第十九話 紳士
前世でも、今世でも初めて見るダンジョンの内部はまさに摩訶不思議だった。
大理石のような地面と壁が無尽に広がり、さらには道が立体的に交差している。どこかからダンジョンに入った人影が下の道に長蛇の列をなしていた。明かりも何もないが、全く暗くない。見上げると白い天井が光っているようだった。
今までで最もここが異世界であると実感できる瞬間だった。……のだが、野太い声にその感動はかき消された。
「はいこちら押さないでください! 列を詰めすぎず! ゆっくり歩いてください!」
下の道にいたこのダンジョンに勤めている思われる人間が必死で列整理をしている。私は行ったことがないのでよくわからないけれど、バーゲンセールとかコミケ会場はこんな雰囲気ではないだろうか。地球人から見れば幻想的な風景でもこの国の住人にとっては日常の一幕に過ぎないようだ。
「これ、落ちたりしないんですかね」
道幅はかなり広いが、何かの間違いが起こることはあるだろう。
「ご安心してください。どう頑張っても落ちることはできませんよ」
案内人は道の端、高所恐怖症の人間なら卒倒してしまいそうなほどの高さに立ち一歩を踏み出そうとする。落ちる、と身を固くしたがその足は不自然に止まっていた。
「進めないんですよ。一度入った道から別の道には正しい通路を歩まないとこうやって止まってしまいます」
コンピューター上での侵入できない場所みたいだ。ダンジョンの中では通常の物理法則が通用しないということか。
「ああそれと、ホムンクルスさんも精霊を呼び出してください」
「私の精霊はニールですよ?」
「いえ、それでもダンジョンに入っている間は精霊を呼び出さなければならないと法律で決まっているんですよ」
「法律で……? 道路交通法か何かですか?」
当たり前だが地球には精霊がいない。当然、精霊に関する法律などあるわけがない。この世界で追加された法律だろうか。ざっと眺めた六法には掲載されていなかったはずだ。
「道路交通法ではなく、国の命令で決まっています」
「それは政令、あるいは省令ということですか?」
法律と政令や省令は違う。元詐欺師である私は多少の法知識はあるので単純に疑問だったのだが。
「いえ、ですから政令って国の命令ってことでしょう? じゃあ法律じゃないですか」
案内人は私の反論に不快そうな表情を浮かべ始めた。ホムンクルス風情に逐一指摘されるのが気に食わないらしい。引き下がろうとしたとき、よく通る渋い声が響いた。
「いや、そこの女性の指摘は正しい。政令と法律は別の物だ。不勉強を恥じるのは君の方だ」
現れたのは洒脱な白髪の老紳士だった。黒を基調としたかっちりとした服に、豊かな顎髭。銀行の頭取と言われても頷くだろう。足が悪いのか武骨な杖をついているが、弱弱しい印象がない。それどころか木斛のように力強い印象を受ける。
だが、一つだけ飾り気のある装飾品が目を引いた。
(弁護士バッジ?)
老紳士の胸にあったのはひまわりと天秤をあしらったバッジ。この紳士は弁護士なのだろうか?




