第三十九話 正義
サラム・山田は優秀な銀行員だと評判だった。
人柄もよく、職務を全うし、上司にも顧客にも彼を悪く言う人はいない。
さらに美人の妻、子宝にも恵まれ、まさに誰もが羨む順風満帆の人生だろう。
そんな彼が今手にしているのは最近爆発的に流通し始めた携帯テレビである。端正な顔で画面を操作しており、はたから見れば仕事に関する情報でも調べていると思うだろう。
設定によって立体映像を他人に見られづらい位置に配置してあるのだからもしかしたら外部に漏らしてはならない資料なのかもしれないと推理するかもしれない。
だがそうではない。その立体映像に書かれていた文章はこうだ。
『司法はぬるすぎる。森主任は死刑にするべきであり、彼の娘森初雪も同様に処刑するべき』
無論、その文言は誰の目に留まることもない。
松本涼香は学年一の美人として評判の女学生だった。
学業は優秀。運動も得意。
いつも穏やかで人当たりのよい彼女は誰からも好かれていた。
何一つとして欠点の無い彼女は最近両親から与えられた携帯テレビをしょっちゅう眺めていた。
そんな世俗的な行為でさえ一枚の絵画のような気品あるたたずまいになるのだからそれを止めようとする人はいない。
そして彼女が見た目は涼やかに、内心では一心不乱に書いていた文章は。
『あの森初雪という女は見た目ばかりか心まで醜い。この世に生きている価値はない』
コルク・スッタムは去年隠居し始めた男性だった。妻に先立たれ、余生を生まれ故郷で過ごすと決意した彼は近隣の住民にも受け入れられ、田舎での生活になじみ始めていた。
晴耕雨読の日々を過ごす彼はたまさか知り合いから携帯テレビを譲り受けることになり、今ではしょっちゅう家でそれをいじっていた。
そんな彼が携帯テレビに書き込んでいる文章はこうだ。
『森一家は皆クズ。金儲けのことしか頭になく、世の中に迷惑をかけてもいいと思っている』
これらはあくまでも一例でしかない。
実際にはこれよりも多くの人が誹謗中傷に関わり、さらにそれよりもはるかに多くの流言飛語が出回っている。
おそらく、この騒動を仕組んだものたちでさえ、予想していなかったほどの大火災になっていた。
だが小百合の懸念していた通り、数日ほどで飽き始めた人々は次の興味の対象を探し始めつつあった。
しかし再び彼、彼女らの耳目を引き付けるニュースが飛び込んできた。
『二日後に森初雪が獅子ヶ浦の被害者の会、会長を務めるカムラに謝罪する』
それは光よりも速く携帯テレビにかじりついている人々の間を駆け巡り、再び熱狂の渦をもたらした。
その反応はおおむねこうだ。
『ついにドブスが謝罪するらしい』
『我々の勝利』
『謝罪してお茶を濁そうとしているだけ』
『死んで詫びるべき』
『獄中の森主任も呼べ』
『カムラは首を切り落とせ』
罵詈雑言の見本市とも呼ぶべき醜い言葉の数々が並べられていた。
黒幕はこれらを見て笑った。
森初雪側は、おそらく事態の収拾を図りこのような謝罪会見を行ったのだろうと。実際には逆効果だったと。敵は何も大衆心理を理解していないと。
だが違う。
彼女の狙いはそんなものではない。
「さて、二日後が愉しみですね」
携帯テレビの画面を眺めながら小百合は唇を釣り上げていた。




