第三十五話 敵陣
塀に囲まれた武家屋敷の前で私、雫、坊ちゃま、菜月様の四人は立ち竦んでいた。灰色の瓦が積まれた屋根は武骨で他者を拒絶する威圧感がある。
服装は私と雫がメイド服。坊ちゃまと菜月様は学生服だ。私たちはともかく菜月様が制服なのは……あてつけのつもりだろうか。
「もう後戻りはできないのよね」
「ええ。昨日アテシン家の主人、つまり黄ノ介様のお父君であらせられるオーマー・アテシン様に本日伺う用件はすでに伝えてあります」
「オーマー様はなんて言っておられたの?」
「……黄ノ介様を全面的に支援なさるおつもりのようでした」
「そう……じゃあ行きましょう」
つまり誰かの支援は当てにできないと理解してくれたようだ。昨日はよく眠れなかったのか、顔色が悪く、目にくまができていたが腹は括ったらしい。
だが雫と坊ちゃまは予想以上にカチコチに緊張していた。無理もないけれど。
「心配する必要はありません。うまくいきますよ」
不敵に笑って断言する。ハッタリなのはもちろん内緒だ。
そして無表情な門番が守る武家屋敷の門をくぐった。
内観は間違いなく伝統的な武家屋敷だった。
枯山水にししおどし。庭の池には魚が泳いでいる。鯉ではないようだが、まあその辺の細かい違いはお国柄だろう。
穏やかな木と石で作られた自然の香りがする屋敷だった。
……が。
そこの住人は何とも仮装行列のように奇天烈だった。
私のようなメイド服。男性は燕尾服。さらに着物、この国の民族衣装。何でもありだ。菜月様と坊ちゃまが驚いていないところを見るとこの国では珍しくない光景らしい。
使用人らしき女性に導かれて廊下を歩む。誰一人一言も発しない。
そして通された部屋は……かなり広かったがケレム邸のようなこの国の居間だった。武家屋敷の中にエキゾチックな部屋が突如出現する事態に直面したが、戸惑いを何とか心の中に押し込める。ここまでくると和洋折衷などとは呼べまい。文化の闇鍋だ。
この世界の住人、ちょっと柔軟すぎる。まあ日本でも畳の和室のすぐ横がリビングなんて普通の家だけど、私からしてみると違和感だらけだ。
その違和感の中心は紋付袴を着こなす金髪の男だ。窓から差し込む日光に当たってその金髪は一層煌いていた。あの人が黄ノ介様だろう。……最初名前を聞いた時討ち入りされそうな名前だと思ったのは内緒。
ただし黄ノ介様の顔立ちはいかにも白人らしいのでこれもやはり違和感がひどい。まあそれも日本人の偏狭な価値観のせいだろう。服なんか自由に着ればいい。
事実として私以外の三人は服装に驚いている様子はない。その代わりとても萎縮している。恐らくアテシン家の関係者がそろっているのだろう。大きな部屋にはずらりと従者らしき集団が整列している。
なるほど。まずは数で威圧するか。実に理に適っている。圧迫面接ならぬ圧迫裁判ですね。
もっとも前世でくぐった修羅場に比べればこんなものカフェでお茶するのと変わらない。リラックスしていきましょうか。
「本日はよくお越しいただき、感謝の念に絶えません。まずはおかけください」
そういう黄ノ介様の視線は悪意しかこもっていない。菜月様と坊ちゃまが人形のように固まりながらなんとか着席する。私と雫は当然立ったままだ。
「こちらこそわたくしの要望を聞いていただきありがとうございます」
棒読み一歩手前の口調で菜月様が用意してきたセリフを言う。
そこで別の出入り口から細身でにこやかな紳士が現れた。
「おや。もう揃っているのか。遅れたかな?」
「いえ、父上。遅れていません。では始めましょう」
予想通りこの人がこの家の主で黄ノ介様の父君、オーマー・アテシンらしい。そしてこれも予想通り、敵側には法律家がいない。
ほっとした。黄ノ介様の性格上プロに頼りたがらないとは踏んでいたものの、本職に口出しされれば私の策など木っ端みじんに粉砕されただろう。
何しろ私は詐欺師。一般人を騙すのは得意でもその道のプロとは決して戦わない。少しばかり情けないけれど、正々堂々戦う人間なんて詐欺師には向いていないのだからしょうがない。




