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第四十話 弱者

「黄ノ介様。私刑が禁止されている理由をご存じですか?」

「な、に?」

「僭越ながらご説明させていただきましょう。生き物とは感情で動くからですよ。犯人が許せない。被害者がかわいそう。私刑が行われるのはそういう心からです。そしてその感情は身近な人間に強く向きます。見ず知らずの他人と、血のつながった親や、恋人を同列に扱うことはできないのです」

 黄ノ介様は顔に手を当てている。自らの過去を探っているように見えた。

「それが過熱した先には、加害者への不当な取り扱い、はては身内をかばい合う社会に繋がります。何よりも声の大きい人が圧倒的に有利になり、少数派や発信力の小さな人の意見が黙殺されます。感情や正義感に頼るのではなく、論理によって人を裁く。つまり法とは人に代わって罰を与える存在なのですよ」

「そんな……そんな! 血の通わない論理で正義が為されていいものか! 私こそが正義だ!」

 ……やれやれ。まだ言いますか。

「あなたの正義は弱者を救うこと。それでいいですか?」

「そ、その通りだ」

 無言でデイリー六法を黄ノ介様に放り投げる。

「その本の巻末に書かれている言葉を読んでください」

 ぱらぱらと従順にページをめくり、その言葉を操られるように読み始めた。

「強者が弱者を虐げぬように。正義が孤児と寡婦に授けられるように……」

 日本の六法全書にそんな言葉はない。何故書かれているのかはわからないけれど、これは地球で二番目に古い法典、ハンムラビ法典に記された言葉だ。

 数千年前に制定されたこの法律は全てにおいて優れているわけではない。しかしそこに記された祈りのような言葉に届くことはあるのだろうか。地球でも、この世界でも……それは夢想に過ぎないのだろうか。

 その祈りを借りた詭弁で目の前の男を説得の仕上げにかかる。

「法という存在の根底に流れる理念は弱者の救済です。あなたがさんざんこき下ろした法律はあなたの言う正義を実現するために作られたのですよ」

 黄ノ介様はもはや六法全書に釘付けになっている。

 そろそろ終わりにするべきだろう。ここまでは徹底して論理で攻めたが、テンポを変えて感情から攻めよう。

「黄ノ介様。あなたは弱者を守ると言いましたね。では——――」

 すっと、横にどく。黄ノ介様が私の方を向く。今まで私に隠れて見えなかった菜月様の姿が現れる。

 その背中はとても小さく、雪のように溶けてしまいそうだった。

「今、あなたの目には菜月様がどう見えていますか?」

「それ……は……」

 力なくうなだれる。今まで信じていたものが崩れ去ろうとしている。だが、そこで第三者がまったをかけた。

「もういいだろう。小百合君。それ以上私の息子を追いつめないでくれるか」

 オーマー様だった。

「父上……」

「黄ノ介。私はお前の父親だ。お前が困っていれば当然助けるし、力を貸す。だが、誤っていれば正さなければならない。少なくともお前が菜月君を傷つけたのは確かなのだよ」

 さっと黄ノ介様の頬に朱が差す。怒りではなく、恥からだろう。

「申し訳……ありません」

「お前が謝るべきなのは私ではないよ」

 しばし俯いていた黄ノ介様だが、きちんと前を向いてから菜月様に対して背中越しに謝罪を口にした。

「菜月君。心無いことを言ってすまなかった。君を傷つけたのは……私の罪だ」

 そして頭を下げる。これが心からの謝罪かどうか判断する術はない。だが少なくとも菜月様の心は幾分晴れただろう。

 菜月様はその言葉を聞くと勢いよく部屋の外へ走り去っていった。誰とも目を合わせようとしなかった。

「雫。よろしければ坊ちゃまも。菜月様を追っていただけませんか?」

「わ、わかりました」

「う、うん」

 金縛りにあっていたように硬直していた二人は急いで後を追っていなくなった。

「念のために聞いておきたいのだが……婚約破棄と持参金は先の誓約書の通りでいいのかな?」

「はい。婚約破棄は正式に成立しましたし、菜月様は決してそれを反故にいたしません」

「そうか。黄ノ介。その旨をマフタ家に伝えなさい。お前の口からの方がよいだろう。それと……後でもう少しこの件について話し合おう。怒っているわけではない。私ももっとお前と話しておくべきだと悟ったのだ」

「父上……はい。必ず」

 そして重い足取りで黄ノ介様も部屋を出る。

「皆も少し席を外してくれないか? 彼女と話をしてみたい」

 侍従たちは音もなく、すっと部屋を辞していく。そしてオーマー様と私の二人きりになった。

 間違いなく侍従たちが離れたことを確信してから口を開く。

「オーマー様。これにてご依頼は達成したということでよろしいでしょうか」

 さあ、茶番の幕を下ろそう。

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迷宮攻略企業シュメール 次回作です。時間があれば読んでみてください。中東のメソポタミアと呼ばれている地域で生まれた神話をモチーフにしています。
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