第六十話 閉廷
ようやく見つけた確信を言葉にして叩きつける。
「この精霊石には、名前が書かれています。正確にはドワーフのような一部の異種族にだけ見える塗料のようなものがあるらしいですね。一応調べましたが、ここに書かれている名前はネルシー・ビント」
「な……に……」
その名前をもとに帝国時代の資料を調べると、ネルシー・ビントの来歴も判明した。
彼はもともと医師だったが、王の病気を快癒させたことで爵位を得て宮廷の護衛隊長に任じられたらしい。おそらく名誉職のようなものだったのだろう。
ことの経緯はおそらくこうだ。
何らかの事情で美馬土市を妻と共に訪れたケレム・ヤルド様はしばらくそこに滞在し、そして彼の妻は流行り病で死んだ。
それを看取ったのがドワーフのネルシー・ビントだ。
しかしその場で誰かがカルテ偽造を思いついた。どの程度事情を知っていたか定かではないものの、それは決行され、ネルシー・ビントの元同僚の署名などを入手したか偽造して診断書は作られた。
この犯罪に関わった三人中二人が精霊によって死亡し、記憶すら消失しているため事の真偽を確かめるのは困難だったはずだ。
(私の能力、記憶が消されない能力がなければ。そしてネルシー・ビントから精霊石を受け取っていなければ)
「だが、それはネルシー・ビントというドワーフがいたことが証明されただけ。さらに言えば診断書の真偽とは関係がなく、しかもドワーフが診断書を書いた証拠はない!」
「いいえ! もう話はそんな段階ではありません! ミステラ! ラルサにネルシー・ビントという名前の人はいましたか?」
『いるぜ』
勝ち誇るエドワード様だが、彼らしくもない油断だ。
「では、ネルシー・ビントという医師は存在しましたか? もちろん、人権がある医師です」
『いねえぜ』
エドワード様の顔がゆがむ。
これはネルシー・ビントの記憶を失っているエドワード様にさえ予想外だっただろう。
「この診断書が書かれた当時ドワーフにまだ人権はあったのかもしれませんね。ですが、現在ドワーフには人権がありません。よって、この診断書は不正であると証明できます」
実にバカバカしいペテンだ。
ドワーフに人権がないせいで本物の診断書が偽物の診断書に劣るなど。
だが時として嘘は真実すら飲み込むのだ。
「いかがですか。これでもまだ、勇者様の弁護を続けますか?」
「……いや、実に驚いた。ここまでやるとは。だが君は重要な事実を見逃しているぞ」
そう言い切ったエドワード様はわずかに体を傾けた。
「おや。さすがエドワード様です。それにお気づきとは」
(それにお気づきとは。じゃないですよ⁉ なんですか重要な事実って⁉)
私の台詞は純度百パーセントはったりだ。
これ以上の真実は思いつきもしないが、それを悟られるわけにもいかない。
全力で頭を動かし、エドワード様の反撃に備える。
今までえた情報、これまでの証言。それを頭の中で反芻する。
まだ反論はない。
ならこれ幸いとばかりに自分の発言のおかしさを頭の中で検証する。
その他すべて、私の人生の経験と知識すべてを総動員して思考を加速させる。
さらに待つ。
もっと待つ。
ずっと待つ。
そして。
からりと、エドワード様の手から杖が滑り落ちた。
「……え?」
自分の顔と喉が何者かに乗っ取られたように自由がない。目の前の光景に現実感がない。
「ま、さか……」
ふらふらとエドワード様に手を伸ばす。彼に触れる直前彼は糸が切れたように倒れた。
倒れた体に無駄と分かりつつも脈を測る。
彼の体に血は巡っていなかった。
エドワード・デミルはもうこと切れていた。
「っ……!」
おそらく勇者様の攻撃はすでに致命傷だったのだろう。だが、傷が広がらない性質により生死の境をさまよいながらも立ち上がることができた。
文字通り命を削ってこの裁判に挑んだのだ。
ぎしりと歯を鳴らす。
彼にどんな反論があったのか。それともただのはったりだったのか。
もう知る由もない。
「勝ち逃げはずるいですよ……」
思わず天を仰ぐ。頭上には冷たい星々。
その最も近い点、星と時の大精霊マズダ・アングラが旋回速度を増していく。
『裁判はこれにて終了。勇者は、処罰する』
やけに真面目なミステラの声を他人事のように聞いていた。
本作品はまもなく最終話になります。もしよろしければ最後までお付き合いくださいませ。




