第十四話 病害
説明するまでもないが、水俣病とは日本の熊本県水俣市で発生した公害である。
本件の特徴は世界で初めて生物濃縮によって発生した大規模な集団水銀中毒症状であり、高度経済成長期の闇を象徴する出来事でもある。
この公害の対処が遅れた要因は複数ある。
工場から排出されるメチル水銀が人体に影響を与えると証明することに時間がかかったこと、工場を経営していたチッソという会社が隠蔽を図っていたこと。そして水俣市にとってチッソという会社はなくてはならない企業だったから、などである。
水俣市の過去は、この獅子ヶ浦の現状とよく似ている。
「花梨。何故メチル水銀が人体から検出されたんですか?」
『獅子ヶ浦工業っていう会社では液体触媒を使って工業品を生産しているんだ。液体触媒の中にはメチル水銀を含むものもあって、それが排出されているんじゃないかなあ』
「えっと、じゃあそのめちるすいぎんっていう毒を飲んだ魚とかを食べちゃって病気になったってわけ?」
菜月様は混乱する頭を宥めつつ、一歩真実に迫る。正確にはメチル水銀を吸収したプランクトンを魚が食べた結果なのだ。
『そうだと思うよ』
「いえでも、メチルすいぎんを食べているのは人間だけではありませんよね? 何故、人間だけが影響を受けるんですか?」
そう。雫の疑問が水俣病の厄介さであり、そして同時にこの世界特有の事情により事態が複雑化してしまっている。
『んっとね、そもそもメチル水銀は微量なら人体や生物に含まれているんだ』
菜月様がぎょっとして、自分の体に毒が付着していないか確かめるように触れていた。
「多すぎれば毒になるということですか?」
『うん。普通に魚を食べているだけなら多分そのうち排出される。でも、漁師みたいに汚染された魚をよく食べる人なら特に症状は進行しやすいと思う』
実はこれも私が真相に気づいた理由の一つ。奇病の進行が早い患者はすべて漁業関係者だったのだ。水俣病でも似たような状況だったらしい。
「そしてメチル水銀の影響は種族によって大きく異なる。そうですよね?」
『さすが小百合おねえちゃん。メチル水銀の毒性は異種族だけじゃなくて多くの動物にもあまり強くないみたい』
あまり知られていない事実だが、メチル水銀は多くの動物に対しては強力な毒ではない。
ただし猫のように強力に作用する場合もある。水俣病の当時、猫が狂ったように踊りだしたとされるが、この世界には猫がいない。もっとも、これは時間の問題でもある。メチル水銀が蓄積されるごとに体調は悪化してしまう可能性は高い。
「しかしよくそんなことが分かりましたね」
『昔、勇者様が毒について研究していたみたい。すごいよね!』
つまり言い換えれば勇者は異種族や動物に毒を注入しまくってその病状を調べていたと。それを嬉々として語るのはどうなのだ? わが妹よ。
それはともかく、おそらくこの研究は勇者の周囲にいる権力者は知っているはずだ。おそらく、メチル水銀の毒性についても。
……そろそろ真の敵が見え始めてきた。
「花梨。治療などの手段はありますか?」
地球において水俣病は完治が不可能な病だ。しかしあの勇者が調査していたのならば、と淡い期待はあっさり砕かれた。
『無理みたい。どうも神経の奥深くに影響があるから、取り除くのは不可能だよ』
「……そうですか。他に報告はありますか?」
『今のところないかなあ。レギオンの正体もよくわかんないし』
「ありがとうございました。引き続き調査してもらって構いませんか?」
『うん! 任せて!』
元気な声が途切れ、通話が終了した。
さて、これから本格的に法律闘争を始める前にはっきりさせなければいけないことがある。
「菜月様。獅子ヶ浦工業が原因で奇病が流行っているのは間違いないでしょう」
「そうね。しかもレギオンを操っている奴と病院も裏でつながっている可能性が高いわ」
冷静であれば明晰な頭脳を誇る菜月様は基本的に鋭い。知りたくないことでも気づいてしまう。
「……申し訳ありません。先に謝っておきます」
「どうしたのよ」
「少し前に調査結果が届きました。それを黙っていたことをお詫びします」
「別に構わないわ。その調査結果って何なの?」
「はい。獅子ヶ浦工業。そして市立記念病院。この二つには共通点があります」
「……」
おそらく、もう気づいているのだろう。この事件の真犯人たちに。
「どちらも同じ後援者がいます。この二つの組織は、木村大山というエルフから支援されている組織なのです」
私の宣告に対して、菜月様は泣きそうになりながら唇をかみしめていた。




