第六十二話 法律
勇者様が裁かれてからおよそ二か月。
ラルサは平穏を取り戻しつつあった。
勇者様にまつわる記憶が消去されたため、制度や記録などが混乱する様子はあったものの、役所の努力によってそれらは解消されつつあった。
あるいは、桜のつぼみが芽吹き始めた季節の移り変わりが気分を一新させたのかもしれない。
もうすぐ、私が生まれて、つまり転生してから一年がたとうとしていた。
「さて、三人とも。準備はできましたか?」
「はい」
「はーい」
「うん」
雫、花梨、坊ちゃまが仲良く返事する。
雫との約束通り、どこかに出かけることにしたのだ。慰安旅行と言ってもいい。
いろいろと混乱していて忙しかったのと、私、雫、花梨はリハビリのためこんなに後になってしまった。
私は義眼をつけ、雫は右手を義手に、花梨は顔半分を覆う仮面をかぶることになった。
医者からはどうして生きているのか不思議がられたが、もう普段通りの生活に戻っている。多分勇者様の能力は傷の治癒を早める効果もあったのだろう。
すでに遠方へとつながるダンジョンに到着しており、後は列に並ぶだけというところだった。
「ちょっと! 私もいるわよ!」
姦しい声は言うまでもなく菜月様だ。
「失礼ですが菜月様は参加なさる予定ではありませんでしたよね?」
「ちょ、ちょっと時間ができちゃったのよ……その、弟のことも片付いたし」
菜月様から聞いた話では彼女の母と弟とは話をしたらしい。具体的な内容は知らないが悪い結果ではないようだ。ただ、暇なのはそれだけが理由ではないはずだ。
そしてその理由は向こう側から歩いてきた。
日の光を受けて輝く金髪の二人組、黄ノ介様と、エルフの木村珊瑚だった。仲睦まじく歩む二人を見かけた菜月様はぎょっとして一瞬で人混みに隠れた。
忍者か。
「いい天気だね。旅行日和だ」
「はい。黄ノ介様も、珊瑚さんもお元気そうで何よりです」
「おかげさまで、昼日向に出歩けるようになりました」
珊瑚さんがぺこりと一礼する。
エルフは様々な疑心の結果、一時期迫害に近い状況だったが、少なくとも突然暴言を浴びせられるようなことはなくなった。どうも陰ながらエルフを擁護していた人がいたようだ。
「どういたしまして。わざわざお見送りにきてくださったのですか?」
「それもあるが、今のうちに君に意見を聞いてほしかったんだ。人権の無い異種族との向き合い方について新しい提案があったからね」
「条例などで異種族との交流を支援するおつもりですか?」
「もう思いついていたのか。さすがだ」
黄ノ介様の提案は日本で言うところのパートナーシップ制度に近いものだろう。法令で結婚などができない人たちを支援する制度だ。
対象が性的少数者ではなく、異種族にあるという違いはあるはずだ。
「少し時期尚早でしょうが、今のうちに根回しをしておくべきかと」
「ありがとう。君はいつも正しい答えをくれるね。菜月君にも尋ねてみたんだが……彼女は快く思っていないのだろうか」
「いえ、きちんと説明すればわかってくださるでしょう。私から伝えておきます」
では、よろしく。そう言うと二人は去っていった。
入れ替わるように戻ってきた菜月様に全員が生暖かい視線を注ぐ。
「……さ、行くわよ」
死んだ魚のような目をしながら歩む。これで黄ノ介様と珊瑚さんを結ぶ線が強くなったのだから無理もない。
相変わらず損な性分だ。
「ねえ、小百合おねえちゃん。さっきの制度ってどういうこと?」
「人権のない異種族と人間、あるいは異種族同士も結婚のようなものができるかもしれないということですよ」
「あたしたちも?」
「可能性はありますね」
んー、と花梨は唇に手を当て、考える。
「じゃあ、あたし、お姉ちゃんたちとお兄ちゃんと結婚する! 面白そうだし!」
「手が多いし気が早すぎます。あと結婚したとしても解体してはいけませんよ」
えー、と不満そうに頬を膨らませる。やはりそういう魂胆だったか。
とはいえその考え自体はアリだ。
やはり立場というものは必要なのだ。
「ま、将来のことを考えるのは楽しいですからね。ほどほどに想像しておきなさい」
そうたしなめると納得したようで、ころころと笑いながら花梨は菜月様の後を追った。
その顔を少し複雑そうに見守っていたのは藤太様だ。
「坊ちゃま。花梨の発言に何か気に障ることがありましたか?」
「ううん。そんなんじゃないんだけど……ちょっとしっくりこないって言うか……」
「しっくりこない? 私たちが結婚する姿が?」
年齢を考えれば結婚だのという話は早すぎるし、そもそも重婚のようなものは倫理的に受け付けないのかと思ったが、どうも違うらしい。
「そうじゃなくて……ええっと、あの時と比べるとあんまりドキドキしないんだ」
「あの時? どの時ですか?」
「雫が勇者様のところに行った時。あの時は、こう、胸が苦しくって、でもドキドキが止まらなかったんだ。どうしてだろう?」
「……」
まさかとは思うのだが。
坊ちゃまは雫が勇者様に取られたことに対して興奮していたのではないだろうか。いわゆる、他人に自分の恋人をどうこうという性癖……?
(もしそうだとしたら、その性癖は目覚めさせてはいけませんね)
坊ちゃまが生まれた経緯を考えればあまりにも皮肉すぎる。
「坊ちゃまがまだ子供だからですよ。大人になれば、きっとわかります」
そうなのかな、と首をかしげながら坊ちゃまも歩いていく。
頼むからそのまま育ってほしい。すっと横に立ったのは雫だ。
「お姉さま。異種族と人間の関係はこれでよいのでしょうか?」
雫の疑問にはどうこたえたものだろうか。
「どうでしょうね。ただ、すべての異種族に人権を与えるというのは無謀すぎます。法律というのは人を幸せにするために存在するべきであって不幸にしかしないルールなど無いほうがいいに決まってます」
考え方どころか生態も違う生き物だ。人間ですら同じルールに生きるのは不可能なのだから。
故に法の下の平等は異種族に完全に適用されるべきではない。
だが一方で、異種族が無為に虐げられることは避けられるべきだとも思う。というかそれだと私が不利益を被る。
「法律は試行錯誤されるべきなのでしょうか」
「それは間違いありません。少なくともただ一人の個人が法律を左右することはあってはならないということは勇者様を見ればわかるでしょう」
結局のところ個人でやれることに限界があるように個人が思いやれる人間にも限界がある。どれほど善良でも間違いを起こすし、すべての人に利益をもたらすのは絶対に不可能だ。
「なら、条例を変えてルールを現実に即したものに変えるのは本当の意味での法治国家への第一歩なのかもしれませんね」
「あなたの言う通りですよ。雫」
「でももし、間違った法律で……いえ、間違っていなくても不幸になる人々がいれば……」
「その時は法律家の出番です」
雫と二人、笑顔で歩き出す。
完全な国など無いように、完全なルールなどない。
いつまでも成長途中で、だからこそ世の中は面白い。
願わくば命の危険がない程度のトラブルに巻き込まれますように。
当然ながらこの願いはかなうことなく旅行先で面倒なトラブルに巻き込まれてしまうのだが、それはまた別の話。
この話で本作は完結になります。
長い間お付き合いいただき誠にありがとうございました。
次回作も投稿しておりますのでもしよろしければそちらもご覧くださいませ。今度はメソポタミア神話をモチーフにした小説になります。




