第四十一話 孤独
本日の我が家はお通夜のような空気だった。
あるいは、それよりもなおひどかったかもしれない。たった一人がいなくなるだけで家の居心地というものはこれほどまでに変わってしまうとは私自身も思わなかったので、かなり驚いている。
その雰囲気の中心地となっているのはもちろん藤太様である。
「ねえ。小百合。どうして雫はここを出て行っちゃったの?」
ちなみにこの質問はこれで十三回目だ。
「わかりません。ですが雫は聡明な子です。理由の無いことはしないでしょう」
「本当に……?」
「ええ。いつか戻ってきますよ」
「……僕のことが嫌いになったわけじゃないよね?」
そこで僕たち、ではなく僕、と表現するところに坊ちゃまの優しさが現れている。
「そんなことはありませんよ。私も、あの子も坊ちゃまが大好きです」
背後からそっと抱きしめる。
藤太様は涙目になりながら胸に手を当て、こくんと頷いた。
……少しだけ嗜虐心が湧きそうになったが深呼吸して我慢。
「さあ。夜も遅いです。もう眠りましょう」
手を引いて寝室に誘う。操り人形のように力なく従っていた。
一回り幼くなってしまったような坊ちゃまを寝かしつける。
早くに父母を失ってしまった彼にとって家族がいなくなるかもしれないことはそれくらい重いことなのだろう。それと同時に私たちを大事に思ってくれていることに少しホッとする。
坊ちゃまは世の中のうねりの影響を受けず自分の大事なものだけを見ているのだろう。子供はそれでいい。ケレム・ヤルド様に責任をもって育てると言った手前、坊ちゃまを健やかに育てるのは義務であり、願望だ。
とてとてと軽やかな足音のするほうに目を向けると花梨が歩いてきていた。
「小百合おねえちゃん。頼まれてた地下室見てきたけど、空だったよ」
普段は地下室に入らないように厳命しているのだが、それを破らせたのは地下室に保管してあった勇者の遺産がなくなっていないか確認させるためだった。
私が所持している勇者の遺産、すなわち勇者の肉体の一部は肝臓と耳。それがどれほど勇者の利益になるのかは未知数だが、良い結果にならないのは明らかだろう。
「これはやっぱり、雫お姉ちゃんがやったの?」
「そうでしょうね。あなたには言っておきますが勇者様には他人を洗脳する力があるそうです」
そう言うと花梨は怖がったり怒ったりせず、目をきらりと好奇心で輝かせた。
「どうやってるんだろう、それ。刷り込み? それとも特定の状況下で興奮するように誘導したりするのかな?」
花梨はぶつぶつと呟きだした。放っておくと長くなりそうなので強制的に打ち切るためほっぺをぷにぷにする。
「わきゃ⁉」
犬が餌を取りこぼしたような鳴き声と、非難がましい目線をプレゼントされる。
「雫が今何をしているのかはわかりませんが、勇者様との対決は避けられません。ついてきてくれますか?」
「もっちろん! あ、でももし全部上手くいけば……」
「行けば?」
花梨は満面の笑みでとても幸せそうにこう言った。
「勇者様を解剖していいかな!」
「だめに決まっているでしょう」
猟奇的な台詞を笑顔で叫ぶのはちょっと勘弁してほしい。
ただまあ、少し驚いてはいる。
実のところ私たちホムンクルス三姉妹……巷ではそう呼ばれているそうなのだが、私たちはあまり似ていないというか、趣味嗜好は一致していない。
雫は血と肉。
花梨は徹底した未知の探求。
私は人の悩みと苦しみ。
どれも不道徳的になりやすいが、根本はおそらく異なる。
が、現在全員が勇者に目線を向けている。意外にこれは初めてのことではないだろうか。まあ、雫は策謀の結果なのだけれど。
(さて。これはもしかすると初めての姉妹喧嘩というやつでしょうか。いいでしょうとも。負けませんよ?)
国家存亡の危機ではあるが、だからと言って自らの我欲を無視できるほど清らかではないのが人間という生き物なのだろう。




