第二十三話 戦争
「案内人さん。ここで何が行われたか知っていますか」
藤太様が不安そうに尋ねる。不自由な冒険者から社会に奉仕する公務員へと栄転を遂げた案内人は誇らしそうに答えた。
「そりゃもちろん。ここではラルサと帝国の決戦が行われましたが、我が国が誇る隻眼将軍の活躍によって勝利しました」
なんですかその中学生がつけそうなあだ名は。
「帝国は我々の部隊が集結するよりも前に各個撃破を狙いましたが、将軍は守りを固め、味方の援軍が来るまで粘ったそうです」
帝国が使った戦術はナポレオンかフリードリヒ大王の各個撃破戦術? たまたま似ているだけか、それとも転生者の仕業か。後者だとしたら滑稽ですね。凡人が天才の真似をしても無様に失敗するだけでしょう。
「そしてその戦いそのものは和平条約が結ばれて終わったんですが、その後でひと悶着ありまして。捕虜になった兵士が我々の軍医を殺害しました。和平が結ばれた後にですよ」
「それは……問題なのでは? その兵士は国の命令に逆らったようなものでしょう」
案内人の口調は熱を帯び始めていた。
「ええ。この事件が公になると帝国への非難の声が大きくなり、しばらく帝国は大人しくなりました。そしてその時殺された軍医の名が……ヤルドです。私も言われて思い出しました」
私も坊ちゃまも息を呑む。エドワード様の口ぶりからすると単なる偶然とは思えない。意外な繋がりがあったのだ。
白い迷宮を抜けた先には緑の草原が広がっていた。それは赤みが差した空と共に白に慣れきった視界から色彩を取り戻してくれた。
「では、ここで失礼します。楽しかったですよ」
案内人はそう言って再びダンジョンに潜っていった。
きょろきょろと辺りを見渡しても麦畑らしき黄金色が見えるだけで大都市の姿は影すらない。
話に聞くとここから異京までは五十キロほどの距離があるらしい。
ここまで歩き詰めだったが、旅行鞄を持っているとはいえ私にも遅れる気配はない。この世界の人は徒歩での移動が多いせいか健脚なのかもしれない。
「まずは宿泊先に伺いましょう」
なお、村長宅には近づかないように旦那様から注意されている。なんでもそこの村長はホムンクルス嫌いだとか。坊ちゃまはともかく私はまずいだろう。
長閑な畑道を二人で歩く。
遠目に大柄な農婦、あるいは農夫らしき人影が汗をぬぐっている。さして暑くはないのだけれど、それだけ懸命に働いているのだろう。
ふと、脇道に植えられていた背の高い木から甘い香りが漂っていた。全くもって平穏な農村だった。
やがて少し大きな石造りの家屋が見えてきた。旦那様からあらかじめ教えられていた家と特徴が一致していた。
「ごめん下さい! サヒン様のお宅ですか!」
ちなみにこの国ではノックの習慣がない。むしろ失礼になるのだとか。
家の中から男性の声が聞こえてきた。
「はい! ヤルド様の御子息と使用人ですか」
「そうです」
返事をするとドアが開き、中から日焼けした男性が屈託のない笑顔を浮かべていた。
「ようこそいらっしゃいました」
「ヤルド家の侍従、小百合と申します。こちらは御子息の藤太様です」
「初めまして。藤太と言います」
ぺこりと頭を下げる。こういうマナーは日本と大して違わないのは不思議だ。
「初めまして。今、妻が夕飯の用意をしていますので上がってお待ちください」
家に上がると肉や、パンが焼ける豊かな香りが充満していた。
台所を眺めるとふくよかな女性が家事にいそしんでいる。ふと横を眺めると旦那さんが私の顔をじろじろ眺めていた。
「あの、私の顔に何か?」
「いえ、どうもあなたが昔の知人に似ていまして」
「私が?」
「ええ。と言ってもこの村にいたのは二十年くらい前ですが。とても美人でしたよ」
……何というか、ナンパの常套句ですね。ちょっとからかってやろう。
「奥様奥様」
「はい? どうかなさいましたか?」
「私、旦那さんにナンパされちゃいました」
くすくすと笑う。しかし振り向いた奥様の目は全く笑っていなかった。
「あ?」
ドスの利いた声でぎろりと睨みながら包丁を叩きつける。この世界で産まれてから最も命の危機を感じた瞬間だった。
教訓その一。夫婦仲をからかってはいけない。




