第十四話 上下
ざくざくと湯むきしたトマト、きゅうり、ししとうなどをみじん切りにする。めんどくさいけれど、残念ながらみじん切りを勝手にしてくれる魔法はない。料理は根気だ。愛情など不要。
「えっと、玉ねぎのみじん切りはこれでいいでしょうか?」
「ええ。それに塩をふっておいてください」
ちなみに日本ではあまり見ない紫玉ねぎ。この国ではこちらが一般的で、サラダやマリネなどの生食にむいている。
雫は一度教えただけで器用にみじん切りを終えたらしい。運がよかったのか目に染みたりもしていない。ちょっと残念。そういう顔も見てみたかった。
「どうして塩をふるのですか?」
「ああ、それはりゅ……」
「お姉さま?」
硫化アリルを落とすため、と言おうとして言えなかった。地球の知識の持ち込み禁止か。面倒だけど失言をしなくなると思えばこのままでもいいかもしれない。
「何でもありません。塩をふってから水で流し、水けをきると辛みが抜けます」
生玉ねぎを食べる場合、例え辛みの少ない紫玉ねぎでも辛み抜きをさぼるとまともに食べられない。何故知っているかって? 実体験済みだからですよ。
「わかりました」
おっかなびっくりではあるけれど、少なくとも刃物の取り扱いを躊躇う様子はない。バベルは日本語を扱えるようになる魔法と聞いていたけれど……どうも一般教養も教えてくれるのかな? それとも私たちがホムンクルスだから? 普通のホムンクルスの態度を学ぶためにも雫を観察しないといけませんね。
パセリ、ミント、リンゴ酢、レモン。最後にオリーブオイルを加えたドレッシングを和えて、みじん切りにした野菜をかき混ぜる。好みによって粉チーズや塩コショウをふりかけてもよい。
「お姉さま! 出来上がりました!」
ぐっと胸の前で握りこぶしを作って小さくガッツポーズ。ツインテールが犬の耳のようにパタパタ動いている。どんな物理法則だ。
「雫は猫より犬っぽいかもしれませんね」
この忠実で素直な様子はそんな感じだ。まあどっちも飼ったことない……あ、いやポチは除外。ペットにしてはあまりにも可愛げがなさすぎる。見た目はまだしも性格が卑屈すぎる。
「まあまあ。猫だなんて」
私の言い回しの何が面白かったのかアイシェさんはコロコロと笑っている。
「ドルマは大体出来上がったわ。でも夫の具合が悪いらしくて今から迎えに行かなくてはならないの。二人で仕上げをしておいてくれる?」
「承知いたしました」
アイシェさんはやや速足で屋敷から立ち去った。
今更だがアイシェさんは人間で、先輩であり上司だ。だから徹底的に目上として扱わなければならないし、他人との接し方や名前、敬称のつけ方などもやんわりと指導されている。
「昔取った杵柄ですね」
「何がです?」
「アイシェさんの前職の話ですよ」
「アイシェさんは以前別のお仕事をなさっていたんですか?」
「ええ。ご夫婦で奴隷の教育をしていたそうです。奴隷が禁止される以前の話ですけどね」
「奴隷に教育なんてするんですか?」
キョトンとした仕草が赤い目と相まって兎みたいだ。ただ、勘違いは正しておかなければならない。
「まず、奴隷はどんな人たちだと思いますか?」
「えっと、鞭で打たれて無理矢理働かされている人?」
なんとまあステレオタイプな奴隷像を。まあ間違ってはいませんが。
「奴隷の中には高度な技術を求められている場合があったんです。例えば計算が早いとか速記ができるとか」
地球でもここでも機械のない時代はほとんどの作業は手作業で、だからこそ個人の技術がもろに反映される。優秀な奴隷は主人にとって貴重な財産だったのだ。
「だからちゃんと奴隷を教育する人が必要だったんですね」
雫は感心したようにうなずいている。
ただ、その奴隷がまさに自分のことだとは思っていないようだ。
(言葉の裏側を読むのは苦手ということでしょうか)
やはり0歳児。気を配れば明らかにアイシェがホムンクルスを下に見ていると気づいただろう。あの人は一線を引いている。透明で薄い、でも鋼鉄よりも硬い壁を意図して作っている。
この家の乗っ取りに一番の障害はアイシェさんかもしれない。だからこそ彼女の前では猫を被って信頼を得なければならないのだ。心配しなくても私が順調に侍女として成長すれば近いうちに去るだろう。勘のいい従者がいなくなった男どもと産まれたての少女など赤子の手をひねるように篭絡できる。
ふと、家の外で誰かが来た気配がある。
「坊ちゃま、藤太様のお帰りです。お迎えに向かいますよ」
雫は生まれたての雛鳥のように私の後ろをついてきた。




