第十六話 銭湯
さて、ラルサ王国の首都の名は異京……異世界の京だから異京……本当にそんな名前になっている。そんなどっぷり日本かぶれに染まったこの首都では日本の家庭にほぼ間違いなくあるものが個人宅にはない。
風呂だ。
ではどうやって体を洗うのか。かつて日本でもよく利用されていた施設が一般的だ。
公衆浴場、すなわち銭湯だ。
日が落ちかけ、薄闇に染まる町を進む。視線の向こうには春を彩る桜が植えられている。あれも持ち込まれたのか、それともこの世界にもともとあったのか、私にはわからない。ただ、この手に持つ明かりは間違いなくこの世界ならではだ。
「本当に不思議ですね。どうしてキノコが光るのでしょうか」
「さあ……私にもよくわかりません」
カンテラのような携帯ランプの中にあるのは以前私も不思議に感じた部屋の中にあるキノコだ。このキノコは光る。その性質を利用して、この国ではキノコが照明として扱われている。
ただ流石にキノコの光だけではそれほど明るくならない。きちんと明かりを強めるには魔法が必要だ。
「小百合のキノコ、ちょっと光が弱いね。待ってて」
カンテラの中に手を突っ込み、白魔法を使う。するとキノコは先ほどより強く発光した。
「まだ魔法はうまく使えないので助かります」
何故回復魔法である白魔法でキノコが光るのか。多分植物が発光するためのエネルギーのようなものを回復しているのだろう。
ちなみに私も魔法が使える。というか、ちょっと練習すればすぐ使えるようになった。どうも魔法というのは訓練すれば誰でも使えるらしい。もちろん個人差はあるけれど、数十人の魔法を圧倒するような魔法が使えるということはないらしい。召喚術? あれはもう訳がわからないので除外。
ちなみに私の魔法の腕前は……下から数えたほうが早いらしい。魔法がない世界から転生したので無理もない。
さて、銭湯に到着した。最初に来た時はちょっと日本式ののれんを見かけそうな気がして不安だったけどそんなことはない。
オスマン建築らしきアーチ型の建物。ところどころに配置された発光キノコが幻想的な雰囲気を醸し出している。
そしてこの公衆浴場。非常に重要な事実が一つある。
日に一度までなら無料だ。
タダだ。お金がかからない。大事なことなので何度でも言おう。金銭が必要ない。
すごくないですか? ちなみに一部の高級店を除き、国営なので倒産の心配もない。素晴らしい。かと言っておんぼろの風呂屋というわけではなく、しっかりとした建物だ。これが無料だとしたら実に太っ腹だ。
流石にマッサージやあかすり、食事などのサービスは有料だ。そこまでタダならどうやってお金を稼ぐんだという話になるのでしょうがない。
ただし、無料なのはあくまでも人間とその所有物である異種族のみ。そして異種族は金銭を所有できない。よって野良異種族は浴場を利用できない。こんなところでも支配しようという意欲が丸見えでいっそ清々しい。
ただし雫はまだ精霊と契約しておらず、無料にはならない。この世界では精霊は身分証明書としての側面を持っているのだ。
「お手数をおかけします。藤太様」
「いいよ。少しくらいなら僕もお小遣いがあるから」
坊ちゃまの精霊からお金を出してもらう。
ちなみに未成年の精霊マネーは親に限度額が決められたりするらしい。賢明な判断だ。
ケレム様はどうやら仕事が忙しいらしく、不参加。ポチは『お前らは何故毎日濡れたがるんだ?』と言わんばかりの瞳でこちらを見つめていた。
またね、と言って藤太様は別の棟に入る。
浴場は基本的に男女別。さらに一部の異種族は別枠。これは単純に抜け毛が酷かったり、そもそも性別が特定困難な種族もいるかららしい。
更衣室で服を脱いで、バスタオルを巻く。それが一応マナーらしいが、守っていない人もいた。
私は何度か来ているので別に抵抗はない。さて雫は……もじもじしていた。
「あの……変じゃないですか?」
「何も変なことなんかありませんよ」
むしろいい体……おっと、これはセクハラになりかねないかな。
雫は着やせするタイプなのか服を着ていた時よりもくっきり素晴らしいボディラインが現れている。特に胸部。単純な大きさなら私の方が大きいが、身長に比べるとかなり大きく見える。まさかこれも旦那様の趣味なのだろうか。熟れる直前の体に未熟な心……ありですね。
いやいや眼福。どうせなら坊ちゃまの肢体も愉しみたかったが……これ以上は欲張りすぎですね。
雫はちらちらと周りを気にして恥じらっているが、こういう場では堂々としていた方が誰にとっても有益だ。
さらっと体をお湯で流し、湯につかる。有料サービスは利用できないとはいえこれだけでも十分さっぱりする。
「雫。気持ちいいですか?」
「はい。とっても……でも、こんなに贅沢をしていいんでしょうか……?」
夢見心地の表情でとろけている。
「あなたは今日一日頑張りました。その褒美としては妥当ですよ」
賞には褒美。罪には罰を。この世の単純な理屈だ。だが、言葉は帰ってこなかった。
「雫?」
返事がないので横を振り向くと船をこぎ始めていた。どうやら長風呂はできなさそうだ。そういえば私も初日はとても疲れていたっけ。雫を起こすと名残惜しく湯船から体を持ち上げた。




