第二話 著作
家庭裁判所の調停室を出て、意気消沈する杉本様を宥めながら、事務所兼自宅に向かう。
ほどなく到着したが、杉本様の表情を見てすべてを察した雫は何も言わずにお茶の準備を始めた。すぐに場は整い、優雅に一礼したのち退出した。
琥珀色のチャイを飲んでようやく気分が持ち直した杉本様の第一声は謝罪だった。
「すみません法律家さん。あんなにも話を聞いてくれないとは想像もしていませんでした」
私としてはあの程度の反応は想定の範囲内なので驚きすらしていない。多少辟易はしたが。
「お気になさらずに。これも仕事ですから。ですが、少々見積もりが甘かったのは事実です。改めて現状を説明してもかまいませんか?」
よろしくお願いします。消え入りそうな声で杉本様はそう言った。彼にきちんと現状を把握してもらわなければ議論の準備すらできない。
「まずバンドという組織について。ここを理解していないと話が進みません」
「? バンドはバンドですよ?」
「法律的にどう扱われるかということです。当然ですが会社や狭義の非営利活動法人ではありません。かなり曖昧な団体、強いて言えば音楽活動を行う組合契約を交わした団体になります」
「えっと……一緒に音楽をやっていた集団ってことですか?」
「そうなります。面倒かもしれませんが法律とは集団の区分を厳密につけなければならないのです」
「そこはまあ、なんとなくわかりますけど……」
「ご理解いただいて幸いです。グループの損益などは出資の割合などによって決まります。例えば、これの売り上げの分配などはどれだけその団体に貢献したか、どんな権利を持つか、によって違います。そして長江様が問題にしているのがこれの売り上げです」
私は小さなほら貝を机の上に置いた。
「畜音ほら貝ですね。僕が脱退した後にとんでもない売り上げを記録したそうですね」
これは一種のレコーダーとして機能するほら貝で、これを使って音楽をCDのように売る、という行為を初めて行ったのがこのヤマトカブトだった。
簡単な操作で再生機器なども不要だったため、予想よりもはるかに売り上げがよかったらしい。
「ここで問題になるのがこれの売り上げの配分です。編曲者にもあなたの名前が記されている以上、あなたにも売り上げを手にする権利があります」
「それはいらないんです。僕が欲しいのは草原の月を歌う権利なんです」
ちなみに問題が始まったのはここからだ。杉本様がバンドを脱退し、ソロ活動を始め、草原の月を歌った。が、この草原の月はヤマトカブトというバンドのものなのだ。歌ってはならないのだ。一方で本来なら受け取るはずだった草原の月の売り上げも杉本様は受け取っていなかったことが発覚した。
「そういうわけにもいきません。あなたが今回のアレンジを行った草原の月を演奏するにはメンバーの同意が必要になりますし、あなたは売り上げを受け取らなければならないのです。あなたが草原の月を自由に演奏できるということは同時に売り上げをすべて受け取ることになってしまいます」
杉本様は目に見えてしょげていた。著作権や編曲権はパイのように切り分けることが難しいのだ。事前に分配に関して決めていたり、日本でいうJASRACみたいに権利を管理する組織があればよかったのだが、まだそこまでこの国は進歩していない。
「そして脱退に関してもいくつか定まっている法律があります。自由に脱退できるが、明らかに不利益を与える時期には脱退できない。除名する場合、ほかの組合員の賛同と正当な理由が必要になります。杉本様。あなたは何故ヤマトカブトを脱退したのですか? いえ、させられたと言ったほうがよいですか?」
これは以前聞いてもお茶を濁された質問だった。しかし現状をきちんと認識した今ならば答えてくれるだろう。
「きっかけは……そのう……以前のライブで予定にない曲を演奏してしまい……それで口論になりました」
部外者からしてみればそんなつまらないことで、と呆れるような話だった。ただまあ、気力を尽くして音楽活動に取り組んでいる彼らにとって軽々しく予定を変更されればたまったものではないのかもしれない。
「なぜ、そんなことを?」
「実は……誠也のギターのチューニングがおかしかったんです」
「ライブ中におかしくなったんですか?」
「多分ですけど……ライブの直前に誠也がいじったせいでおかしくなったんだと思います。前日に僕がチューニングしていたはずですから」
……ん?
「長江様のギターのチューニングを杉本様が行っているのですか?」
「ええ。ほかのメンバーの楽器もチューニングしてますよ」
それが何か? と言わんばかりの表情だった。音楽は素人だけれど、チューニングのような事前準備が重要なのはどんな物事にも共通するだろう。
それをたった一人で行っていたとなると……実は杉本様は結構すごいのではないだろうか。
「もしかして予定通りの楽曲を演奏していれば楽曲が破綻したのですか?」
「そうでしょうね。ほかのみんなは気づいていなかったみたいですけど」
「ちなみに、それを説明しましたか?」
「だめですよ! 誠也が失敗してたなんてみんなに知れたら、誠也が傷ついちゃいます!」
美しい友情だ。しかし時には厳しくふるまうことも友情なのだと知ってほしい。
杉本様に責任はない。責任はないが……原因はある。仮にこの事実を説明したところで長江様たちは信じないだろう。だがチューニングを杉本様に頼っていた彼らがこの先バンド活動をうまくやっていけるとも思えない。
杉本様はヤマトカブトというバンドを害する気持ちは一切ない。が、残念ながらその思いは全く伝わっていない。
きちんとコミュニケーションがとれていればこんな面倒ごとにはならなかったはずなのだ。
どうしたものか、と思案する私にいつの間にか部屋に入っていた雫が声をかけてきた。……音もなく近づいてくるのは少し心臓に悪いのでやめてほしいと密かに思っている。
「お姉さま。草原の月の作曲家の件ですが……」
「ああ、身元不明なのでしたね。調べられましたか?」
「はい。菜月様の調査が完了したようです」
依頼してから三日で見つけるとは……あの方、探偵事務所か何かを設立したほうがいいのでは?
「それで、どうなりましたか?」
雫はちらりと杉本様を見て、彼の耳に届かないように私に耳打ちした。それを聞いてくすりとほくそ笑む。
どうやらかなり面白いことになりそうだった。




