第十五話 団欒
外に出た私たちを待ち構えていたのは坊ちゃまだけではなかった。栗色の瞳に、やや先端がカールした栗色の髪の少女が数人の従者を従えていた。同じデザインの制服なので、学校の先輩だろう。
「小百合……と、その後ろの子は?」
「雫です。坊ちゃま。本日旦那様がお創りになったホムンクルスです」
「おじさまが? ふうん?」
坊ちゃまを遮って栗色の少女は私と雫を品定めするかのように眺めている。
「この人は菜月・マフタさん。僕にとってはえっと、またいとこだよ」
つまり遠い親類ということらしい。旧知の仲なのだろう。
「お初にお目にかかります。菜月様。小百合と申します」
丁寧にあいさつをすると、雫が慌てて後ろで私の真似をしているようだった。
「ふうん。流石おじさまね。なかなか美人じゃない」
「お嬢様ほどではありません」
(客観的に見れば私の方が美人だと思いますが)
本音は口に出さず、適当に持ち上げると調子良さそうにあまり大きくない胸をそらした。
「当然よね! 私はマフタの娘なんだから!」
態度がいちいち大げさで高圧的だ。服の隙間から見える装飾品などは華やかなのだが、どうにも本人の顔だちが地味でちぐはぐな印象を受ける。地味なカスミソウを豪奢な花瓶で育てているような違和感だ。
「おじさまは今御在宅かしら?」
「出かけております」
「そう。ならいいわ」
どうやら旦那様に用があったらしく、あっさり踵を返す。ただ、最後に藤太にこう言った。
「例の件、よろしくね」
すたすたと立ち去り、後には従者が付き従う。私は一礼したが、気にも留めていないようだった。
例の件というのが少し気になったけれど、出しゃばりすぎるのもよくないので疑問は封じておいた。
「坊ちゃま。すぐにお食事のご用意をいたします。中に入りましょう」
「うん。それと、えっと雫」
「は、はい」
菜月様の居丈高な態度に晒されたせいか緊張している雫。さて、どう言葉をかけるのやら。
「これからよろしくね」
普通だ。もうちょっとひねれ。しかしそんな言葉で十分だったのか、雫はほっとしたように返事をした。
「はい。宜しくお願い致します。藤太様」
これも青春……と呼ぶには幼すぎますかね。
ふと横を眺めると一匹の蝶がひらりと宙を舞っていた。先日のシュトートを見た私は思わず身を固くする。
しかし、横合いから伸びた手が蝶をつまんだ。
「雫? どうかしましたか?」
「えっと、この蝶は逃がしても大丈夫なのでしょうか? お姉さまが身構えているような気がしましたが……」
「大丈夫です。毒があるわけじゃありませんよ」
「では……」
雫の手から離れた蝶は何事もなかったかのように空に消えていく。しかし、蝶の羽を狙って掴むなんて……宮本武蔵か何かですか? 本人もそれをさも当然のように受け止めているし……妙な特技があったものですね。
さて夕食だ。
さっき作った羊飼いのサラダにナスのドルマ、私が買ってきたパン、買い置きしているチーズがいくつか。
そしてヨーグルト。ちなみにこの国では発酵食品がよく食べられるらしく、特にヨーグルトはみんな大好きで、そのまま食べるのはもちろんサラダのドレッシングとしても使われるらしい。
食事の内容から察すると、ラルサの起源は恐らく遊牧民なのだろう。あるいはその奴隷か何かだったのかもしれない。
食事そのものはそう豪華ではなかったけれど、全員楽しんでくれたと思う。
羊飼いのサラダはシャキシャキとした食感に酸っぱさとピリッとした味が目を覚ます、いや舌を覚まさせる味だ。ドルマは中の具材によく味がしみ込んでいて美味しかった。パンも、チーズもなかなか悪くなかった。
比喩抜きで生まれて初めての食事だった雫は終始目を白黒させていた。
坊ちゃまは生玉ねぎが苦手らしく、今度は辛みをもっと無くすために玉ねぎを酢水にさらすと約束してきっちり全部食べてもらった。
私はドルマが予想以上に熱かったのでしたが火傷しそうになり、二人が慌てて水を持ってきたが、私が制止した。この程度なら飲み込める。
が、その後で妙に辛いシシトウに当たった雫が悶絶してしまい、大量の水は雫の口の中に消えていった。
まあ、客観的に見れば、平和な団欒風景だっただろう。
自宅を目前にしたケレムはふと立ち止まった。
今まで聞いたことがない声が聞こえたのだ。しかしそれは違う。今まで何度も聞いた声が聴いたことがないほど、藤太が楽しそうにしていた声だった。
あんな風に自分の前で笑っていたことがあっただろうか。今度こそ聞いたことのない、きっと今日作ったホムンクルスの声、さらに……そこで彼は思考を打ち切った。
家に入ろうとして、足が動かなかった。物理的には何ら障害がないはずなのに、我が家の敷地は険しい山脈に遮られているようだった。
結局彼は後ろに振り返ってから歩き出した。うららかな春の風が吹雪のように厳しかった。
むせたように咳をする。初めは軽い咳だったがやがて重病人のように重い咳になり、そこに赤い血が混じっていることに気付き、ケレムはしばし呆然としていた。




