第三十七話 失敗
「ではいじめが行われたのが事実だとしましょう。それが何故婚約破棄に繋がるのですか?」
「他者を虐げる人間など我が家にふさわしくない。当然だろう」
「つまりあなたは菜月様がそのような人間だとは知らずに婚約したために婚約を破棄したい、そうおっしゃるのですか?」
「そうなるな」
「なるほどなるほど。では……婚約を結んだあなたにも責任はあるのでは?」
「どういう意味だ」
「簡単ですよ。そもそも婚約を結んだあなたがきちんと菜月様の性格を把握しておけばこんな事態にはならなかったはずです。もっとお互いをよく知るべきだったのですよ」
ビクッと震えたのは菜月様だった。黄ノ介様は私を睨むがしゃべらない。黙っているとイケメンなのに。
「いえ、もしや、婚約を結んだのは黄ノ介様ではないのですか?」
もちろん誰が婚約を結んだかは知っているし、それが違法だとは知らせるつもりはない。
「……二人の婚約を切り出したのは私だ」
私と黄ノ介様ではない声はオーマー様だった。
「おや。それではこの婚約の責任は全てオーマー様にある、ということになりますね」
芝居がかった言葉と共にまっすぐオーマー様を見つめる。
「確かにそうなるね」
「ち、父上。お待ちください」
「部外者はすっこんでいてください」
部外者扱いされた黄ノ介様はあっけにとられている。かまってちゃんはスルーが一番堪えるでしょう?
「確かに婚約の責任は私にある。であれば、私が謝罪するのが筋だろう」
ゆっくりとオーマー様が立ち上がり、頭を下げようとする。
「ちょ、ちょっと……」
菜月様が、雫や坊ちゃまも不安そうに私を見つめている。話が違う、と言いたいのだろう。心配いりませんよ。だってすぐに邪魔が入りますから。
「お待ちください!」
やはりそれを止めたのは黄ノ介様だ。いいぞお坊ちゃん。
「我々は何も悪事をなしていません! 我々は正しいのです! なぜ謝罪しなければならないのですか⁉」
「黄ノ介様。私刑も正しい。婚約破棄も正しい。ですが責任のある方の謝罪は正しくない。では貴方にとっての正しさとは何ですか?」
「弱きを助け強きをくじくこと! これに勝る正義はない!」
どうやらこの男には菜月様が魔女か何かのように見えているらしい。どこをどう見れば菜月様が強いのか。
今確信したけれどこいつは菜月様の婚約者にふさわしくない。正義感が強いのは認めよう。だが考えがなさすぎる。こういうのは腹に一物ある奴とくっついた方がいい。善人同士がくっついてもうまくいくとは限らない。
全く、こんな奴のどこがよいのか。顔か。顔ですね。
私も面食いですがこんな奴とは結婚できない。枕か人形として扱うなら満点ですが。
では決着をつける時です菜月様。あなたが三行半を叩きつけるのですよね?
そうして私は指をこめかみに当て、菜月様に合図を送った。
どうしてこんなことになったのだろう。私、菜月・マフタは考える。ここ数日何度も考えたことを考える。答えは出ない。あのホムンクルスから送られた合図を見て、しゃべらなければならないと理解していても、口は鉛のように重い。
ふと脳裏に浮かんだのは私の家族だった。
私は父の笑顔を見たことがない。無表情か怒っているそのどちらかだ。
でも寂しくはなかった。母と弟がいた。でも、二人は父に私よりも嫌われているようだった。家族なのに、なぜあんなにも憎しみのこもった視線を送れるのかわからない。母は優しくて、弟は可愛かったのに、どうして。
私たちはいつも厳しい教育を受けていた。出来が悪いと普段よりもそれは厳しくなった。
そしてある時、母と弟は別居し、家を継ぐのは私だと言われた。普通男子が継ぐのに。そもそもなぜ別居するのか。疑問はあったが聞けなかった。
しかしどうしても母と弟に会いたかった私は父の目を盗んで二人に会っていた。けれど……それがある時露見した。その時の父の剣幕はとにかく恐ろしかったということしか覚えていない。
父は母を呼び出した。母が来るまで、飢えた狼のような目つきで私たちの周りを歩いていて、私は弟と一緒に震えあがることしかできなかった。
それでも、母ならとりなしてくれると思っていた。でも。一言二言会話しただけで父は母を殴った。殴り続けた。もしも周囲の侍従が止めなければ父は母を殺していたかもしれない。
それでも母は父を恨むことなく、ごめんなさい、とだけ言った。
弟と母は今どこで何をしているのかもわからない。
父は失望しきった瞳で婿をもらえ、とだけ言った。
結局、私の失敗で私たちは皆不幸になった。




