第八話 慈愛
私の発言に明日斗様はやや困惑していた。
「マネーロンダリング……? それって盗品をお金に換えたりするやつだろ?」
ちなみに日本語がわかる魔法バベルは優秀だけど、微妙に意味が変わっていることがある。確かに厳密な意味合いでのマネーロンダリング、つまり資金洗浄は近代になってから行われているので、勇者勃興以前は西暦千年程度の文明でしかなかったこの世界では意味が通じにくいのだ。
「おおむねその通りです」
「ちょ、ちょっと待てよ! そんなのこう、ものすごい犯罪組織みたいなのがするもんだろ? こんな孤児院がかかわるわけない!」
「そんなすごい犯罪組織がこの孤児院に目を付けたのですよ。まず手口を説明しましょう。前提知識として、お金は知っていますね?」
「馬鹿にしてるのか? 精霊マネーだろ」
「ええ。原則として、精霊マネーはすべて売買の記録が残り、そのデータは改竄や消去が不可能であることはご存じですか?」
「ん……まあ、一応」
「私たち法律家は犯罪の疑いがある場合、手続きを踏めばその記録を閲覧することができます。これがどういうことかわかりますか?」
「そりゃあ、こう、あれだ……」
言葉に詰まった明日斗様をフォローする。
「不正な金品の移動……例えば盗品を売った場合記録に残りますし、予算をごまかしたりしても発覚しやすいということです」
「そ、それが言いたかったんだよ!」
実に子供らしい意地っ張りな反論だった。可愛らしいこと。
だが決して本質を理解してはいないだろう。記録が残るということは犯罪者にとって極めて不利だ。それは犯行現場へ向かう足跡が永遠に消えないことに等しい。
素晴らしい犯罪の抑止力だ。詐欺師から法律家に転職してよかった。
だがしかし、犯罪者は常に体制側の裏をかく努力なら怠らない。
「ですが一つ例外があります。ここ十年以上気づかれなかった例外が。何かわかりますか?」
「えっと……その人が死んだとき?」
「さすがにそれならすぐに気づかれたでしょうね。遺産相続に支障が出るでしょうから」
「じゃあ、行方不明とか……」
「それも結局気づく人が出てきますよ。実際に捜索届を出された人が金銭の利用した位置から居場所を突き止められた人もいます」
「ああもう! じゃあ何なんだよ」
本気でわからないのだろうか。話の流れで察せられそうなのだけれど……それともわからないふりをしているのだろうか。
「簡単ですよ。養子になった子供は精霊マネーの使用履歴が完全に抹消されます」
「は……?」
明日斗様のみならず、周囲の子供、大人、すべてが困惑の表情を作る。当たり前だ。
死んでも消えないはずの記録が名前を変えたくらいで消えてしまうのだから。
「なぜそうなっているのかはよくわかりません。一種のバグか何かでしょうね。精霊についてよくわかっていないことのほうが多いですし。ですがここで問題なのは養子になると履歴が消えるという事実です。つまり、これから養子になる子供に何らかの不正な取引を行わせても証拠は残らないことです」
「ま、まさか……俺たちに何か危険な取引をさせてたのか……?」
「そうなります。一部の証拠は消えていますが、高価な品物を安く買ったり、盗品を購入したりしていたはずです」
「し、知らない! 俺たちはそんなことをしてない!」
「知らされていなかっただけです。おつかいの本来の売買とは別に何かの取引をしていたのでしょう。おつかい先の店主も共犯だったらしく、自白しました」
「そ、そんな……俺たちは……何も知らな……」
多分、明日斗様にとって自分たちが犯罪に加担していたことよりも、院長先生から信用されていなかったことにショックを受けている。実にいい表情だ。小生意気なお子様が傷つく姿は見ていて微笑ましい。
誰もが静寂に沈み、会話する気力さえないように見えた。
明日斗。
そう他人に親しみを込めて呼ばれたのはあの時が生まれて初めてだった。
俺は貧しい家の生まれだった。当時はそれを自覚していなかったけれど、今ならそれがよくわかる。
だって。
『何ぼさっとしてるんだい! さっさと働きな! 子供は親のために働くんだよ!』
まだ九歳だった俺にこんなことを言う親はまともじゃない。
殴る蹴るもしょっちゅう。父親と母親の喧嘩で目が覚めるのは毎日。二日飯抜きだったこともある。おかげで片目の視力がかなり落ちてしまった。
でも、それでも、親は二人とも好きだった。この人たちと一緒にいたいと思っていた。
ある日目が覚めると、誰もいなかった。しばらく待っているといかにも堅気には見えない男が家の中に上がり込んだ。
『君。この家の子供だね? お父さんとお母さんは?』
ただ首を横に振ると男は説明し始めた。曰く、両親には借金があり、男はそれを取り立てに来たと。
もちろん自分に払えるはずはない。怯えて身をすくめる自分に、男はこう言った。
『君が悪いわけじゃないからね。君はひとまず児童養護施設に預けよう』
はっきり言って両親よりもはるかに男は人間らしかった。自分に大した価値を見出さなかったということもあるだろうが。
それから施設に預けられ、新谷という苗字をもらった。施設での暮らしは割と楽だった。ルールさえ守れば殴られることはない。理不尽ではなかった。
でもやはり、自分の居場所はここではないという意識はあった。同時にここにいる人たちもいつか自分を裏切るのだろう、とも。だから自分の力しか頼れない。施設の職員や子供とも距離を置いていた。
それを証明するようにこの施設を切り盛りしていた男が失踪した。ますます施設は困窮した。
そんな時に現れたのが院長先生だった。設備を整えるばかりか自分のような奴にも話しかけてくれた。
『あらあら。明日斗くん。あなた、どこに行っていたの』
『今日は早く帰ってきてくれてうれしいわ』
『どうして話しかけるかですって? 私がみんなのお母さんだからよ』
あの人は根気強く、何度も話しかけてくれた。
どんなに邪険に扱っても嫌な顔一つしなかった。この人なら、信じられる。心の底からそう思えることができる初めての人だった。
だからこう誓った。この人に困っていることがあれば、力になろうと。




