第十五話 医者
そもそもこの依頼はサルタニア様が困っているエルフの友人を助けてくれという依頼だった。
そして菜月様がここにいる理由は異種族の不和の解消。それも、木村珊瑚という学友を助ける結果となることを信じていたためだ。
皮肉なことに、調査を進めれば進めるほど当初の目的の真逆の方向へと進むことになってしまった。
「先に言っておきますが、この事件がこれほどまでに大規模であると判明した以上、私は誰かの指示がなくとも動くつもりです」
「意外ね。あんたが熱意をもって仕事をしていると思わなかったわ」
それは確かに私の心奥を突いていた。普段なら依頼を打ち切り、鼻で笑いながら事態の推移を眺めていただろう。しかしこの件が公害であると確信したのなら話は別だ。熱意はないが……やらなければならない時はある。
「木村珊瑚様がこの件に関わっているとは思いません。ですが木村大山様が木村珊瑚のお父君であるのは事実です」
「……そこまで調べてるんなら、病院と会社を支援している経緯も調べてるわよね」
「はい。病院は改築を行った直後に不審火が発生してしまい、経営難に陥ったところに手を差し伸べられたようです。獅子ヶ浦工業はそもそも設立に木村大山様が関わっています。正確には外部の人員をこの土地に呼び込んだようですね」
「木村大山様にはどうあがいても逆らえないわけね」
「そうなります」
菜月様はしばし沈黙していた。しかし顔を上げたその瞳にはいつもの力強さが戻っていた。
「いいわ。エルフたちと敵対したとしても、この病気を放置できないわよ。苦しんでいる人は放っておけないわ」
「ご立派です。何か具体案はありますか?」
「ないわ。考えなさい」
あっさりと指示を投げてきた菜月様に苦笑しつつ、攻勢のための策を献上した。
翌日、私は漁師のカムラ様に帯同して獅子ヶ浦市立記念病院を訪れた。日に日に弱っているカムラ様を支えながら、病院の受付を通過する。さすがに明らかに介助が必要な患者の同行者まで拒否はできないらしい。
「カムラ様。昨日お話しした通り、マフタ家の支援を受けるためには診断書が必要になります」
「ああ。わかってるよ。しかし、診断書なんてもらえるのか?」
「もちろんです。これは患者としての正当な権利です。念のためにカメレオンカメラも用意しています」
攻勢に移るために必要なもの。それはずばり、物理的な不正を行っているという証拠だ。
地球における水俣病の問題が長期化した理由の一つは加害者である企業が徹底して問題を隠蔽し、原因を認めなかったからだ。事実として会社内部ではメチル水銀の危険性を確かめる実験が行われていたが、それを公表しようとしなかったらしい。
さらに、浄水器フィルターを行い、安全性が確認されたと発表されたが実は何の効果もなかったという、もはや感嘆してしまうほど責任逃れを続けていたのだ。
そんな逃げを封殺してしまうには完全な証拠をつかむ。その一つが医師の診断書だ。ここに改竄などの痕跡があればしめたもの。のらりくらりと躱すなら、問い詰めるように立ち振る舞う。その予定だった。
「申し訳ありませんがそれはできません」
医師の返答はあまりにもそっけなかった。
「せ、先生。しかし診断書がないと支援を受けられないと……」
「カムラさんは私たちの治療に不満があるんですか?」
「い、いえ、そんなことはありませんが……」
「なら、黙って私たちのいうことを聞いてください。それが快方に向かう一番いい方法なんですよ」
ぴしゃりと反論を封じるように断言する。
あまりにもかたくなな態度に違和感を覚えたのは私だけではなくカムラ様も同様だったようだが、医者という病院における絶対的権力者から忠告に見せかけた脅迫を受ければ委縮するのも無理はない。
だがこちとら法律家だ。
理不尽な権力に対抗するために法律は存在する。それが形式だけのものだったとしても。
「そうですか。では、無理やりにでも拝見します」
ずかずかと診察室を横切り、患者の診断書が収められている棚を漁る。
「お、お前は何をしている!
「診断書を拝見するだけです」
「は……? ま、待て!」
「待ちません。ああ、これですね」
カムラ様の名前が書かれた診断書をみた医師の顔色が蒼白になる。体調が悪いのかな? 医者の不養生という奴だろうか。
「知恵と風の精霊シュトート! この女を拘束しろ!」
「個人情報保護法28条第二項により医師には診断書の情報を開示する義務があります」
私の目前にひらりと舞い降りた碧の蝶は動きを止めた。
ここまでして隠そうとするなら、よっぽど診断書を見られるとまずいのだろう。もはや正体を隠す理由はない。
そして診断書を眺める。
精査する必要すらない。
そこにはでかでかと病名が書かれていた。もちろん水俣病でも、メチル水銀中毒症状でもない。
カムラ様はあろうことか集団ヒステリーと診断されていた。




