第十二話 旅行
美馬土市に旅立つ当日になったが、予想通りというべきか、準備は万全ではなかった。
「雫。ぬいぐるみはおいていきなさい。花梨。刃物は持ち込み厳禁です。坊ちゃま。もう少し肩の力を抜いてください」
三人ともめいめいの返事をするが、浮足立っている様子は隠せていない。やや嘆息しながらも、そろそろ時間がないことがわかっているので、後ろを向いて留守を預かる人たちに声をかける。
「アイシェ様。庭の手入れと掃除はよろしくお願いします。ポチ。アイシェ様のいうことをよく聞くように」
「ええ。それではいってらっしゃいませ」
「へ、へい。お帰りをお待ちしているでやんす」
アイシェ様は恭しく、ポチはおどおどしながら返答した。多分、アイシェ様は私が様づけで呼んでいる理由を理解している。
以前はアイシェさんと呼んでいた。敬称としては型落ちのようにも聞こえるが、実際は逆だ。彼女をさん付けだったのはそう呼ぶように命じられたからだ。おそらく異種族と人間という立場より、侍従としての立場によって呼び方を決めていたのだろう。今は明確に対等な侍従ではないと暗に示しており、それを彼女はすでに受け入れている。
二人の反応に安全を確信してから三人に向き直った。
「では、行きましょうか」
背嚢や手提げ鞄をそれぞれ手にし、夏が迫る晴れやかな行楽日和に旅立てる幸運に誰もが気をよくしていた。
今回の旅行は仕事という名目だが、半分は降臨祭の休暇だ。
さて、降臨祭とは何か。
一聞すると宗教行事のようだが、そうでもない。この国では勇者様がかつてのラルサ共和国に認められた日を差し、その後五日間はおおむね休日扱いとなる。
要するにゴールデンウィークみたいなものだ。まあつまり。人出が増える。交通機関が逼迫する。日本でごく当たり前の現象がここでも発生してしまう。
目下、ダンジョン手前の人混みをかき分けていた。
「ぼ、坊ちゃま。大丈夫ですか」
「う、うん。みんなは大丈夫」
「はい」
「あははは! 人がいっぱーい」
割と押され気味の私と坊ちゃまとは違い、花梨は楽しんでいた。雫は……人の隙間を縫うように歩いていた。こういうところでも運動能力の高さを証明しているようだった。
「坊ちゃま。手をつなぎますか?」
「い、いいよ。そんな子供じゃないし」
おやおや。意地っ張りな子供がここにもいましたか。
ちらりと花梨とアイコンタクトをとる。意図を察してくれたらしい。
「雫お姉ちゃん! 手、繋ご?」
「はい。一緒に行きましょう」
「藤太お兄ちゃん。お兄ちゃんは小百合お姉ちゃんと手を繋いでね? きっとお姉ちゃんもその方が喜ぶよ」
そう言うと二人はささっと進んでいった。
クスクスと笑いながら左手を差し出すと、ちょっと顔を赤らめながら坊ちゃまが右手で柔らかに握り返していた。
この様子ではダンジョン内部も人でごった返しているのではと心配したが、案外内部は整然としていた。ダンジョンの交通局に努めている社員が列整理をしているおかげらしい。逆に言うと外まで手が回らないということでもある。
「少し早めに出てきて正解でしたね」
「だね。これくらいの渋滞は久しぶりかなあ」
ちなみにこの世界に自動車や飛行機はない。その代わり遠隔地まですぐにワープ……なのかどうかはわからないけれど、結果的にそうなるダンジョンを利用する。
が、ダンジョン内部は原則として徒歩で歩かなければならない。そのためダンジョンが人で溢れかえっている状態を渋滞と呼ぶらしい。
「観光地に向かうわけですから人が減るとも思えませんし、しばらくはご不便をおかけしてしまいますが、よろしくお願いします」
「うん。でもこういうのも旅行するっていう感じがして楽しいかもしれない」
「そうですね。私もなるべく仕事を早く終わらせて遊ぶとしましょう」
「あ、そっか。小百合は仕事なんだね。ごめんね。僕たちだけはしゃいじゃって」
「いえいえ。それほど大した仕事ではありませんよ」
「具体的にどんな仕事なの?」
「一言で言うと……他人の悪事を暴く仕事……でしょうか」
「へえ。いかにも法律家って感じだね」
確かにそれは一般人が思い浮かべる正義の代弁者らしい仕事内容だろう。表向きの仕事とは裏腹に……何ともきな臭い感じがするが……さて、どうなることやら。




