第四十七話 好意
勇者様の言葉を聞いてついに堪忍袋の緒が切れたのはオーマー様だった。
「貴様……まだそんな言い逃れを続けるのか⁉ 他人の妻を奪っておいて! 誰がお前を愛するものか!」
今にも掴みかからんばかりの剣幕で怒鳴るオーマー様を小柄な明日斗様が必死で宥めている。
話を進めないとオーマー様が暴走しかねない。
「勇者様。あなたは床を共にした女性はすべてあなたを好きだったとおっしゃるのですね?」
「もちろん」
躊躇や罪悪感が微塵もない返答。
嘘をついているようには見えない。
「では、それを証明できますか?」
有名な性暴力関連の裁判でもさんざん議論になったところだが、相手の同意や好意があったのかを証明するのは非常に難しい。特に密室で行われたことならなおさらだ。
精霊でも魔法でも他人の心を読むことはできないからだ。
だが。
「できるよ」
勇者様は不可能を可能にすると断言した。
それに再び激昂したのはオーマー様だ。普段の温厚で丁寧な仮面をかなぐり捨てて叫ぶ。
「いい加減にしろ! お前は他人を洗脳し無理矢理襲ったのだろうが!」
「うーん。何か誤解があるみたいだね。僕は洗脳なんかできないよ」
「嘘をつくな!」
「いや、本当だよ。僕の能力の一つは僕が好きになった相手が僕を好きになる能力。だからね、僕はみんなを好きだったから、みんなも僕を好きになってるよ」
オーマー様は怒りを通り越して表情が固まり、頭が回っていないようだった。
そのため私にも会話に加わる時間ができた。
「つまり勇者様はあなたの力で他人に好意を持たせることができる。それゆえすべての女性と合意があったと主張するのですね」
「うん」
花がほころぶような無邪気な笑顔だった。しかし花が咲いている地面の下には猛毒の根があるに違いない。
「ですがそれは無理矢理植え付けられた好意ではないのですか? 果たしてそれを合意と呼んでよいのですか」
勇者様は初めて海を見た子供のように心の底から不思議そうだった。
純真に、純粋に、その疑問を口にした。
「どうしてダメなんだい? 理由はどうあれ好きになってくれたなら何をしたっていいだろう?」
もはやこの方にとって脅迫と合意は同じにしか思えないのだろう。相手の意志をおもんばかることなどない。
独善を超えて無機質でさえある短絡的すぎる思考。これが勇者様の本質だろう。
「いくらあなたが主張したとしても普通の人間はそう受け取りません」
「そうなの? でも、精霊はそうでないと思うよ」
「……法の精霊ミステラ」
勇者様の言葉を受けて、私がねじくれた知恵の輪のような体を持つ精霊を召喚する。
『ああん? 何か……』
いつもの悪態の間に割って入る。明日斗様とオーマー様は祈るような視線でミステラを見つめていた。
無理もない。勇者様の言葉が正しければこの裁判の行方が危うい……などという浅はかな思考ではないだろう。多分、女性の尊厳のために祈っている。
勇者様の言葉は女性たちの屈辱と後悔を踏みにじっているのと同じなのだから。もちろん、勇者様はそんなことを微塵も思っていないだろうが。
「質問です。勇者様のお力によって他人に好意を持たせることは犯罪ですか?」
『いんや。法的に何の問題もねえぜ』
「憲法19条、内心の自由に違反してはいませんか?」
『他人を好きになるのは誰だって自由だぜ?』
「つまり勇者様のお力は容姿の美しさなどと同じであるということですか」
『そうなるんじゃねえのー?』
もう一度言うが、誰だって人の心の中は覗けない。
私にはまったく縁のない話だが、宗教団体に洗脳されたとかいうトラブルに警察や司法が介入しづらい理由の一つは心というものを測る方法がないことに起因する。
心の中、頭の中は完全犯罪が成立する密室なのだ。
日本……正確には地球なら、洗脳するための手段、例えば相手を孤立させる、繰り返し行為をさせる、という行為の違法性を証明できるかもしれない。洗脳した相手に犯罪をさせれば教唆などが成立するかもしれない。
しかし洗脳そのものの違法性を証明するのは難しい。だから厳密に洗脳を禁ずる法律はおそらくない。
だが、ここは異世界。
魔法を超える特権を勇者様は持ってしまっている。
日本の法律で裁けないのは当然なのだ。
ミステラが正しければ魔法で相手を魅了するのは合法ということなのだから。
「これでわかってくれたかな? 僕は犯罪者なんかじゃないってこと。僕は愛されていて、みんなを愛しているんだから、犯罪に手を染めるはずなんかないんだよ」
明日斗様とオーマー様は打ちのめされたようにうつむいている。
対照的に勇者様は勝ち誇った笑顔を向けてくる。
しかしそれも長くはもたない。
「君、どうして笑ってるんだい?」
「面白くなってきたから、でしょうか」
そう。
私はこの状況を本心から楽しんでいる。
権力の前に膝を屈するのはいい。
暴力の前に命乞いをするのもいい。
知恵の前に開いた口がふさがらないのもいい。
だが。
愛にだけは負けられない。
「何が面白いんだい?」
「もちろん……あなたの愛を否定すること、ですよ」
私が今まで踏みにじってきた愛に賭けて。
とりわけ……私の元の主、ケレム・ヤルド様の愛には。
彼に今一度誓おう。必ず残された家族を幸せにし、ついでに彼の怨敵を打ちのめすと。




