第三十四話 授受
実のところこの件で明確に得をした人間は少ない。逆説的にこの事件で得をした誰かが真犯人である可能性はある。だがそもそもここまで状況が悪化してしまえば例え真相が判明したとしても菜月様と黄ノ介様が復縁するのは難しい。
私は詐欺師であって刑事でも探偵でもない。利益に結び付かない真実に興味はない。故に結果。結果だけを希求する。
つまりこのトラブルを素早く解決するために菜月様にさっさと黄ノ介様をあきらめてもらうのが望ましい。学校を調査したのはこれだけ努力したのだからあなたももう無理だと理解してね? というたぐいのアリバイ工作のようなものだ。
それらを適当な嘘でごまかしつつ坊ちゃまと雫に説明する。不承不承ながらも納得した様子だったので、再びマフタの冬の家に向かい、菜月様に本日の調査を報告する。
「そう。じゃあ真犯人はわからないのね」
「はい。力及ばず申し訳ありません」
室内はやはりぴしりとした緊張に包まれている。同席している雫や坊ちゃまは口を挟めない。
「菜月様の決心は固まりましたか?」
菜月様は沈痛な面持ちで目を伏せる。部屋の温度が冬に代わった気がした。
説得の言葉はいくつか考えてきているが、万全ではない。難航する予感がしていた。
「そうね。諦めるわ。ううん、認めるわ。私はもう婚約者じゃないって」
だが以外にも菜月様はあっさりと認めた。
「わかってたのよ。私がふさわしくないことくらい」
ここではないどこかを見つめ、ぽたぽたと愚痴をこぼす。
「でも……せめてお父様が用意したお金ぐらい取り返したいの……それはできるわよね」
……ん?
「菜月様? 用意したお金とは?」
「え? 持参金のことよ?」
まるで知っていて当然のように振舞われても困る。こっちは初めて聞くことだ。
「そ、それは結婚の際に女性の家から男性の家に送られる金銭ということですか?」
「ええ。そうよ。知らなかったの?」
「全く知りませんでした」
日本において結婚前の金銭の授受は主に男性側から女性側へ送られ、結納金と呼ばれる。反対に女性側から男性側への金銭は日本語において持参金と呼ばれ、どちらかというとインドやヨーロッパの風習だ。
そしてこの国では持参金を送る風習があるらしい。
「では、その持参金を最低でも取り戻したいのですね?」
「そうよ」
……多分これは難しくない。世知辛い話だが、婚約破棄でもめるのは大体金銭だ。ただし黄ノ介様は名家の生まれなので金銭を必要以上に惜しむことはないだろう。
だから。もう少しだけ欲張ってもいいかもしれない。
このやり方は法律職というよりカルト宗教の教祖の作法だ。知識は持ち込めない。しかし知恵なら貸せる。
「菜月様。少しお話があります。もしかしたら引き分け……いえ、痛み分けくらいなら狙えるかもしれません」
私の作戦を聞いた菜月様は頭を抱えていた。何しろこの作戦は誰も得をしない、まさしく痛み分けだ。でも多分、きっちりと別れるためにはこういう儀式が必要なのだろう。
「一つ聞いてもいい?」
「何なりと」
「あんたは私に何を求めているの? 何か下心があるのよね」
菜月様は馬鹿ではない。こちらの狙いに感づいている。
「……今は気にしないでください。それほど難しいことではありません。ただそうですね……私個人としてもあなたのお力になりたいと思っていますよ」
『できればあなたには人を救ってほしいと思っているわ』
前世の言葉を思い返す。あの人の言葉は今でも私を縛り付けている。だからこそ、私は悪人だが人を救うことを信条としている。
「個人的に……ね。わかった。信じてあげるわ」
菜月様は憂鬱そうなため息をついた。
前世において、私がそれなりに成長したある日。
義父母が殺された。
犯人は義父の同僚で、ストーカー女だった。女性である時点で同性愛者である義父は色目を使っていないのは確定的だったが、どうやらストーカー女は義父が自分を好きだと勘違いしたらしい。
義母と口論になり、義母を庇った義父が死亡し、逆上した義母がストーカー女に襲いかかったが返り討ちにあったらしい。わりとよくある話だ。
ただ、状況的な判断と、適切な救命措置を行っていたためストーカー女はそれほど重い罪にならなかった。
私も事件そのものにはそれほど関心がなかった。何年か暮らしていてもそれほど義父母に対し情はなかった。ただ、どうやら義母は私の想像より相当なお嬢様だったらしく、親類連中が養子なんぞに遺産の分け前を渡してなるものかと蛭のように群がってきたのだ。
私は自分がこの世で一番権力や財力を欲しがっていると思っていたがそんなことはなかった。誰もが腹に薄汚い獣を飼っている。世界は、私の想像よりも醜かった。




