお互いの意識が逸れる。

 現れたのはもちろんケレム。騒ぎを聞きつけたのだろう。

 ケレムはゴブリン、私、坊ちゃまの順番に視線を送り、状況を確認した後。

 火山のごとき激しい怒りを漲らせた瞳でゴブリンを睨みつけた。あまりの剣幕に私さえも動けなくなる。

 その怒りを乗せた言葉がケレムの口から迸る。

「傷害罪! および住居不法侵入! 風と知恵の精霊シュトート! ゴブリンを追い払え!」

 語気の強さとは裏腹に現れたのは不思議な鱗粉を纏う翠の蝶。ほのかに輝き、現実の生き物には見えなかった。

 ふわりと、ひらりと舞い踊るように飛ぶ。ほのかに風が通り抜ける気配がした。

「ギャアアアア!」

 何が起こっているのかまだつかめていない私に対してゴブリンは目の前の蝶のような……精霊? それが脅威であると認識しているのか、聞いたこともない悲鳴を上げる。

『風と知恵の下位精霊シュトート。刑法第百三十条住居侵入罪を確認。刑法二百四条傷害罪は対象者がいません。住居侵入罪のみを適用し、刑を執行します』

 その機械音声のような法律用語の羅列は精霊から発せられていると気づくのにわずかに時間がかかった。しかしその一瞬に精霊は優雅にゴブリンへと迫っている。

 ゴブリンは足をもつれさせ、恐怖に顔を歪ませながら精霊から逃げ去ろうとする。だが間に合わない。

 花の蜜を吸うようにゴブリンの肩に触れた精霊は……何もしていない。少なくとも私にはそう見えた。

 だがゴブリンは精霊に触れた肩から解けるように塵になって消えていく。さらにその鱗粉が剣のように突き刺さる。血潮があふれ、涙が零れ落ちる。だがそれさえも煙のように風に溶けていく。やがてゴブリンがこの世に存在した痕跡は全て消滅した。

『刑の執行を完了しました』

 精霊はまたしても機械音声を出すと、何事もなかったかのように消えてなくなった。

 後に残った爽やかな風がむしろ不気味だった。

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迷宮攻略企業シュメール 次回作です。時間があれば読んでみてください。中東のメソポタミアと呼ばれている地域で生まれた神話をモチーフにしています。
― 新着の感想 ―
[一言] ほうほう 確かに「法治国家」ですね
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