第三十二話 空耳
「わしからも一つ聞きたい。あの小娘はなんだ?」
「私の自慢の妹ですが何か?」
「そういうことを聞いているのではない。お前はあれを飼っていて平気なのか?」
「腕がたつのもかわいらしさの一つでしょう」
「……冗談なのか本気なのかわからんが……あれはやめておけ。世のため人のためにならん。あんな血狂いは今の世にいない方がいい」
「はい? あの子は血が怖いはずですが?」
「気づいていないのか? わしも元は軍人だ。血を怖がる新兵にもあったことがある。しかしな、血を怖がる奴はだいたい血を流すかもしれない状況そのものを忌避する。戦いそのものを可能な限り避けようとする。だがあれは血を怖がるくせに戦いそのものを怖がってはいないだろう?」
「……」
それは以前から少し引っかかっていた。あの子が怖がっているのは血だけだ。
「あれは血が怖いふりをしているにすぎん。いや、他人どころか自分さえもだましておるかもしれん。まっとうな生活をするためにな。だが、今回蓋があいた。一度開けられた蓋はどんなにきつく締めてもいつか緩んでしまう。あれはもう狂人になった。人の道には戻れん」
「……あなた方を処刑すれば記憶は消えます。元通りのあの子に戻りますよ」
「だといいがな。精霊による記憶の消失は結構曖昧だぞ。しかし意外だ。もっと冷酷な女かと思っていたがな」
「……そうですね。あの子たちに対しては……少々入れ込んでいます」
自分でも本当に意外だ。執着心か、嗜虐心か、義務感か……はたまたお気に入りの人形を手放したがらないブランケットシンドロームか、雫を失いたくないという感情は強い。雫だけに限らないかもしれないが。
そんな私に対して隊長の武骨な顔が少しだけ緩んでいるようだった。
「もうそろそろいいだろう。お前は何を記録する?」
「そうですね……石切会社の内部、もともとこの土地の名士だった一族が密輸に関わっていること。あなた方が帝国の軍人で、首魁が貴人であること。この二つでどうですか?」
花梨の居場所がわからない以上、これがベストだ。
「……いや、最初の一つだけにしてくれ」
「虫がよすぎませんか? 約束が違いますよ」
「……お前の目的はこの情報を石切に売って奴に下のホムンクルスを取り返す手助けをさせるつもりだろう?」
「ええ。ですから、一つだけでは足りません」
「もう一つは……これでどうだ?」
隊長が取り出したのは光輝く石、精霊石だった。
「まさか、それは密輸した石ですか?」
「その通り。見るやつが見れば石切の管理外の石だとわかるだろう。あの男は根が吝嗇家だ。これを渡せば悪いようには扱わんはずだ」
「あなた、初めからそのつもりでしたね?」
隊長はにやりと笑った。さすが元軍人。切り札は最後まで取っておくものだとよくわかっているらしい。
「……よろしい。ええ、あなたの勝ちです。どうぞ、その内容で書き記してください」
隊長は速記で記していた。
「念のためにお前の妹のことも書くぞ」
「お好きにどうぞ」
書き終わった後、文字を私に見せつける。
「これでいいか」
「ええ」
「では……」
ばきりとペンを折る。粉々になったそれは空に落ちていった。
「受け取れ」
紙と、精霊石を受け取る。
「確かに。あなた方は……」
「さっきも言っただろう。もう悔いはない」
「そうですか。それなら構いませんが……精霊は基本的に無抵抗の方々を処罰できません。このままならあなた方は生き残れます。それこそ、人間に危害を加えたり、あるいはそれをほのめかしでもしない限り」
隊長が後ろを振り向く。
コボルトが、グリズリーが、サキュバスが、その他さまざまな異種族が笑顔で頷いた。向き直った隊長は決意の表情を固めていた。
「この愚かなホムンクルスめ! 我々は誇り高き帝国の民! 貴様も、貴様の主人も地獄に送ってくれる!」
誰もが、同じように啖呵を切る。敬礼か何かなのか、胸の前で手を組んでいた。
私も無言でカーテシーをとる。そして望み通り宣告した。
「殺人未遂です。ミステラ、裁きなさい」
『はあ、つまんねえなあ。殺人未遂罪っと』
上から無数の影が、下からは青空が彼らを押しつぶす。音よりも速くこの世ならざるどこかへと連れ去り、やがて誰もいなくなった。
ぽつんと、この世に顕現した異界に取り残される。裁判は終了した。手元に残ったのはメモだけ。それだけを残して彼らの生きた証は消える。……本来ならば。
「いやはや皮肉というべきか何なのか……忘れたころになって役に立ちますね。フォゲットミーノットという私の能力は」
神を自称するスズメという名の木っ端役人から外部の影響によって記憶を忘却されない能力を授かっている。めったなことでは役に立たないが稀にこうやって決め手になってくれる。
「精霊に殺されれば記憶が消える。その常識を疑えなかったことがあなたの敗因ですよ、隊長さん」
その言葉を皮切りに異界が薄れ、現実へと帰還を始める。遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた気がしたが、ただの空耳だろう。




