第四十一話 勇気
森初雪の生涯はまだ始まったばかりだ。当人の主観としてはともかく、客観的にはそうだろう。
幸せな人生だと胸を張って言えたし、これからもそうなると疑っていなかった。それが一変した。
父は捕まり、母は病んだ。
自分は嵐のような中傷にさらされた。誰のせいだ。
お前の父親が悪いと口をそろえて言う。
お前のせいだと指をさされる。
自分でもそれが真実ではないかと思い始めた。それが嫌で誰かに頼った。誰も応えてはくれなかった。
それでもただ一人だけ自分を励ましてくれたのは、人間でもなくて、むしろ憎むべき相手で。
それでも。
(私も、あんなふうになりたいもん)
美人で、自信にあふれていて、頼りがいがある大人。あの人だったら怯えない。あの人ならきっときっと優雅に演じてみせる。
震える手を握りこみ、自分自身を嘲笑っているに違いない観衆を睨みつける。
つまるところ彼女の勇気の源泉は憧れである。子供にとってはよくあり、同時に得難いもの。もちろん、それは意図的に植え付けられたものではあるのだが、たとえそうであったとしても困難に立ち向かう武器であるのは間違いがないのだ。
「そもそも私は何も悪いことしてません! 病気になった人のことは可哀そうだし、謝れって言うのはわかるけど、見ず知らずのあなた方に謝らなきゃいけない理由なんかありません!」
きっぱりと観衆に切った啖呵は当然ながら彼らの心を刺激した。
『は? 何様のつもり?』
『全部お前が悪いんだろうが!』
『カムラさん! そいつやっちまえ!』
初雪様の発言に対する反応はおおむねこのようなものだった。
少なくとも非を認める様子は一切ない。
そしてカムラ様が初雪様の言葉に応える。
「被害者の会代表として言わせてもらうなら、俺らが謝罪してほしいのは獅子ヶ浦工業であって個人じゃない。森主任についてはもう捕まっちまってるからこれ以上追及するつもりはねえ。ましてや、その子供に謝ってもらっても嬉しくもなんともねえ」
この発言は当然ながら火に油を注いだだけだった。
携帯テレビにはカムラ様を裏切者と罵る声、いくらもらったんだと下種な勘繰りをする声で溢れかえっていた。
これはカムラ様を助けてあげるべき哀れな被害者とみなしており、やせこけた野良犬のごとき存在と見下しているのと同義だ。
対等に話すことはおろか、噛みついてくるなど到底許せるものではないのだろう。
そのねじくれた怨嗟の声はますます強まり、携帯テレビの立体画像はもはや目で追うことすら難しいほど投稿が増えている。
二人にはその画面は見えていない。しかし初雪様は自身の経験から現状をきちんと認識し、醜悪な言葉の群れが襲い掛かってきていることを自覚しているはずだ。
その証拠に徐々に顔が固く、そして息が荒くなっている。
最悪の場合私が乱入して、相手を煽る予定だが……ちらりと雫を見て、行動に移ろうとしたその時、初雪様に動きがあった。
「私は、とっても怒ってます」
震える唇から、新たに言葉を紡ぐ。
「自分が傷つかない位置からしか暴言を吐けない人たちが、すごく気持ち悪い。何も知らないくせにさも自分が偉いようにしてるあなたたちがすごく嫌いです。だから……あなたたちには必ず、法律の裁きが、訪れます」
最後のほうは涙をこらえながらの言葉だった。
ちっぽけな勇気を振り絞って台本とは違う、自分だけの言葉を絞り出した。
そんな少女の勇敢な姿を目にした人々の反応は……察するに容易い。
『はあ? 何言ってんのこのブス』
『父親が父親なら娘も娘だ』
『やってみろ! 法律なんかには負けないぞ!』
……あまりにも予想通り過ぎてボットか何かだと疑ってしまいそうだ。いや、こんな表現は機械文明に対する侮辱だろう。AIならもう少しましな表現で反論する。
機械以下。犬畜生でももっとまし。
脳細胞が一つ残らず癌細胞に置き換わってしまっているのだろうか。
それに比べて初雪様は……実に面白い。
(見事な傲慢です。他人を思いやらず、誰の期待にも応えず、自らの願望を押し通す。素晴らしい。なんという邪悪)
だからこそ私が救う価値がある。
後は法律家の仕事です。
さあ。顔のない善人どもを皆殺しにしよう。
「花梨。エドワード様。メロウ様。そして皆々様。準備はよろしいですか?」
電話鳥、携帯テレビ、その他ありとあらゆるコミュニケーションツールを駆使して連絡を取り合っている人々に呼びかけた。




