第二十三話 飼養
菜月は珊瑚と黄ノ助も通う学生服で息を乱しながらなんとかここにたどり着いたという様子だったが、雫は息一つ乱さず菜月の一歩後ろに下がっていた。
そして開口一番。
「え、ええ⁉ どうして、き、黄ノ助様まままま⁉」
「菜月様。落ち着いてください」
慌てたせいと思い人(片思い)の黄ノ助を見たので、人語を発せなくなった菜月を雫が宥めるが、一向に落ち着く様子がない。
「あの……どなたですか?」
菜月と完全に初対面だった就労支援センターの男はかなり戸惑っているようだった。
このままでは会話が進まないことを察した雫が一歩前に出て数枚の書類を差し出した。
「そこのエルフ、木村珊瑚は我々の所有物です。よって捕獲すべき対象ではありません」
その言葉の受け取り方は三者三様だった。
戸惑いとわずかな安堵が見える珊瑚。
驚愕と希望が混ぜあった黄ノ助。
そして就労支援センターの男は完全に態度と表情を変えた。
「そうですかそうですか! 大変失礼いたしました! 私共としては可能な限り事前調査を行ったつもりでしたが……お嬢さん、お怪我はありませんか?」
薄気味悪いほど慇懃になった男に珊瑚と黄ノ助は妖怪でも見るような視線しか送れない。
「ええ。しかしこれからは注意しなければなりませんね! では、失礼します」
そそくさと男は部下を率いて去っていった。
あっさりと去っていった男を見送った木村珊瑚、黄ノ助・アテシン、菜月・マフタ、雫の四人は誰が示し合わせるでもなく、顔を見合わせた。
まず口を開いたのは珊瑚だった。
「菜月様。黄ノ助様。そこの、ええと……」
「ホムンクルスの雫です」
「雫さん。人間ではない私を助けていただいたこと感謝いたします」
珊瑚は深々と頭を下げた。その仕草は丁寧というより卑屈に見えたのは気のせいではない。
彼女の心は健全とは言えなかった。
「頭を上げてくれ。人として当然のことなんだ。だがしかし雫君だったね。珊瑚を、その……所有したというのは……」
「いえ、あれは嘘です」
「な⁉」
「え⁉」
「まったくの嘘ではありません。あくまでも書類を用意しただけです。まだ珊瑚様は誰にも所有されていません」
書類を黄ノ助に差し出し、彼はそれをじっくりと読み込む。先ほどの男と違い騙されないように。
そして彼は気づいた。
「ま、待ちたまえ。彼女を、珊瑚を所有するのは私なのか⁉」
「はい。それが最も安全なやり方です」
ラルサにおいて異種族を所有するのは人間でなくてはならない。誰かが所有していなければ処分されるリスクは付きまとう。
一方で見ず知らずの誰かに所有されるということがどういうことなのか、黄ノ助もじっくり考えればわかるはずだった。
「し、しかし私は、彼女をペットのように扱うなど……」
「黄ノ助様。ぶしつけながら私も異種族であり、同時に誰かに所有される身です。ですが私は自分を不幸だと思ったことはありません。頼れる人も、信じられる人も、たくさんいますから」
「……大事なのはどんな身分かではなく、どのように暮らすかであると?」
雫はこくりと頷いた。
なおも逡巡している様子だったが、今度は珊瑚が口を開いた。
「黄ノ助様。私の心身を気遣っていただいてありがとうございます。でも、本来なら誰かに所有されることが普通なのです。だからこうお考え下さい。あるべき場所に戻ったのだと」
「……君が、そう言うのなら……」
震える手で黄ノ助は書類にサインし、契約は締結された。
珊瑚と黄ノ助は熱っぽい瞳で向き合っている。
それまで黙り込んでいた菜月はぐいぐいと雫の袖を引っ張っていた。自分たちはお邪魔ムシだという無言のジェスチャーを察した雫は同様に無言で立ち去ろうとする。
しかし背後から声がかかる。
「菜月君! 君にひどいことをした私を許せとは言わない。しかし、本当に感謝している。雫君も。もしも君たちに困難があれば必ず助けになると誓う!」
その言葉を聞いた菜月は何かを言おうとして口をもごもごと動かしていたが、結局首を縦に振るだけでそのまま立ち去った。




