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第三十六話 私刑

「さて、まずは自己紹介をしようか。初めて見る顔もいるようだからね」

 オーマー様が口火を開く。どうやら議事進行を担うつもりのようだ。年功序列と権力のヒエラルキーから考えると致し方ない。

「私はオーマー・アテシン。こちらが息子の黄ノ介」

「菜月・マフタです。こちらはケレム・ヤルド様の名代として同行してくださった藤太・ヤルド様」

「よろしくお願いします」

「そして後ろの二人がケレム様の侍従、小百合と雫です」

 藤太様と雫はからくり人形のようにぎこちない動作だった。


「さて、まずはそちらの要望を述べてくれるかな」

 オーマー様がにこやかな、しかし油断できない鋭い視線を送ってくる。菜月様が答えた。

「黄ノ介様の婚約破棄の撤回です。これを聞き入れられないのなら名誉棄損なども視野に入れます」

 もちろんこれは最初に目的よりも過大な目標を提示する譲歩的依頼法だ。まともに頭が働いているならそのくらい察せるはずだ。

「何を馬鹿な! 名誉棄損⁉ 一体いつ私が名誉を損ねたというのだ!」

 ……察せなかったらしい。演技……には見えない。

「黄ノ介。落ち着きなさい。まだ話し合いにすらなっていないのだ。まずはこちらの要求を提示しなさい」

 どうやらオーマー様は冷静らしい。当事者でないからこそ、俯瞰できるのだろう。

「……失礼しました。私の要求は婚約破棄を正式に認め、木村珊瑚に対して謝罪すること」

 黄ノ介様の要求に対して菜月様は眼を合わせられなかった。ここまでよく頑張った方だろう。ここから先は私の仕事だ。……途中までは。


「木村珊瑚様への謝罪とはいじめに対する謝罪、ということでよろしいですか?」

 黙り込んだ菜月様に代わり私が返答し、黄ノ介様も私へ焦点を合わせる。

「その通りだ。まず菜月君は君が傷つけた彼女へ謝らなければならない」

 自分に謝れと言わないのは誠意のつもりだろうか。むしろそっちの方が論理は通るのだけど……まあいい。

「はじめに事実を述べさせていただきますが、学園側はいじめがあったという事実を認めておりません。さらに木村珊瑚様も菜月様がいじめを行っていたとは認めておりません」

 校長と珊瑚様に書いていただいた念書を提示する。正式な文書ではないが、証拠品にはなる。

「学園は自らの保身しか考えていない! 何一つとして調査しようとすらしていない! そんな学園が信用できるはずはない」

 いや全く同感。学校という閉鎖社会は事なかれ主義が蔓延している。が、しかしそれでもこちらにはきちんとした証拠がある。それが怠慢の産物だったとしても、その重要性を全く理解していない時点で法について完全な無知であることを察するのは容易だ。

「では珊瑚様の証言についてはどうお考えですか?」

「彼女は優しい。誰かを咎めることができずに何も言えなかったのだろう」

 珊瑚様の話になると少しだけ声音が優しくなった。それが露骨に珊瑚様と菜月様の信頼の差を示しており、菜月様は固く拳を握っていた。

「なるほど。それでは公衆の面前で婚約破棄を菜月様に申し渡したのは珊瑚様をいじめたことへの制裁ですか?」

「それが最も大きな理由だ」

 黄ノ介様は役立たずだった部下を見直したような表情だ。

 私としては黄ノ介様が私のマリオネットか何かじゃないかと疑ってしまう。完全に予想通りの展開だ。いや、予想よりもだいぶやりやすい。

「申し訳ありませんが、その行為は違法であり、違憲です」

「何だと?」

「憲法三十一条において法の手続きを経ずに他者を裁くこと、すなわち私刑は明確に禁止されています。よって今回の行為は名誉棄損であると断定できます」

 現代においてたいていの法律で私刑は禁じられている。その理由は……すぐにわかる。いや、わからせなければならない。

「まずあなたが行うべきは学園へのいじめの証拠の提出と調査の依頼。それが信用できないのなら法律家や警察に相談を依頼し、正式な手順を踏んで——」

「そんな手続きをしている暇などあるものか!」

 ドンっと荒々しく机を叩き、強引に私の言葉に割り込んだ。完全に私を敵視したらしい。

「目の前で苦しんでいる人がいるんだぞ! 見過ごせるはずがない!」

「ならばなぜまず菜月様に一言相談しなかったのですか? 菜月様がいじめを主導していたのなら菜月様に警告すればよいでしょう」

「彼女の罪は明らかだった! いじめをやめさせるためには早急に告発しなければならなかった!」

 つまり菜月様は自分の言うことなど絶対に聞かないと思っていたわけだ。私も、黄ノ介様ももう菜月様に視線を送らなかった。その必要を感じない。

「それが違法だったとしても?」

 黄ノ介様は息を荒げ、今日もっとも大きな声で叫んだ。

「無論だ! 私は正義を成し、法で裁けぬ悪を裁いたのだ! 何一つとして恥じることなどない!」

(なるほど。よくわかりました。こいつ馬鹿ですね)

 表情を変えず、心の底から黄ノ介を見下す。

 自らの正義を信じて、論理を無視する。自分の感情のまま安っぽい正義感を振りかざす酔っぱらい。派手な婚約破棄をしたのも大方恰好をつけたかっただけだろう。

 こんな連中は地球のネット上にはダニみたいにうじゃうじゃいる。

 危機感が足りないのだ。自分が犯罪に巻き込まれる、あるいは不慮の事故を起こしてしまうという意識がない。だから平然と他人の事情を無視して自分の感情を押し付ける。

 だが、法律と道徳、倫理の正しさは別だ。ましてや個人の主観による正義と法には超えられない断崖が聳え立っている。法とは無慈悲なまでに平等でなくてはならない。だからこそ、その穴を抜けるのが詐欺師であり、その穴を埋めるのが法曹だ。目の前のアホには務まらない。

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迷宮攻略企業シュメール 次回作です。時間があれば読んでみてください。中東のメソポタミアと呼ばれている地域で生まれた神話をモチーフにしています。
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