第三十一話 蜜月
工場内の査察を花梨や木村大山様の部下、デモ隊の代表、私のミステラなどに任せて木村大山様と友好を深めようとする。
私が近づくと先方からそのつり下がった目をさらに下げ、笑顔を作っていた。
「おお。あなたが法律家の小百合さんですね」
意訳(てめえがうちの工場を潰してくれた奴隷だな?)
「はい。ご助力いただき、誠に感謝いたします」
「これも正義のためですとも」
意訳(使えねえ馬鹿のおかげで大損だ)
「素晴らしい志です。このような高潔なお方だったとは。もっと早くに知り合っていなかったことが残念でなりません」
「ははは。これからは会う機会もあるでしょう。その時はぜひまた協力いたしましょう」
意訳(次に会うときは俺に敵対すんじゃねえぞ)
表面上は名士と法律家の会話を気取りつつ、裏ではドスドスと言葉のナイフを突き刺す。
なんとも心の温まるやり取りではありませんか。
そんな私たちが笑顔で握手する様子を見て周囲の観衆も感涙を流す。
しかし木村大山様もあまり三文芝居を長く続けるつもりはなかったのか、ほどほどに私たちの仲を見せつけるとすぐに去っていった。
木村大山様が去ると、入れ替わりで花梨が私の目の前に現れた。
「花梨? 査察はどうなったのですか?」
「すぐ終わったよ。というか、そもそもあの浄水器自体がものすごくずさんな出来だったのに、あれ一個しか浄水設備がなかったもん。汚水をそのまま流してたのは素人だってわかるよ」
花梨はつまらなそうに査察の結果を伝えてきた。
もはや調べるまでもなく、獅子ヶ浦工業は真っ黒だったということだ。ただおそらくエルフが関わった痕跡だけは丁寧に消されていることだろう。
ここから先はもう、エドワード様あたりに任せるしかないだろう。
「でも小百合おねえちゃん。今回は依頼されたわけでもないのにずいぶん積極的に働いたね」
菜月様にも似たようなことを言われた気がする。
確かに今回の騒動で、私は例になく自分から行動していた。その理由は誰にも言えないので、適当にお茶を濁す。
「……私以外では解決できない問題だと判断しましたからね」
「ふうん。でも小百合おねえちゃん、まるで法律が追加、あ、正確には新たに発見される? まあなんでもいいけど、それが起こるって確信してるみたいだったね」
「エドワード様から事前に知らされていましたからね。あとはただの勘ですよ」
花梨も雫も信用はしているけれど、いや、だからこそ、私が転生者であることを知らせるつもりはない。
少なくとも転生者である勇者を信奉する連中が幅を利かせているうちは。
「ふーん。あたしはもう一回工場を覗いてくるね」
「ええ。気を付けて」
とてとてとかけていく花梨を見送る。周囲に誰もいないと確信したうえでぽつりと独り言を漏らす。
「なぜ今回積極的に動いたか、ですか」
そんなものは決まっている。今回の騒動が公害であると判断したためだ。
「気に入らないのですよ。公害というものが。だってみんな同じように苦しみますからね」
私は人の不幸を見るのが好きだ。
だが不幸であれば何でもよいというわけではない。不幸とは十人十色でなければならない。どんな贅沢な食事も食べ続ければ飽きるように、画一的ではいずれ味が薄まる。
同じような病気。同じような不幸。そんなものを眺めていてもおもしろくもなんともない。
それが今回柄にもなく公害を解決するために尽力した理由でもある。もちろん不本意だ。
だからこそ。恨みもある。
(エルフめ。木村大山様め。よくも私に正義の味方の真似事をさせましたね。この恨みはいつか晴らします)
理不尽であることは自覚しているが、エルフたちを敵視することを止めるつもりはなかった。
うすぼんやりとしながら、陽炎のようにふらふらとした足取りで、工場を案内せざるを得ない森主任を花梨は眺めているが、その光景は彼女の心を動かしはしなかった。
それは完全な予定調和であり、興味の対象にはならない。彼女にとって既知は退屈でありいまだ誰も見たことがない未知こそが彼女の好奇心をくすぐる。ゆえに未知の探求は彼女の生まれ持っての宿命だ。
その生まれ持っての性が心の中で告げている。ここに至るまでの道程にはあまりにも不自然な点が多すぎる。まるであらかじめ答えを知っている人間に導かれたかのように。
実のところそういう感覚は以前にもあった。それでも、あの人の知性ならばあり得るかもしれない。そう思っていた。
しかし今回の事件はいくら何でも順調すぎる。途中から敵に裏切者が出たとはいえ、メチル水銀についての知識がなければ絶対に成立しない。
あの人は、何を知っているのか。何を隠しているのか。
「小百合おねえちゃんを解体したら。何かわかるのかなあ」
花梨の顔は年齢に見合わぬほど妖艶にとろけていたが、それに気づいた人は誰もいなかった。




