第五十七話 転生
「しかしそれでもあなたの主張を誰もが認めなかった理由は単純にあなたの人気がないだけですよ」
「そんなはずはないよ。僕はこんなにも人に尽くしていたんだからみんな僕が好きに決まっているよ」
あれだけ証拠を突き付けられてもそれだけは頑として認められないらしい。彼にとって誰かから好かれているというのはありとあらゆる前提なのだろう。
「当り前のことを言っておきます。あなたがどれほど他人を愛したところでその人があなたを愛してくれるわけではありません」
ついにその笑顔が崩れ、怒りの形相に変わった。
何も言わずに右手を振るう。だがそれはあまりにも遅すぎた。
彼は最初に分身で法律家を皆殺しにしておくべきだったのだ。そうすれば誰も彼に逆らえなかっただろう。
中途半端に自分の知性を誇示するためにルールに従ったために追い込まれている。
「ミステラ。執行しなさい」
『あいよ』
そして世界は止まった。
ここからは誰も知らない話。
すべてのものが止まった世界。
この世界で動いているのは星と時の大精霊マズダ・アングラが承認した存在と法の精霊のみ。
マズダ・アングラは変わらず公転のようにあたりを飛び回るだけ。
そして法の精霊は誰も動けない世界で独白を続ける。
『誰も動けるわけがねえからこいつは独り言だがよお。マズダ・アングラの能力は時を止めることじゃねえ。光速の速さを自在に操作できるだけだ』
とある天才が発見した相対性理論によると光の速さはおよそ秒速三十万キロメートル。自然界に存在する制限速度だ。
そして、その速度に近づくほど時間は遅くなるとされている。
もしも光速が秒速三十万キロメートルではなく、秒速一ミリメートルなら? ありとあらゆるものはこの世界と比べておそろしいほど遅くなる。
『んで、当然だけどマズダ・アングラは光速を超えて動ける。これがどういうことかっつーとだな、無限のエネルギーを超えるエネルギーを出せるってことだ』
勇者のはるか頭上にぽつぽつと光が灯る。
それらはすべて太陽をはるかに上回る質量と熱量を持ちながら、それを1立方センチメートル以下の体積に納めていた。
その光点が空を埋め尽くさんばかりに増殖する。
『じゃ。サヨナラだよ、勇者様』
光点は光速をはるかに超える速度で勇者に殺到した。宇宙創造をはるかに上回るエネルギーが時間よりも早く勇者を裁いた。
「……は?」
断言していいが私は目を離していないし、気絶もしてない。だがいつのまにか勇者様の体には彼に向けられる怨念のように光点がびっしりとまとわりつき、動きを封じていた。
かろうじて首から上が何とか動かせるだけで、その表情は恐怖に染まっていた。
「ミステラ。何が起こりましたか?」
『今重要なのは容疑者が逮捕されたことでそれ以外はどうでもいいだろ?』
それは確かにそうなのだが、どうにも釈然としない。気を取り直して勇者様に声をかける。
「さて。いかがいたしますか? 改心するなら弁護しますし、遺言があれば聞きますよ」
勇者様を嘲ると、彼は屈辱と恥辱に顔を歪めたが、またしても笑顔を取り繕い、負け惜しみを叫ぶ。
「いや。僕は嬉しいよ。僕を倒すなんて。この世界の人々も捨てたものじゃない。きっと僕の意志を継いで世界をよりよくする人が現れるはずだよ。君だってそうだろう?」
ここまで来て負け惜しみで墓穴を掘るとは。彼は重大な勘違いをしている。
勇者様の耳元までかがみ、そっと彼に耳打ちする。
「実は私、日本からの転生者です」
いつか、誰かに言った言葉。
それを、彼が最も憎んでいた男に叩きつけた。
勇者様の表情は見ない。反論さえもさせない。すぐに背を向けて命令する。
「ミステラ。法に従い、裁きを」
『へいへい』
勇者様にのしかかっていた光点がさらに膨れ上がる。膨大な光が背後で炸裂してからもう一度振り向くと、彼の姿は見えなくなっていた。
「さて。これで仕事は完了ですね。容疑者は処罰されました。もう裁判は終わりです」
もうラルサに勇者様をかばう人はいない。仮にいたとしてもここまで来れるはずはない。
これで仕事は終わりだ。
これで喜劇は閉幕だ。
これで裁判は閉廷だ。
だが。
「異議あり」
荒涼とした月世界に重々しい言葉が響く。
日が沈むように、雨がいつかやむように、雪が解けるように。ありとあらゆる必然を凝縮したかのようにその男はそこにいた。
エドワード・デミルがそこにいた。




