第十七話 家族
ふらつく雫の手を引きながら自宅にたどり着く。旦那様はまだ帰っていないようだった。
「旦那様は遅くなりそうですね。先に眠っていてよいと連絡もありましたし、そうしましょうか」
「そうだね」
坊ちゃまが懐から鍵を取り出して錠前を開ける。一見するとシンプルな鍵で複製は容易そうだが、錬金術が使われているらしく、意外に複雑らしい。
石の玄関で靴を脱ぎ、室内用の靴に履き替える。
この国では大半の建物は石製で、これも錬金術を使用されているようだ。ただ、錬金術では木などの有機物を変形させられないらしく、木造建築は少なく、希少価値が高い。だからこそ、向かいの木材をふんだんに使った木造建築は庶民のあこがれなんだとか。
坊ちゃまを部屋の前までお見送りする。
その間三人とも無言だった。雫はただ眠かっただけだろうが。
部屋の前まで来た坊ちゃまは立ち止り、部屋に入ろうとしない。
「坊ちゃま? どうかなさいましたか?」
「小百合……その、しばらくここにいてくれない?」
……もう数年ほど成長していれば色々物議をかもしそうな発言だった。多分母恋しという感情に近いのだろう。他人のぬくもりを欲している。
それを満たしても構わないのだけれど……まだ早すぎる。
「申し訳ありません。それはアイシェさんに止められております」
アイシェさんは徹底して侍従としての分を弁えるように注意してきた。そのうちの一つが寝る場所を分けること。立場をはっきりさせているのだ。
何しろ、私が暮らしている別宅には鍵がない。つまりあの場所に盗まれて困るようなものは何もない。私自身も含めて。
「そっか。ごめんね。無理を言って」
「いいえ。私たちを想ってくださって嬉しいですよ」
嘘じゃない。慕われるのは私の目的に一歩近づいている証明だ。
それに……あんまり誘われると本気で襲ってしまいそうで怖い。いや、多分自重できるとは思うのだけど……この辺に関して私は自分を信用していない。
「それじゃあ。お休み。小百合と……雫はもう限界だね」
もはや雫は私にもたれかかっている。
「ええ。お休みなさい」
扉を閉めようとした坊ちゃまに囁くような小声を届かせる。我ながら、それは悪魔のささやきなのかもしれない、そう思った。
「私は……」
「え……」
「私は坊ちゃまたちとも、家族になれればよいと思っていますよ」
ぱっと大輪の笑顔を咲かせる。これでいい。この虚飾に満ちた言葉でも十分この少年は満たされる。
「うん。ありがとう」
ぱたんと扉が閉められる。遂に電池切れになった雫をおんぶする。子供をおぶるのは随分久しぶりだったが雫は気持ちよさそうな寝息をたてていた。
「家族……か」
空々しい言葉を呟く。
私には家族がいない。いたことがない。
私の前世は今どき珍しい全く身元の分からない捨て子だった。ああ、捨て子は差別用語だから赤ちゃん置き去りだったか。私にとってはどうでもいいことだ。生まれてすぐに児童養護施設に預けられた私は子供時代をそこで過ごした。
施設の方針だったのか、家事全般はそこで学んだ。ただ、これも方針なのか結構荒れていた『同僚』とも触れ合うことが多く、喧嘩の作法は自然と身についた。
施設でも、施設から学校に通っている時も、同情されることが多かったが、それはどうにも理解できず、不快だった。
施設に不満はなかった。むしろ感謝している。あそこは私にとって居心地のいい場所ではあったのだと今ならわかる。
だがそれでも。
絶対に。
自分自身が同情される境遇にいることだけは、我慢できなかった。
施設の大人たちが、私にとっては世界の半分を支配している王様のような人たちがぺこぺこと頭を下げる相手が役人やスポンサーと呼ばれる人たちだと知った。
この境遇から脱するために資金や権力が必要だ。幼心にそう理解した。ではどうすれば手に入るのか。
最も手っ取り早いのは金持ちの家の養子になることだった。もちろんそんな都合のいい話が転がっているわけはない。しかしそれでもその確率を一パーセントでも上げるために私はいい子を演じた。
年少の子供の面倒を見、手伝いを率先して行い、勉学に励んだ。自分の本心を悟られないようにした。金目当ての孤児など誰も引き取りたがらないと思ったからだ。
詐欺師になる前からこうだった。つまり私の人生は演技と虚飾に塗れており、それらを取り除けば大したものは残らないだろう。
そして私は運に恵まれた。裕福だが子供のできない夫婦が私を引き取りたいと言ってきたのだ。だが本当に幸運だったのかは……今でもわからない。




